素敵なお話を見つけので シェアします
『じいちゃんの傷リンゴ』
志賀内康弘
「ありがとうよ、マサル」
「うん、いいよ」
「じいちゃんは身体だけが自慢だったけんど、去年くらいから腰が痛くてな」
「ううん、どうせオレ暇だから・・・」
大矢マサルの家は農家だ、農家といってもなかなか専業で食べていけない。
父親は、JAに勤めて保険の仕事をしている。
「高いところだけでも取ってくれると助かるわ、大事にな」
「わかっとるよ、じいちゃんの大切なリンゴだもんな」
マサルは幼い頃からスポーツが得意だった。
身長は172センチ。けっして大きい方ではないが、足首のバネが強かった。
そのおかげて、足が速くて、小学校の運動会ではずっとリレーの選手だった。
中学に入ると、陸上部に入った。
地区の記録会でずば抜けたタイムを出した。
先生たちが慌てた。
「未来のオリンピック選手だ」と持ち上げた。
年々、タイムは上がり、全国大会でも短距離で上位入賞を競うようになった。
そして、県で一番の実績を誇る私立高校へ、特待生として入学した。
しかし、その時がマサルのピークだった。
1年生の夏の大会で、いきなりアキレス腱を切った。
右足の膝から下がパンパンに腫れ、二ヶ月も歩行困難になった。
整形外科医は、若いから早く治ると言ってくれた。
「早く治したい」
陸上部の仲間が駆けるのを、眩しく見ていた。その焦りが災いした。
医者に「まだ早い」と言われていたのに、軽い慣らしのつもりでトラックを一周したとき、左膝に痛みが走った。
皿が割れた。
無意識に、ケガの右足をかばったのが原因だった。
再びの治療。
そして、激しいスポーツの禁止の宣告。
特待生をはずされ、「普通」の生徒となった。
そして、1年を待たずに、追われるように退学した。
いや、追われたわけではない。
陸上だけが自慢だっただけに、マサルには居場所がない気がしてしまったのだった。
「マサル、そろそろ休もうか」
「いいよ、もうちょっと頑張ろう」
「いやいや、じいちゃんが休憩したいんだ。
裏のクミちゃんのところから栗のお饅頭をもらったろう」
クミちゃんとは、裏の和菓子屋の娘。
マサルの中学の同級生だ。
「いいよ、一緒に食べようか」
「オレ、家からお茶持ってくるよ、今日は天気がいいから、ここで食べよう」
「そうじゃな」
そう言うと、マサルは首に巻いた手拭いで汗を拭き取り、母屋へ駆けた。
(クソッ)
マサルは走るたびに思い出す。
(クソッ!)
しかし、その悪態は誰にも見せたことはなかった。
人前で、「クソッ」などと言ったら、惨めなのは自分自身だとわかっていたからである。
「じいちゃん、箱ごと持ってきたよ」
「おお、ありがとう、ありがとう。
クミちゃんとこの栗きんとんは美味いからなぁ」
「うん・・・」
マサルは祖父の勘治が好きだった。
半年前に、高校を辞めた時、父親も母親も引きとめた。
父親は烈火の如く怒った。
祖母は、オロオロして両親をとりなしてくれた。
「マサルだって辛いんだから、わかってあげなさいよ」と。
その優しさが、よけいに辛かった。
そんな中で、何も言わなかったのは、祖父だけだった。
退学届を出す前に、すでに学校へは行かなくなっていた。
何もしなくて、家でブラブラしていると、
「よかったら手伝ってくれんかな」
とマサルに声をかけた。
それ以来、ときどき手伝うのが日課になっている。
「なあ、じいちゃん。なんで、じいちゃんは怒らないんだよ」
「・・・」
「父さんなんか、今もチクチク皮肉ばかり言うのにさ」
「言ってほしいのか」
「ううん・・・」
「じいちゃんはな、別に学校を辞めてもかまわんと思うとる」
「え!?」
「だって、じいちゃんは大学へ行ってるじゃないか」
マサルは、勘治は頭がよくて若い頃は東京の大学へ行き、一時は東京で働いていたと聞いていた。
「あのな、マサル。お前、ケガしたとき、どうだった」
「どうって・・・痛かったよ」
「うん、痛かったろう。痛いってことはな、
痛い人の気持ちがわかるってことだからな。
それがわかっただけでいいじゃないか」
「そんなこと言ったって、オレ負け犬・・・」
「あのな、マサル。そのリンゴ取ってみい」
と言い、勘治はリンゴの木の下枝を指差した。
「どれ? これ?」
「おお、それそれ」
マサルがそのリンゴをもいで手に取ると、勘治はこう言った。
「そこにな、小さな傷があるじゃろ」
見ると、そこには黒く凹んだ小さな点々が二つ付いていた。
「うん」
「その傷があるだけで、もう売りもんにはならん。それがマサルだな」
「え!」
マサルは言葉を失った。
(売り物にならない・・・オレは傷物か・・・)
「じゃがな、面白いことがあるんじゃよ。
傷がついたリンゴのほうが美味いんだな。
傷がつくとな、リンゴはその傷を治そうとする。
それも、早く、早く治そうってな。
するとな、なぜだかわからんがな、リンゴの糖度がグッと上がるんじゃ」
「・・・」
「見てくれだけ良いリンゴと、見てくれは悪いけど、中身は美味い。
マサルはどっちのリンゴを食べたいかな」
「・・・じいちゃん・・・ありがとう・・・。じいちゃん」
マサルは、涙を隠すようにして下を向き、傷ついたリンゴにかじり付いた。
今まで食べたリンゴの中で、一番甘かった。
本当に大切なものは、何か…が伝わってきました・・・
おじいちゃんの、愛情のこもった深い言葉は、いいですよね