▼☆千夜一夜の日記・何想うがまま、感じるままに☆

※毎日の生活の中で遭遇する出来事、何の気なしに通り過ぎる情報など、個人的に気になるもを取り上げ、私的観点で語ります!

不確定要素が多い、賛否両論な…。

2009年04月29日 22時29分08秒 | Weblog
『遺体の一部に赤み、わいせつ目的?舞鶴高1女子殺害 』

 京都府舞鶴市の高校1年、小杉美穂さん=当時(15)=殺害事件で、小杉さんの下半身が一部赤くなっていたことが10日、捜査関係者の話で分かった。
 小杉さんは遺体で発見された際、服を身に着けていなかったものの、乱暴された形跡がなかったため、犯行動機は不明とみられていた。しかし下半身の赤みなどから、府警舞鶴署捜査本部はわいせつ目的の犯行だったとみて調べている。
 一方、殺人などの容疑で逮捕された容疑者(60)が以前起こした強制わいせつ・傷害事件の手口と、小杉さんが殺害された方法に似た部分があることも分かった。




清水由貴子さんの自殺…。

2009年04月22日 22時17分50秒 | Weblog
【清水由貴子さんが父の墓前で硫化水素自殺 (日刊スポーツ)】
 「お元気ですか」などのヒット曲で知られるタレント清水由貴子さんが21日午後1時30分ごろ、静岡県内にある冨士霊園で亡くなっているのが発見された。49歳だった。父親の眠る墓石の前で倒れており、硫化水素を吸い込んで自殺したとみられる。そばには車いすに座った母親がおり、衰弱していたものの命に別条はない。独身だった清水さんは06年3月、母の介護を理由に長年所属した事務所を辞めており、芸能界から事実上引退していた。長年にわたる母の介護疲れが、清水さんを自殺に追い込んでしまったのだろうか。
 太陽のように輝く笑顔が魅力だった清水さんが、冷たい雨に打たれ、亡くなっているのが見つかった。
 御殿場署や消防関係者などによると「女性が倒れている」と霊園職員が21日午後1時30分ごろ119番通報した。署員が駆けつけると「清水家」と彫られた墓前で、コートにズボン姿で靴をはいた清水さんが横向きに倒れていた。近くには身分証、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」などと書かれたA4判の紙2枚とノートがあった。
 砂利を敷き詰めた地面と顔の間には、20リットル容量の黒いポリ袋があった。袋の中には洗面器と洗剤などの入った複数の容器があり、中には合わせると硫化水素を発生する溶剤が入っていた。死亡推定時刻は20日午後5時ごろとみられ、死後硬直がかなり進行していた。清水さんは20日、タクシーで霊園に向かったとみられる。
 また、清水さんの側には、母親とみられる車いすに座った80歳ぐらいの女性が雨に打たれていた。清水さんの母親は生まれつき身体が弱く、糖尿病と腎臓病を長年患っており、入退院を繰り返す生活を送っていた。女性は一昼夜を清水さんの遺体とともに過ごしたとみられる。衰弱していたものの外傷はなく、意識もしっかりして、消防署員に名前や住所などを話したという。御殿場市内の病院に搬送され、清水さんの8歳下の妹が病院に駆けつけた。
 清水さんは小3の時に父を亡くした。家族3人の母子家庭で経済的に恵まれない環境で育った。生活保護を受け、高校も奨学金制度を受けて通学。歌手を志した動機を「お金をたくさんもらえるんじゃないかと思ったから」と話したこともある。高校在学中にタレントスカウト番組「スター誕生!」に応募。76年にピンク・レディーを抑えて、16回目のグランドチャンピオンに輝いた。
 翌年に「お元気ですか」で歌手デビュー。日本歌謡大賞新人賞などの新人賞を総なめにする鮮烈デビューだった。同期の高田みづえ、榊原郁恵と「フレッシュ3人娘」として大きなブームを巻き起こした。その後は萩本欽一率いる「欽ちゃんファミリー」の一員として活躍。小西博之(49)とデュエット曲「銀座の雨の物語」を欽ちゃんプロデュースで発売したこともあった。94年には念願だった推定1億円の自宅を都内に新築。「幸せです」と声を弾ませていたが、06年3月には母親の介護を理由に所属事務所を退社した。母親の糖尿病が進行して視力がかなり落ち、そばを離れられなかったようだ。事実上の芸能界引退状態で、以後は介護を中心にした生活を送っていたとみられる。
 長年にわたる介護の疲れが、両肩に重くのしかかったようだ。相談する人はいなかったのか。清水さんは、父の墓前で母親の横で自ら命を絶った。
[ 2009年4月22日9時34分 ]

【ゃん絶句! 清水由貴子さん悲しすぎる介護人生 (夕刊フジ)】
 欽ちゃん絶句! 清水由貴子さん悲しすぎる介護人生(写真提供 産経新聞社)
 オーディション番組「スター誕生!」出身で、「お元気ですか」のヒットで知られる元タレント、清水由貴子さん(49)が21日昼すぎ、静岡県小山町の冨士霊園の父親の墓前で硫化水素を吸い、自殺していたのが見つかった。
 傍らには車いすに乗った母親(80)がいたが、意識もあり、命に別条はないという。清水さんは母親の介護に疲れ、無理心中を図った可能性もある。往年の人気アイドルが選んだ最期はあまりに哀しいものだった。
 静岡県警御殿場署などによると、午後1時すぎ、「清水家之墓」の前で、黒いポリ袋を頭にかぶせ、横向きに倒れた状態で死亡している清水さんを霊園の職員が発見した。
 清水さんはコートにズボン姿。ポリ袋の中には、洗剤、入浴剤などを混ぜた液体入りの洗面器と、洗剤の容器数本が入っていた。
 袋からは硫化水素が検出され、「迷惑かけてすいません」「消防署に知らせてください」と大きな字で書かれた紙2枚も見つかった。遺書めいたノートも見つかり、「東京では葬儀をあげないでください」と書かれていた。
 遺体の傍らには、車いすに乗った清水さんの母親がぼう然としたまま雨に打たれていた。意識もあったが、職員との会話は終始、あいまいだったという。
 清水さんの死亡推定時刻は20日午後5時ごろ。母親は息絶えた娘をどうすることもできず、一昼夜をともに過ごしていたことになる。御殿場市内の病院に搬送され、現在も入院している。
 清水さんは自殺の前々日の18日夜に妹と食事をし、「お母さんとお墓参りに行ってくる」と報告。翌日午前、タクシーで静岡へ向かったという。洗面器は自宅から持参したものらしい。
 「最初から自殺する覚悟で、もしかすると母親と無理心中しようとしたが、優しい性格の清水さんには、できなかったのかもしれない」と芸能関係者。
 東京都出身の清水さんは8歳のころに父親と死別し、貧しい母子家庭で育った。生活保護を受け、高校も奨学金制度を受けて通学。歌手を志した動機を「お金をたくさんもらえるんじゃないかと思ったから」と話したこともある。
 高校在学中の1976年に「スター誕生!」で、ピンク・レディーを上回る人気で16回目のグランド・チャンピオンを獲得。77年に「お元気ですか」で華々しく歌手デビューし、同期の榊原郁恵(49)、元タレントの高田みづえさん(48)とともに「フレッシュ3人娘」として、一躍人気者となった。
 82年スタートの「週刊欽曜日」にレギュラー出演し、欽ちゃんファミリー入り。後に“肝っ玉母さん”のキャラクターでヤクルトのCMやドラマで親しまれた。
 実生活では、自身と8歳年下の妹を女手ひとつで育てた母のため、94年に東京・吉祥寺に約1億円のマイホームを購入。母親、妹と念願の3人暮らしを始めた。
 96年5月に出演したトーク番組「徹子の部屋」では、当時のことを「家のカギがカチャッと開いたとき、うれしかった。母が涙ぐんで…」と感慨深げに振り返っていた。
 だが、もともと病弱な母親は糖尿病と腎臓病を30年前から患い、ほとんど目が見えない状態に。2006年には母の介護に専念するため、所属事務所を辞めていた。07年秋には唯一のレギュラーとなっていた山梨の情報番組「ともちゃん家の5時」も降板し、芸能界を引退した。
 最近は派遣社員として、衣料会社のオペレーターで生計を立てていたという。生涯独身で、一家を大黒柱として支え続けていた。
 清水さんの突然の訃報に、欽ちゃんファミリーの大将、萩本欽一(67)はショックで絶句。妹分の死に、現在もコメントを出せる状態ではないという。
[ 2009年4月22日17時00分 ]

【清水由貴子「介護自殺」 母親の認知症に「うつ状態」? (J-CAST)】
 清水由貴子さん「自殺」を伝えるスポーツ紙各紙
元タレントの清水由貴子さん(49)「自殺」の背景には、母親(80)の介護疲れがあるのではとの見方が強まっている。半年ほど前には、認知症の進行などで、母親が最も重い要介護度5と認定されていた。なぜ「自殺」を防げなかったのか。
「先週までほがらかで明るい笑顔」
「先週までの由貴子さんは、テレビで見るような、ほがらかで明るい笑顔だったと聞いています。私どもも関係した者も、みなショックを受けています」
 清水由貴子さんが1994年から母親と妹の3人で暮らしていた東京・武蔵野市の高齢者支援課担当者は、今回の自殺についてこう話す。
 新聞各紙によると、由貴子さんは2009年4月21日午後1時20分ごろ、静岡県内の霊園にある父親の墓前で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。顔を入れていたポリ袋から硫化水素が検出されたため、御殿場署が自殺とみて調べている。近くでは車いすの母親が一時意識を失っていたが、病院に運ばれて命に別状はないという。死亡推定時刻は、前日の午後5時ごろだった。
 清水由貴子さんは、芸能界では、1977年に歌手デビュー。欽ちゃんファミリーの一員としても活躍し、同期の高田みづえさん、榊原郁恵さんとの「フレッシュ3人娘」として知られた。しかし、母親の介護専念を理由に、2006年3月に所属事務所を辞め、07年9月には芸能界を引退している。
 由貴子さんの母親は、デビュー当時から糖尿病や腎臓病を患って目などが不自由で、由貴子さんが世話をしていた。そして、武蔵野市によると、事務所を辞めた後の2006年10月に、母親が家の中で転倒し、腰の骨を折って歩けなくなったため、由貴子さんが同市に介護保険を申請。2番目に重い要介護度4と認定されて、リハビリなどの介護サービスを受けた。
 その後、母親は半年ほどで回復。07年3月の更新調査で、比較的軽い介護度の要支援2と判定されたため、自費でデイサービスを利用していたが、08年8月、家の中で再び転倒してろっ骨を折り、12月まで入院することになった。
「家族介護で、介護うつになる人も多いようです」
 再度のけがでショックを受けたのか、清水由貴子さんの母親は、入院中に認知症が進行してしまった。退院後も車いすの生活となり、入院中の介護保険申請で、母親は、最も重い要介護度5と判定された。
 そして、週5回、介護サービスを利用することになり、武蔵野市内のデイサービスセンター2か所に送迎を受けて通う日が続いた。家族の中では、由貴子さんが家で母親の介護をし、妹が仕事で家計を助けていたという。
 家族の負担も重くなったため、「自殺」4日前の2009年4月16日には、ケアマネージャーを中心に介護サービス関係者6人が、由貴子さんの家に集まって担当者会議を開いた。そこでは、今後の介護をどうすべきかについて、由貴子さんを交えて話し合った。当日の由貴子さんについて、武蔵野市の高齢者支援課担当者は、先述のような話をしたうえで、「介護に悩んだり疲れたりなど、特に変わった様子はなかったと聞いています」と話す。由貴子さんは、「ありがとう」と感謝の言葉を述べていたともいう。
 「自殺」が分かった21日は、デイサービスの担当者が朝に迎えに行って不在だったため、由貴子さんの携帯などに留守電を入れた。その後、帰宅した妹から聞いたところ、「母と姉は父のお墓参りに言ったと聞いています。キャンセルし忘れたのですかね」と話したという。
 武蔵野市の担当者は、由貴子さんの母親に対する介護支援について、「サービスを拒否することもなく、協力体制がありました」と説明する。重度の要介護状態になった母親が施設入所しなかったことについては、「市の在宅介護は充実しており、自宅でサービスを受ける人も多いです。施設に入るかは、それぞれの家族の事情があると思います」と話している。
 認知症などは家族の負担になっていることも多く、最近は「介護自殺」「介護殺人」が頻発している。
 日本介護クラフトユニオンの広報担当者は、「家族介護で、介護うつになる人も多いようです。要介護度5までいくと、在宅介護はなかなか難しいかもしれません」と言う。一方、認知症の人と家族の会の小川正事務局長は、「家族同士がつながればアドバイスで悩みが救われるので、由貴子さんもそうであったなら、とも思います。できれば、住み慣れた家で介護を受けるのがいい。しかし、日本では、在宅での家族支援は立ち後れており、そのためにも、介護従事者の待遇改善などが今後必要になってくるでしょう」と話している。
[ 2009年4月22日21時1分 ]


※また一人、自殺…。ちょっと前は韓流女優が自殺としてWebを駆け巡っていましたが…国内、有名人、確かに現役引退はしていても…自殺。乱れた話題性のない、また、表面上は悩み無いような…でも、やっぱり人って本当の意味での抱えている心の中の闇…分からないものだと痛感しています。そしてその心の闇が死という選択肢へたどり着くに至る過程、もしかすると想像を絶するものなのかも知れませんし、ホント少し、些細なものなのかも知れない。

何となく、考え深くなる今日この頃です。