ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

ホームページの方に加筆しました。

2024-02-29 18:52:33 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

今回のブログ内容は、一つ目のホームページへの加筆についてです。
そろそろ私も重い腰を上げないといけない時が来そうなので、しっかり作り込んでおく必要があります。

今回加筆・修正した箇所は、三か所あります。

まず一つ目は、小さ目の修正で『ムカつく気持ち』の最初の方の、

『この章については改めて説明すると飛ばしてくださって結構です。
実際、1章のところで書いたこととダブりますし、
感情的になって、私の悔しい気持ちと不快感をまとめて一気に吐き出したいだけので。

“目次”へ戻る』

ここを次のように、
↓↓↓↓

『この章については改めて説明すると飛ばしてくださって結構です。
実際、1章のところで書いたこととダブりますし、
感情的になって、私の悔しい気持ちと不快感をまとめて一気に吐き出したいだけですので。

“目次”へ戻る』

の赤字部分です。かなり細かい修正ですが、『“目次”へ戻る』からの下の文章は私の率直な気持ちをぶつけた内容と文体になり、それでも付き合っていただける人のみを強調するためにも
案内的な箇所でもある『“目次”へ戻る』から上の文体を『ですます調』に統一して差別化してみました。

次の二つ目は、小さ目の加筆で『はじめに』のページに赤い部分を加えました。

『B息子家族が帰った後も聞こえる、A婆サンの娘とBオバサンとの長く続く二人の楽し気やけに周りに響く甲高い声と笑い。
オバサン達の自分達だけの世界。』

エピソード部分に当たるところなのですが、読み返していてちょっと誰と誰が話しているのかわからないのではっきり書きました。
“で”は付け加えでなく、変更で前は“な”でした。“な”のままだと、文章を加え、さらに長文になってダラダラしたイメージがしてきたので変えました。

三つ目はかなり大きいと言うか、ブログ・ホームページともに初内容で『癌』のページの、A婆サンの人柄紹介のところです。
これが今回のブログ記事のメインに伝えたかったところです。
これがなければ上記2つの加筆・修正は、さらっと特にどこの箇所とかもなく『読みやすくところどころ加筆・修正しています』と報告だけで終わらせていました。
途中からですが抜粋します。

特に母が困り、迷惑だったのは近所のある人について、婆々サン自身が親しいくせに、親しいからこそ個人的に色々聞いている、自分しか知り得ない話・情報を平気で漏らしてくることだった。こちらとしたら『そんな話を聞かされても』って感じで。この婆サン、間違いなく他の人達に話しているだろうし。
それはもう本人への悪意としか思えなかった。

ここを次のように、
↓↓↓↓

特に母が困り迷惑だったのは、 ある近所の人について、婆々サン自身が親しいくせに、そして親しいからこそその人から個人的に色々聞いている、自分しか知り得ない話・情報を漏らしてくることだった。
例えば、A親子と親しい家族の一人の、独断的で身勝手な離婚理由話。しかもその時ですらその離婚はもう10年以上は過ぎた前の話なのに。
「婆サン、本当はその人が気に入らないのか」とさえ思う。その暴露当時、その人達家族はもう幸せそうだったので妬みの気持ちで引っ張り出して来たのだろうか。
こちらとしたら『そんな話を聞かされても』って感じで。この婆サン、顔が広いので間違いなく他の人達に話しているだろうし。
それはもう本人への悪意としか思えなかった。

といった以上の3つです。

特に離婚話については、私なりに考えさせられた話です。
シンプルに離婚話はとてもセンシティブな話なので、「例えどんなに仲が良くても“近所の人”には理由を言ってはいけないな」と思いました。
『自分(親しい家族側のオバサン)は近所ではとても仲が良い親子』と思っても、向う(A婆サン)はただの話のネタにしか思われていないこともあるなと。

きっとA婆サンも、その離婚理由話を話してきた親しい家族側オバサンの前では、空気を読んでうまい具合に聞き役を演じたでしょう、そもそも性格のよろしくないA婆サンにしたら、本人自らが話す紛れもない真実話ですし、他の人ではそんなことはめったにないことだろうし(恥晒しになるかもしれない話は人にはしないものですし)、それに絶好の“他人の不幸は蜜の味”ですし。

ただこの『親しい家族側オバサン』も単純な話では相手を納得させる離婚理由にならないことはわかっていて、それなりの自分達に非のないインパクトある話だからするのでしょうしで(結構元パートナー(離婚相手)が悪いことに仕立てたようにも。
でもクセあり婆サンには通用はしなかった。うちの母も呆れを通り越していた離婚理由内容)。
人に話そうとする時点で本意がよじれているので、どんどん話の流れ的に良くない方向に行きますね。
怖いです。

以上、そんな感じの私の感想で締めくくる今回のブログです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

離婚理由内容に関しては、実際には
『親しい家族側オバサン』→『性格がなかなかのA婆サン』→母
と言った流れで来た話なので、理由話の中身の信ぴょう性は薄くなるかもしれませんが、
話さなくていいものをわざわざ『離婚妥当』と言った感じに自信を持って他人に話す『親しい家族側オバサン』と、『適当な尾ひれをつけなくてもいいくらいの十分インパクトある話を聴けた『A婆サン』の二人からしたら、ほとんど母が聞かされた話『そのもの』のような気がします。

ここでもわざわざ離婚理由を話す『親しい家族側のオバサン』の取った行動は、『言い訳』に該当すると思います。離婚がみっともないと思っていて、自分の子供のせいではないことを言いたくての『言い訳』だったのでしょう。

*ちなみに離婚した二人の名誉のためにいうなら二人の不仲ではなかったようです。

最後になってまた更に長々となりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

最近これと言って書くことはありません

2024-02-18 20:12:05 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

最近もうほとんど園芸オバサンについて書くことはありません。
それは園芸オバサンがめっきり静かになった、大人しくなった、家からとりあえず出なくなった等でなく、
ただうるさい行動が相変わらずうるさく、ワンパターンなので取り立てて書くことはないと言った感じです。

外から特有の音波(別にふざてけての表現ではありません。ほんとうちの中へは声でなく響きとして聞こえるのです)が窓を閉めているこちらの家なかまで聞こえてくるな(音波は聞こえないので、感じるものでしょうか)と思ったら、外で園芸オバサンがいつのまに誰かと話していますね。

皆さんからしたら『そんなに嫌なら外なんて見なければいいのに』と思われるでしょう、それは確かに正解です。
しかし家の中にいると、ただ急になんだか微妙な音波を耳に感じて、部屋の中が落ち着かない気がして、これはもしかしてと思って確かめるために外を見ると、園芸オバサンがいるのです。
それが私のただの気のせいの時もあるので、特殊なうるささを感じたら確認もせず『これはあのウザい園芸オバサンの声』と決めつけるのもそれはそれで失礼な気なので、いつもいつも不愉快の原因が園芸オバサンでないことを確認するためにも外を見なければいけない気がします。
ただほぼ、91%は園芸オバサンですね。

いつしかその声を、裏声でもないのにあまりにも耳障りなため、裏声のようにも思えいつしか園芸オバサンの声を『裏声フイィンフイィン』と呼ぶようになりました。
うちの家のガラス窓を通過して聞こえる音がまさしく『(裏声)フイィンフイィン』という音波みたいなので。
これが声の大きいバージョンの時、ずっと聞こえます。かすかに『(裏声)フイィンフイィン、フイィンフイィン、フイィンフイィン』と。

そしてまたその話す様子は、相手に気に入られようとしてか愛想笑いをするのですが、それが体を大きく使った大ぶりなジェスチャー。うるさいはずです。
それにしても私に対する態度とのかなりのギャップ。

話は変わって園芸オバサンとの挨拶の話で、書きそびれていたものを書きます。1月中旬ごろでした。
夕方の住宅街、一月なのでもう真っ暗で街灯で顔がようやくわかる程度、近くのスーパーへと歩いていると向うから一台の自転車が走って来たと思ったら、こくっと頭を下げる人がいました。そう、園芸オバサン。

いつもお互い様ですが、これまでも家前で見かけつつも挨拶しないように顔避け無視をしている関係であって、このように向うから挨拶をしてきたのにも関わらず、私は“声を出せ、こんな暗い中誰かわかるか!”と心の中で逆ギレしていました。
誰だか分かる訳ない、暗い中。それにこの住宅街でない人もたくさん通っていく道なのに。このオバサンと会う前にすでにここの住宅街の人でない人ともすれ違っていたし。
それならなぜに明るい時にも『こんにちは』くらい声を掛けんか??と思う。

やっぱりこれはこの人のただの、社交辞令の『道の正面で近所の人に出くわしたら挨拶するルール』だけのことだなと思う。
私だけでなく『どの気に入らない人にもその状況下は無条件で挨拶する、ただ声を出さないのがただ唯一の自分の意志表示みたいな。』

『普段の顔背け無視』をしているので、いきなり挨拶をされても何の印象も変わらない、そんなもんなんですね。自分の気持ちにもびっくりでした。

以上、また長く話をしてしまいました。

私ももう、春が来る頃にはスマホに私のホームページのタイトルを表示させて、園芸オバサンに見せるつもりです。
何にも思わないでしょうが、私の気持ちには変化がつくと思います。

長い文章、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

予告していたので早めに

2024-02-10 20:09:39 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

前回予告していたこの前の年末の話『挨拶しないで済む新たな園芸オバサンのやり方』を早めに書いておこうと思います。

今回の話は前回よりもほんとにたいした話でなく、時間の無駄になるかもしれないのでそれでもいい方のみお進みください。

では続けますね。

『挨拶しないで済む新たな園芸オバサンのやり方』ですが、もう古い話で『新たな』はちょっと違いますが、私にしたら園芸オバサンの新手の方法だったのでこう表現しました。
この話は去年、「今年(2023年)ももう話題はないな」と思って『良いお年を』を書いた翌日の年末の話です。

私が午後、車で家に帰ってくると、園芸オバサンの孫が家の前で一人縄跳びで遊んでいました。
そしてすぐに目についたのが園芸オバサン。スマホをいじっていました。

そのスマホをいじっているスタイルは、園芸オバサンの玄関は数段階段を上がったところにあるのでその階段にどっかと腰を下ろし、足は自分宅のその時は空の駐車スペースに向けて座っていました。そのスタイルに何も問題がありません。

今時、70代の方がスマホをいじるのは当たり前です。ただこの人のこの時は、スマホをいじりながらリズミカルに時折頭を上下させ、またリズミカルに画面をぽんぽん叩くようにいじっていたのでした。
そう、このオバサン、子供に付き合うふりして孫一人楽しむことが出来る縄跳びをさせ、自分はリズムゲームか何かに興じているようでした。見る限り、何かを文章を読んで没頭している感じではなかったです。

『これなら通りを通る人を意識しないで済む、挨拶しないで済むやり方』と私も感心したもんです。道路のほうを向いているのでなく、横を向いて座っているし、下を向いてスマホを見てるし。
園芸オバサンのこの状態に挨拶をしてくる人は、よっぽどかなりのマブダチでしょう。
私的には、園芸オバサンでなくてもこんな状況の人に挨拶をする気はありません。逆に見てはいけない状況のようでさえ思えます。

この人はもともと『自分のところは頻繁に孫が来ているアピール・マウント』と、あるいは『自分は孫を世話しているアピール・マウント』『自分は孫に好かれているアピール・マウント』疑惑があるので、
私的には「もっとしっかり真面目に孫と遊んでやりなよ」と思うものです。そんな気持ちからもこんなブログ記事を書いておきたかったのです。

私が感じるに、2,30代の母親が小学校低学年の子が遊ぶのを見守りながらスマホをいじっているのとちょっとニュアンスが違うと思うんですがね、70半ばの祖母・オバアサンがする行動で。
特に普段からこの園芸オバサンの様子を見続けているので本当にみっともなく滑稽な気がします。
もちろんこの園芸オバサン、孫の面倒見るたびにスマホゲームしてるとは限らないでしょうが。
誤解のないように書きますが、私は別に70代半ばのスマホでゲームをみっともないとか言っているのでは決してありません。

私には、この人にとって孫の存在はこんなもんだとはしっかり刻み込まれました。

以上、年末に思うことがあった私でした。

このブログの内容も特に園芸オバサンとのトラブル・揉め事もないので、こうしてマンネリ化してきました。
近所で目立たなければいけない人=園芸オバサンなので、『挨拶有り無し話』とかでなく他にも「それはどうよ?人の立場に立って考えられない?それは意外と悪意?」と思うことはあるものの、それをあらためて考えるとこっちがしんどく、憂鬱になってくるので考えたくないこともあったりします。
そんな日常です。

次回のブログ内容は未定です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

閲覧者さんは少なくなりました

2024-02-07 20:19:35 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。
タイトル通りの今のこのブログの状況です。

閲覧者さん達が少なくなった理由を自分なりの分析をするなら、

⚫︎年末前の『孫を目に入れてもいたくないの話』が、お孫さんのいる年配者の多いgooブログでは反感を買った

⚫︎内容が退屈だから

⚫︎予告しながらなかなか私がBオバサンに対しての行動を起こさない

⚫︎Bオバサンから大根をもらったことがやっぱり腑に落ちない

などがあるでしょう。

ここで私なりの見解を、今回もわざわざ訪れていただいた方に『言い訳』っぽく書いても長文になるだけで終わってしまうのもなんなので、
なんとか最近の話でも書こうと思います。

と言っても特になしです。すみません。

ついこの前の土曜日の事、前にも登場した『全身一色コーデオバサン』が園芸オバサン宅にやってきて、たっぷり一時間は立ち話していったくらいです。
『寒いのにご苦労さんです』と私は書かせてもらいます。
あえてタイトルをつけるなら『立ち話をしていても通り過ぎる近所の人に挨拶しなくてもいい方法ですね。

前にも書いたような気がしますが、改めて『立ち話が園芸オバサン宅前で長時間化する過程』を書いてみます。
きっとほとんど再録になると思うので、もし『もういいよ』と思われる方はここですぐに他のサイトを訪れた方が賢明だと思います。

では話を続けさせていただきます。
『一色コーデオバサン』が『園芸オバサン宅』を訪れてからの流れです。

『一色コーデオバサン』、園芸オバサン宅の呼び鈴を押して来る(実際訪れたシーンは見てませんが、その後の状況でほぼわかります)

→家から出てきた園芸オバサンははじめドア付近で話す。
玄関は、道路から階段を数段上がったところにあるので、しばらくは一色コーデオバサンを見下ろす形で話す。
自然と園芸オバサンが顔を向ける方向は、一色コーデオバサンのいる道路側。つまり園芸オバサンは、一色コーデオバサンの後ろ(道)を通る近所の人達に挨拶をしなければいけない(一応園芸オバサン、表には出ないけど社会的立場・地位上、無視はできない)

→そのうち『園芸オバサン』は、『一色コーデオバサン』の後ろを通る人達に気をかけるのが面倒になったのか、階段を下りてきて、
道路を背にして(園芸オバサン宅を向いている形)、二人の世界で延々と話す。

この陣形なら道を行く人を気にせずにいられるし、
それに、視線を合わなくてもわざわざ後ろから挨拶をしてくる人は園芸オバサンにとって『自分を慕ってくれる人』と自動的に識別できるので、なかなか都合の良い立ち位置です。(この人にとっては、慕ってくれる人が大変重要のようです)

そしてこの立ち話中やっぱり、以前にも書いたようにこの園芸オバサン、まるで交差点の真ん中で交通整理をする警察官のように、腕を伸ばしてあっちに向けたり、後ろを振り向いて横一直線に腕を振ったりと忙しかったです。

私の帰路にこんな光景に出くわしたくないなって思います。
この人達が勝手に路上でやっていることなのでこちらが気まずくなる必要はないのだけれど、明らかに人のことを話しているだろうし、嫌な気持ちにはなる。もちろんこちらが嫌な気持ちにさせられる必要のないけれど。

そんな立ち話は一時間かそれ以上は続いていました。

そもそも以前はこの二人、仲が良くてお互いの家に上がり込んだり、食事に出掛けたりするくらいの関係だったのに(当時、仲が良いアピールを『話』として母にしていたので間違いありません。園芸オバサンはけっこう誰とも少し付き合いが深まると『あの人とは仲が良い』アピール話をしていたようです。どうも孤独な人と思われたくないのでしょうか)、それが一色コーデオバサンの事情やコロナ禍などですっかり疎遠になっていたようです。
そんな二人、いつかまた家に上がらせて喋ることがあるのでしょうか。

そして別れ際の『一色コーデオバサン』の言葉はなんと大きな声で『またな~』でした。(反対に大きな声でない『またな~』はある意味おかしい気もしますね)
まさか!と思われる方も多いでしょうが、字句そのままです。
私も『オッサンか?』と思ったものです。
しかししかし『園芸オバサン』『一色コーデオバサン』の昔からの付き合いからなら、馴れ馴れしいオッサン的この言葉も納得かもしれません。

以上です。

まただらだら長文になりました。

なんとか今回のポイントを上げるなら、

●外で人を気にせず立ち話を続けるには、二人道路側を背にして並んで話す
●疎遠になった関係もまた復活できる可能性もある

ですね。
二つ目は、この二人の関係に関してはどうでもよく放っておくとして、明るい話です。ポジティブな内容・エッセンス・ベクトルだけはいただいておきましょう。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次回はもう書く話もないので、この前の年末の話『挨拶しないで済む新たな園芸オバサンのやり方』を書こうと思っています。
私は真似したくないですが。