おひさしぶり。
ゆみつぐです。
こんにちは、今日は珍しく午後投稿です。
gooブログさんが終了されるということですが、私は一応このまま終了の日まではこうして書こうと思っています。
そしてずっと私が書こうとした話があったのですが、説明を文章にするのが難しく、
『書いては後修正』を繰り返しているうちについ先日、あらたな展開(実際はまた元に戻っただけ)があり、また書き直しかと思いましたが、
もう書き直す気力がないので、ここからは一昨日までの文章を載せておきます。
『ーーーーー』がそのずっと書いていたものそのままのものです。
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ちょっとした近所オバサンのところの変化の話です。自分は関係ないですが、このオバサンだからこそ見ているだけで嫌な気持ちになるといった話です。
今回の話はちょっと状況説明が長くなりますが、それにお付き合いいただける方、お付き合い下さい。
または、昭和の分譲・建売・狭小住宅街の事情について、少しだけ見えてくるかもしれないのでそれを少しでも知りたい方もお付き合いいただけるでしょう。
まず、昭和の分譲・建売・狭小住宅街の家の隣同士の最初の頃は、
家と家の間に
①50センチの幅の空間がある場合(屋根部分は関係なし、上を見上げれば屋根は自分の土地、50センチ幅の半分25センチのぎりぎりまであります)、
②家と家の間に共有のブロック塀がある場合(50センチの半分の25センチのところに設置)
③50センチの幅の空間をちゃんと両隣の家が確保しつつ、それそれでブロック塀を作る場合
の3パターンとなります。
①での隣同士は、その50センチの半分ずつ(25センチ)がとりあえず自分の土地になります。はっきりした半分を示す境界線はありませんが。
なのでたいてい自分のその家沿い25センチ幅空間に『植物を植えたプランターを並べて、『自分の土地だ』ということをなんとなくアピール』したり、
また普通に浴室のすぐ壁外にある『ガス給湯器』を設置していたりします。『ガス給湯器』はほぼ自分の敷地分の25センチ幅いっぱいになります(うちもです)。
そんなお隣との空間です。
昭和の分譲・建売・狭小住宅街ではこの25センチ幅空間がとても重要な空間であったりします。実際の広さなど関係なく。
で何年か前から近所オバサンがなぜだか、左隣(近所オバサン宅から見て)の家の土地である家沿い25センチ幅のところに自分の園芸プランターを置き出しているのでした。
で、わかりやすく近所オバサンのところの図です。
右のオレンジの家が近所オバサン宅。 左が仲良しお隣さん宅。灰色の線が左隣の家のブロック塀です。ブロック塀は実際もっと分厚いです。
右の赤は今回関係ない近所オバサンの右隣の家。
*共に家の後ろの方は略しています。家の形などもだいぶ略しています。
下図での駐車の仕方は、近所オバサンちでの二台置きの状態です。

そしてその真ん中の白い縦線が最初に書いた50センチ空間です。
ご覧のように、なんと左隣りさんのブロック塀越しにぴったり隙間なく自分のところの植物を植えたプランターを並べています。
奥では自分側へと並べていますが、すでに数個でも隣のブロック塀越しに並べている時点でアウトなイメージです。『親しき仲にも礼儀あり』でしょうし。
(下の図はだいたい月曜から金曜の夕方から22時くらいまでこんな感じの近所オバサンの家周り)
これって周りから見ると、不自然に見えると思うでしょうが、近所オバサンうまくやっているんです。
近所オバサンは、随分前に塀も門もないオープン外構に立て直していて、左隣の家も建て直しています。
ただこの左隣の家は50センチ空間(自分の敷地25センチ)をしっかり開けて、その内側に車庫用ブロック塀(このブロック塀というのは、家を囲んでいるのでなく、奥では建物に直結してあります)が作られています。
しかしです。そんなブロック塀の立て方で一見、先述した②の『家と家の間に共有のブロック塀』に見えてしまうんですね。隣の近所オバサンの家との共有の。
でもよく見てみると、右隣家との間の空間には奥の方では上から下りてくる排水パイプが地面に繋がっているのが見え、
これはブロック塀を真正面から見ると、はみ出ているように見えますが、ちゃんと50センチ空間の半分の25センチの間に収まっています。もちろんこれは正当な配置です。
このパイプの前に近所オバサンはプランターを置いてしまい見えないので、ほんとに50センチ空間分がまるまる近所オバサンの家の敷地に見えるのです。ちょっとした目を誤魔化すトリックのようです。
これが思い付けるのが近所オバサンのあざとさだったりするのです。
すごく考えらていると呆れながら、こう人なんだよなもとも納得してしまいます。
そもそも近所オバサンの家の図の左下中の緑の場所は、もともと自転車置き場だったんですが、外面を良く見せたい近所オバサンはいつのまにかそのスペースにどんどんプランターをいくつも置き出して『庭』のようにしだしました。家の見栄えが良く見えるようにでしょう。
それがそれに満足できず。今度は隣の家沿いまで並べてしまう図々しさ。
それでいられる図々しさ。
このオバサンの中では、自分の子供家族の車がほとんど毎夜遊びに来て、家の前に停めた時、見た目上、車が自分の家の間口と同じこと大きさに少し抵抗があって、少しでも広く見せようとしているのにも見えます。
私の考え過ぎと思われるかもしれませんが、そこまで考えるほどのずるがしこさを近所オバサンは持ち合わせているんです。でも常識的に考えるとちょっと変なんですが、そこが
左隣の家の了承をしてもらっているんでしょうが、こんなことしている家は近所にありえません。(了承をもらってなかったらとんでも野郎ですね。)
でも実際は見る人がよくよく見れば、ただ隣のブロック塀に図々しく並べていると分かる人にはわかるんですどね。
と言うのも去年のお盆、園芸オバサン達が里帰りか何かで長期留守をしていた時、
ちょうど私が二階のベランダで洗濯物を干していると、どこからかこの変な置き方をしている話を聞いたかのような若めの主婦がわざわざこの様子だけを見て確認して、すぐに去って行ったという出来事を見て、『知っている人は知っているんだな。』って実感しました。
こんなことしているのは、近所オバサンくらいです。
これが国同士なら『領土侵犯』の『侵して』ことになるでしょうね…。
例えお隣りに了承を得ていたとして、人のブロック塀に沿ってプランターを置いて、毎日ホースで水やりしている事実に、毎日人の家のブロック塀にわざわざ水を掛けているのと変わりませんし。
それを考えれるだけの頭があれば、普通やらないでしょうし、やれないでしょう。
こういうことがわからない人なんですよね、近所オバサンって。自分のことしか考えない人間。
こんな、自分の家を良く見せるためだけの欲のためにプランターに水やりする、それしか考えれない人。
それがなんと、先々週の土曜日GWの旅行前に、なんとこのブロック塀際のプランターは全て自分ち側の25センチ幅のところに置き直していました。
そうして右隣の家のブロック塀横はすっきり。何年ぶりでしょう。
私には関係ないことだったのですが、この近所オバサンの無神経ぶりさが表面化している様子にイラついていました。
が、近所の人がわざわざこの風景を観察したりしに来ているのを見てかいつのまにか「アホやなあんな置き方して」と笑うようになっていましたけど。
ではなぜ今頃、ブロック塀越のプランターを自分側に退けたのかは大体わかります。この園芸オバサン宅が長期留守の時に植物に水を上げる近所のオバサンがいるんですが、その人に『他人の塀越しに水はまきたくない』と言われたんでしょう、きっと。相手のブロック塀に水を掛けたくないので、プランターを自分側へ片付けるのが遠回しの水やり条件なのだと思います。
それくらいに考えないと、『隣りとの空間の向う側にプランターを置くことが非常識』とは思わないで来た人ですからね。家族も何も言わないで何年もいたし。急に我に返って気がついたわけでもなさそうだしで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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と完成していた文章でした。
それが最近またプランターの土を再利用の為、陽に干したり肥料を足したりしているなと見ていたら、
その後なんと、近所オバサンはそのまだ何も植えてないその土を入れたプランター2つを元の隣のフロック塀越に置き始めたのでした。
どうも置くのを辞めたわけではなかったようです。『おかしな光景』とは思わないようです。
私の憶測のように、近所の人に水やりを任せるために、近所の人が間接的(ほんとはもろに直接的)に隣の家のブロック塀に水を掛ける罪悪感がないように、長めのおでかけには自分の方へと寄せていただけのようでしたね。
もし私の憶測が当たっていたら更に私的には、
その水やりをしてくれる近所の人もきっと多分、遠回しで『人のところに置いたらいけないよ』の通告みたいなものな意味合いも込めていたと思うんですよね。こんな置き方をしているのはここしかないし、この水やりのオバサンの家のちゃんと50センチ空間の沈黙のルールを守って置いているし。
でもこの近所オバサンは人を利用する事しか考えないから、もしそんな意味で言われても、さっぱり意味を読み取れず気が付かないことでしょう。それより、自分は自分が留守の時でも水やりをしてくれる近所の仲良しがいる!の自慢位にしか思っていないでしょう。
以上。
*ちなみに近所オバサンちの家の左隣の家との間にこのようにプランターを置かないのは、出来るだけ関わりたくないし、借りを作りたくないからです。
近所オバサンの場合、見返りを求めれる『恩が売れる』時(見返りの権利を得れる気になっているのでしょう)は積極的に自分から介入していきます。
その恩を売った事実さえ、見返りのうちの一つとして、近所の民に自分しか知り得ないその人のネタとして話したり、自分がどれだけ優しいかのアピールに利用しているようです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。