goo blog サービス終了のお知らせ 

ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

挨拶をしてきた赤髪の女性

2025-05-31 21:19:04 | 私のHP

こんばんは、ゆみつぐです。

前回の私のブログを読んでいただたいた方には、今回お話しする内容はその前の話となります。

4月12日の事です。土曜日です。

なぜこうもブログ記事が前後するまでに時間がかかってしまったかと申しますと、どう書けばいいかでまた悩んでいました。
でも正直な気持ちを書くことにしました。

まず4月11日の午後の話をしなければいけません。
近所オバサンちの入口辺り(オープン外構ゆえこの表現です)がまたもや騒がしかったので、いつも通り私は窓から見ると、
黒い髪を上から赤く染めた感じの赤髪の若め(若すぎるではないです)の女性が居りまして、パッと見、近所オバサンの孫ママ友かなと思ったら、そのまま家の中へ入っていきました。

とそんなことがありました。特段何もない出来事でした。
で、それが誰かなんて知る由もなしで。

そして翌日土曜日、朝8時ごろ。
道路に面したうちの二階ベランダ(別に全面、前の道路に並行して細長い形でなく、ベランダの一部だけ長方形でいうと、辺が短い方が前の道路に面して、家横へと奥に続く形。要するにベランダで干し物をしているだけでは、私が道路側の人達の行動を見ている感じにはならないと言いたいだけです。見えるには見えますけどね。)でこの日は少し多めの洗濯物を干していたら、
近所オバサンの玄関の方が騒がしくなって、若い女性の声と近所オバサンのだんなの声が聞こえてきました。どうも出掛けるようです。

私は誰かさんみたい(近所オバサンみたいということです)に何かをしながら必死に情報収集等するつもりはなく、目の向けることもせず、流れでちょっと道路方面の場所に洗濯物を干していたら、いきなり『こんにちは』との声。
それは昨日、近所オバサンちに入って行った赤髪女性。

不意のことなので私も頭を下げて返しました。

前日の金曜日の予備知識があったから『近所オバサンちに泊まる関係』『近所オバサン旦那と出掛ける関係』とわかるけど、
いきなりだったらなんか『???』でした。

『そこに住んでもなく、近所の人に挨拶するのはなかなか出来ない奇特で律儀なこと』ですが、
普段から挨拶しないようないシチュエーション(目を合さないよう)にしている近所オバサンの関係者(近所オバサン旦那との会話からどうも親戚親族・孫のよう)にされると、正直ちょっと薄気味悪い感じでした。

目も合ってもないのに挨拶でしたし。向こうからの積極的挨拶です、しかも地上から二階の見上げたところにいる私への。
向うがこちらを見つけたので、挨拶してくれたのですかね。

たまたま向うが見上げた時に私を見つけたので?
または、自分達が騒いでいるのを、私が覗いていると踏んで見上げたとか??

どこまでも心の狭い私の被害妄想100%でシチュエーションを考えて見ても、結局、いつも近所オバサンの関係者からの挨拶は気持ち悪いです。

しかし近所オバサンの娘サンとは普通に挨拶するし(昔から知っているし)、その孫は挨拶のできない子だし。で、その『あなた誰?』の赤髪女性はよくわからない。

で、赤髪女性と近所オバサン旦那は、近所オバサンと出掛けるため、二人は外でしばらく待っていたようですが(けっこう長かった)、結局、旦那が家の近所オバサンに向かって「自転車で行くんか?」との問いが聞こえたと同時、二人は先に行ってしまいました。その後のことは私もさっさと家に入り、知らないです、

やはり普段から住民同士の挨拶は大事ですね。
お前が言うな!!って皆さんに言われそうですけど。
赤髪女性の挨拶もその風貌も手伝ってか何だか薄気味が悪いです。

近所オバサンと挨拶をする関係なら「昨日、〇〇さんちに来ていたお客さんの女性に挨拶してもらった。そんなこと、この辺ではないから気持ちよかった」と近所オバサンに喜びの報告していたところなのに、
現実、当の本人の近所オバサンが態度悪いので、あの赤髪女性の挨拶も、何だか普段近所オバサンに挨拶しない私への当てつけに思えもなく、またそんなことをする人にしか見えなくなってきます。

そう思ってしまうのも、以前母に近所オバサンが親戚親族を色々経済的にも面倒見ているなんて話していたこともあったので、
そんな金の恩から身内である近所オバサンに挨拶しないと聞かされている私への何かしらの圧力のサインを見せているかとすら思えてしまいます、これは200%被害妄想ですけど。
でも実際本当に被害者ぶるのが上手い近所オバサンなので影で何を言っているかわかったもんじゃないですけど。

『親族親類の結束が強い』と近所オバサンと仲が良い人が話していたということと、それに近所オバサンに経済的面倒をみてもらっているとなると、何か近所オバサンが辛い思いをさせられていれば100%、親類親族が近所オバサンの味方になることでしょう。普通はね。

その赤髪女性はその後も二、三日泊まっていたようです。
私、気持ち悪いから好意で挨拶してもらったと思い込むようにしていました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


この人だから嫌な気分になる・近所オバサン

2025-05-21 14:24:53 | 私のHP

おひさしぶり。
ゆみつぐです。

こんにちは、今日は珍しく午後投稿です。

gooブログさんが終了されるということですが、私は一応このまま終了の日まではこうして書こうと思っています。

そしてずっと私が書こうとした話があったのですが、説明を文章にするのが難しく、
『書いては後修正』を繰り返しているうちについ先日、あらたな展開(実際はまた元に戻っただけ)があり、また書き直しかと思いましたが、
もう書き直す気力がないので、ここからは一昨日までの文章を載せておきます。

『ーーーーー』がそのずっと書いていたものそのままのものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちょっとした近所オバサンのところの変化の話です。自分は関係ないですが、このオバサンだからこそ見ているだけで嫌な気持ちになるといった話です。

今回の話はちょっと状況説明が長くなりますが、それにお付き合いいただける方、お付き合い下さい。

または、昭和の分譲・建売・狭小住宅街の事情について、少しだけ見えてくるかもしれないのでそれを少しでも知りたい方もお付き合いいただけるでしょう。

まず、昭和の分譲・建売・狭小住宅街の家の隣同士の最初の頃は、

家と家の間に

①50センチの幅の空間がある場合(屋根部分は関係なし、上を見上げれば屋根は自分の土地、50センチ幅の半分25センチのぎりぎりまであります)、

②家と家の間に共有のブロック塀がある場合(50センチの半分の25センチのところに設置)

③50センチの幅の空間をちゃんと両隣の家が確保しつつ、それそれでブロック塀を作る場合

の3パターンとなります。

①での隣同士は、その50センチの半分ずつ(25センチ)がとりあえず自分の土地になります。はっきりした半分を示す境界線はありませんが。

なのでたいてい自分のその家沿い25センチ幅空間に『植物を植えたプランターを並べて、『自分の土地だ』ということをなんとなくアピール』したり、

また普通に浴室のすぐ壁外にある『ガス給湯器』を設置していたりします。『ガス給湯器』はほぼ自分の敷地分の25センチ幅いっぱいになります(うちもです)。

そんなお隣との空間です。
昭和の分譲・建売・狭小住宅街ではこの25センチ幅空間がとても重要な空間であったりします。実際の広さなど関係なく。

で何年か前から近所オバサンがなぜだか、左隣(近所オバサン宅から見て)の家の土地である家沿い25センチ幅のところに自分の園芸プランターを置き出しているのでした。

で、わかりやすく近所オバサンのところの図です。

右のオレンジの家が近所オバサン宅。 左が仲良しお隣さん宅。灰色の線が左隣の家のブロック塀です。ブロック塀は実際もっと分厚いです。

右の赤は今回関係ない近所オバサンの右隣の家。

*共に家の後ろの方は略しています。家の形などもだいぶ略しています。

下図での駐車の仕方は、近所オバサンちでの二台置きの状態です。

そしてその真ん中の白い縦線が最初に書いた50センチ空間です。

ご覧のように、なんと左隣りさんのブロック塀越しにぴったり隙間なく自分のところの植物を植えたプランターを並べています。

奥では自分側へと並べていますが、すでに数個でも隣のブロック塀越しに並べている時点でアウトなイメージです。『親しき仲にも礼儀あり』でしょうし。

(下の図はだいたい月曜から金曜の夕方から22時くらいまでこんな感じの近所オバサンの家周り)

これって周りから見ると、不自然に見えると思うでしょうが、近所オバサンうまくやっているんです。

近所オバサンは、随分前に塀も門もないオープン外構に立て直していて、左隣の家も建て直しています。

ただこの左隣の家は50センチ空間(自分の敷地25センチ)をしっかり開けて、その内側に車庫用ブロック塀(このブロック塀というのは、家を囲んでいるのでなく、奥では建物に直結してあります)が作られています。

しかしです。そんなブロック塀の立て方で一見、先述した②の『家と家の間に共有のブロック塀』に見えてしまうんですね。隣の近所オバサンの家との共有の。

でもよく見てみると、右隣家との間の空間には奥の方では上から下りてくる排水パイプが地面に繋がっているのが見え、
これはブロック塀を真正面から見ると、はみ出ているように見えますが、ちゃんと50センチ空間の半分の25センチの間に収まっています。もちろんこれは正当な配置です。
このパイプの前に近所オバサンはプランターを置いてしまい見えないので、ほんとに50センチ空間分がまるまる近所オバサンの家の敷地に見えるのです。ちょっとした目を誤魔化すトリックのようです。
これが思い付けるのが近所オバサンのあざとさだったりするのです。

すごく考えらていると呆れながら、こう人なんだよなもとも納得してしまいます。

そもそも近所オバサンの家の図の左下中の緑の場所は、もともと自転車置き場だったんですが、外面を良く見せたい近所オバサンはいつのまにかそのスペースにどんどんプランターをいくつも置き出して『庭』のようにしだしました。家の見栄えが良く見えるようにでしょう。

それがそれに満足できず。今度は隣の家沿いまで並べてしまう図々しさ。
それでいられる図々しさ。

このオバサンの中では、自分の子供家族の車がほとんど毎夜遊びに来て、家の前に停めた時、見た目上、車が自分の家の間口と同じこと大きさに少し抵抗があって、少しでも広く見せようとしているのにも見えます。
私の考え過ぎと思われるかもしれませんが、そこまで考えるほどのずるがしこさを近所オバサンは持ち合わせているんです。でも常識的に考えるとちょっと変なんですが、そこが

左隣の家の了承をしてもらっているんでしょうが、こんなことしている家は近所にありえません。(了承をもらってなかったらとんでも野郎ですね。)

でも実際は見る人がよくよく見れば、ただ隣のブロック塀に図々しく並べていると分かる人にはわかるんですどね。

と言うのも去年のお盆、園芸オバサン達が里帰りか何かで長期留守をしていた時、
ちょうど私が二階のベランダで洗濯物を干していると、どこからかこの変な置き方をしている話を聞いたかのような若めの主婦がわざわざこの様子だけを見て確認して、すぐに去って行ったという出来事を見て、『知っている人は知っているんだな。』って実感しました。

こんなことしているのは、近所オバサンくらいです。
これが国同士なら『領土侵犯』の『侵して』ことになるでしょうね…。

例えお隣りに了承を得ていたとして、人のブロック塀に沿ってプランターを置いて、毎日ホースで水やりしている事実に、毎日人の家のブロック塀にわざわざ水を掛けているのと変わりませんし。
それを考えれるだけの頭があれば、普通やらないでしょうし、やれないでしょう。

こういうことがわからない人なんですよね、近所オバサンって。自分のことしか考えない人間。
こんな、自分の家を良く見せるためだけの欲のためにプランターに水やりする、それしか考えれない人。

それがなんと、先々週の土曜日GWの旅行前に、なんとこのブロック塀際のプランターは全て自分ち側の25センチ幅のところに置き直していました。

そうして右隣の家のブロック塀横はすっきり。何年ぶりでしょう。

私には関係ないことだったのですが、この近所オバサンの無神経ぶりさが表面化している様子にイラついていました。
が、近所の人がわざわざこの風景を観察したりしに来ているのを見てかいつのまにか「アホやなあんな置き方して」と笑うようになっていましたけど。

ではなぜ今頃、ブロック塀越のプランターを自分側に退けたのかは大体わかります。この園芸オバサン宅が長期留守の時に植物に水を上げる近所のオバサンがいるんですが、その人に『他人の塀越しに水はまきたくない』と言われたんでしょう、きっと。相手のブロック塀に水を掛けたくないので、プランターを自分側へ片付けるのが遠回しの水やり条件なのだと思います。

それくらいに考えないと、『隣りとの空間の向う側にプランターを置くことが非常識』とは思わないで来た人ですからね。家族も何も言わないで何年もいたし。急に我に返って気がついたわけでもなさそうだしで。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と完成していた文章でした。

それが最近またプランターの土を再利用の為、陽に干したり肥料を足したりしているなと見ていたら、
その後なんと、近所オバサンはそのまだ何も植えてないその土を入れたプランター2つを元の隣のフロック塀越に置き始めたのでした。

どうも置くのを辞めたわけではなかったようです。『おかしな光景』とは思わないようです。
私の憶測のように、近所の人に水やりを任せるために、近所の人が間接的(ほんとはもろに直接的)に隣の家のブロック塀に水を掛ける罪悪感がないように、長めのおでかけには自分の方へと寄せていただけのようでしたね。

もし私の憶測が当たっていたら更に私的には、
その水やりをしてくれる近所の人もきっと多分、遠回しで『人のところに置いたらいけないよ』の通告みたいなものな意味合いも込めていたと思うんですよね。こんな置き方をしているのはここしかないし、この水やりのオバサンの家のちゃんと50センチ空間の沈黙のルールを守って置いているし。
でもこの近所オバサンは人を利用する事しか考えないから、もしそんな意味で言われても、さっぱり意味を読み取れず気が付かないことでしょう。それより、自分は自分が留守の時でも水やりをしてくれる近所の仲良しがいる!の自慢位にしか思っていないでしょう。

以上。

*ちなみに近所オバサンちの家の左隣の家との間にこのようにプランターを置かないのは、出来るだけ関わりたくないし、借りを作りたくないからです。
近所オバサンの場合、見返りを求めれる『恩が売れる』時(見返りの権利を得れる気になっているのでしょう)は積極的に自分から介入していきます。
その恩を売った事実さえ、見返りのうちの一つとして、近所の民に自分しか知り得ないその人のネタとして話したり、自分がどれだけ優しいかのアピールに利用しているようです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


一つ目の話は前にも話したことがありそうで。

2025-04-07 20:29:33 | 私のHP

こんばんは、ゆみつぐです。

特に最近何か出来事はありません。春になり、園芸オバサンの活動も活発化しているくらいで。

そんな中、もう先々週の話になってしまった今頃のような前半、以前も書いてような気もしないでもありませんが、もし読んだことがありましたら、『まだ園芸オバサンこんなことをしているの?』か、このゆみつぐに対して『忘れてまた書いているの?』くらいに軽く読んで下さい。

園芸おばさんは孫を積極的に世話しているからか(孫は徒歩10分くらいのところにもちろん園芸オバサンの子供夫婦と親子で暮らしいている。でもほとんど園芸オバサンのところにいる)、孫の友達のお母さんが訪れてきます。

そんな若い友人が訪ねて来て家先で話すシーンが時々あります。ここではっきり書かせてもらいますが、別に親しい仲に年齢はまったく関係ないですよ、逆に良いことです。ただこの園芸オバサンはなんだかうさんくさいことをするんですよ。

若い友人との会話でよく道路から聞こえてくるのは、園芸オバサンのわざとらしい『えぇー』。その時に何回も『えぇー、えぇー』と繰り返す訳ではなく、ただ『えぇー。』の一回なんですが、すごく大きな嬉しそうな声。自分で演出してお芝居しているようです。

会話を聞いている訳ではなく全然想像でしかないのですが、思わず窓から見ると、そのとてもわざとらしく嬉しそうに大きな声での『えぇー!』はどうも相手(若い友人)にとって、何か良い話(赤ちゃんが生まれたとかでなくふつうに喜ばしい事があったの報告や話)をされた時に、その驚きを表現するためのようです。相手を盛り上げようとしているようです。それがほんとに大げさすぎてわざとらしいの一言。そして声がでかいからうっとうしいのです。普通の大きさなら私も気にも留めませんが、いきなり窓外から聞こえるデカい声にうわぁって思います。「またやっているわ、あの芝居」って感じです。

園芸オバサンの相手によって態度を変える性格はよく知っているので、傍から他の人が見ると楽しそうに見えるかもしれないシーンも私には「アホくさ」としか思えません。『またこのオバサンしたでにでて、気に入られようとしているわ、そんな陽気な性格でもなく、ただただ計算高いくせの演技なのに。この若い友人、何かしらいつか見返りを求められるぞ。この人に人を喜ばせるための純粋なサービス精神なんてないから。』とそんな目で見てしまいます。

この園芸オバサン、『とっさにたまたま良い人になる、なってしまう』とかないんですよね。いつもいつか元を取るために他人に親切をしまわっているのがわかりやすいのです。

そんな最近の話でした。

話は変わって気が付けば4月ですね。『あの話が道路から聞こえて来てもう一年になるんですね』と一人に驚いています。
家に居てもこの園芸オバサンの、誰かと仲良く話している大きな声での会話アピールが窓を閉めていても聞こえるはほんとうっとしいです。

そのもう去年の五月という、一年前の話もしときます。
その少し前に近所に園芸オバサンの娘さんと知り合い(同級生)の家族が近所に引っ越してきていて(同級生と言ってももう40過ぎ)、ある日、また道路でそのお母さん(と言っても年齢的に園芸オバサンと同年代かもう少し上のおばあさんですが)がまたも道路で話していたんです。正確には聞こえて来たんです。

園芸オバサンの孫もそのそばで遊んでいたようで、どうも園芸オバサンの娘さんがピアノを弾くこと(趣味ですが)を知っていて、その越して来たオバサンが孫にピアノをやらないのかと直に聞いていた時のこと。孫は何か答えているようだがそこに園芸オバサン、孫をやる気を出させようとするかのように「女の子にモテてるよ~」と声を掛けていました、いつもながらでかい声で。

どうもこの人、何十年も前からこういった交際系の話が好きで、『男が出来た』『女が出来た』と言った交際相手が自分の子供に出来ると、それが自分にとっての自慢になることと思っているようで積極的に話し、それを話すことで優越感を得られるようです。『うちの子は持てるのよ自慢』ですね、きっと。

話している者同士お互いがそういう話で盛り上がるならすごくお互いいい仲良しぶりのコミュニケーションですよ、お間違いなく。

ただこの人の場合、聞いてもいないのにしてくるからうっとうしいのです、ただの一方的マウント。たぶんこれまできっと他人に心の中で『えぇー』とすごいねと驚いて祝福してほしかったのでしょうか。

そんな園芸オバサンの性格を知っていたので、まだ小学校の一年くらいの孫のピアノの話で「女の子にモテるよ~」なんて言葉が出て来て、
それもちょうどその時には孫はどこかの女の子と仲良く遊んでいる最中の状況下でもあったので、なんか園芸オバサン自身の欲深さ丸出しのような言葉にコイツを嫌い過ぎている私は『うぇー、きしょー。』と本気で思いましたわ。私は『今は、今の一人でいいやん。今、目の前でお互い無垢に遊んでいる子で。』って思いました。

以上、そんな話たちです。

今回二つ目の去年の五月の話は、久しぶりに勢いで思わず書いてしまいましたよ。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。


パニックになるらしい

2025-02-28 21:30:11 | 私のHP

こんばんは、ゆみつぐです。

お元気ですか?

『これからこのブログは何とか二か月に一回の割合いくらいには書きます』と書いていて、実際そんなペースになってますね。

ほんとは今回のブログ記事はもっと前から書き始めていましたが、読む人にとってなかなか難しい内容になりそうで悩んでいたのでした。

タイトルの『パニックになるらしい』はもちろん園芸オバサンです。

 

その話を知ったのは前回ブログを書いた翌日の12月31日、いつもお世話になっている近所の方に気持ちばかりの贈り物と年末の挨拶を兼ねて訪問(立ち話ですが)したときの事。(もう二か月経つのです、もっと早めに書き上げるつもりでしたが)

まず園芸オバサンについてのひとつめの話は、その方との会話でちょっとしたことで、園芸オバサンの話題が出て、私が『園芸オバサンにちょっと言ってやりたいことがある』との話になった時に、その方は『あの人は人によって、すごい良い人と言う人がいる』ということらしいです。

それを聞いた私は、園芸オバサンらしいと思ったものです。ちょっと言い方がなんですが、園芸オバサンは、自分について知らなそうな人には究極の外面(そとづら)の良さと、媚び・愛想を売るのが上手なのは私もよく知っているので、そうだろうなくらいにしか思いませんでしたね。

ただいい人だと思って付き合っている内に、それこそメッキが剥がれてくるようです。みんな常識人なら気づく感じです。園芸オバサンが究極に愛想が良さそうでも近所でほんとに仲良い人はいなさそうです。
この人に寄って来て、長話するのは嘘でもいいから近所の情報を欲しがる近所情報収集の輩たちばかり。

ふたつめに園芸オバサンについて聞いたのが、『パニックになるらしい』です。その話して下さった方が直接その場面に出くわしていないので『らしい』となっています。

それは順番巡りで何年か前に自治会の役員をしている時に何やらあったそうです。

自治会内で、園芸オバサンは何やらいくつか頼み事を受けたのですが、それを忘れて実行せず、パニックになったことがあるそうです。そして頼まれてことも覚えていないらしいです。

私としてはこのオバサンらしいなと思いました。自治会じゃなく、プライベートの話になりますが、このオバサン、普段から『ふんふん』人の話を聞いているような態度を見せますが、
『話として聞くけれど、それで終わる』のがこの人の性格なんです。自分の知りたいところだけピックアップして聞いているだけです。

また自分から素敵な提案をしてくるのに、のちに会ってもそのことに何も触れず、まるでなかったかのようにその話は消滅しています。いわゆる口先だけでいい人ぶるんです。そのくせ、自分のした事には見返りを求めると言う厄介さ。

そんなことを私も母もこの人から経験しているので、パニックはともかく、何も実行しないことは有り得るなと思います。

ただ『覚えてない・知らない態度』はこの人の身に付けた知恵のようにさえ思いますがね、とかげのしっぽのような。大阪のおばちゃんじゃないけど「知らんけど」と付けておきますが。パニックがどんな感じかはわかりませんでした。ひきつけみたいなことを起こすのかとか。

どっちみち頼んだことをしていなかったら、頼んだ方は当然責めるだろうし(自治会仕事なら、特に頼んだ方も周囲の人からほんとに頼んだのか疑われるだろうし)、だからそんな簡単にパニックになられてもとも思います。自治会の仕事で。

なので、『私がもし園芸オバサンに一言言うなら、園芸オバサンがパニックにならないように』とその相手方さんに助言をいただきましたが、私の中では『はぁ?』って感じでしたけどね。
助言して下さった相手方さんは園芸オバサンのことをほとんど知らないので、そんな助言がちんぷんかんなことはわからないでしょう。

少し話がずれますがこの、『良い人』『パニックになる』からふとイメージしたのが、いわゆる『繊細さん』(『繊細さん』という言葉をご存じない方に私的なイメージで説明しますと、『繊細さん』とは『ささいなことでも精神的にダメージを受けたり、人に気を遣い過ぎてて疲れやすい人』と言った感じです。)で、
今回園芸オバサンについて書くことによって、閲覧していただいている『繊細なかた』を無意識に傷つけるような気がして、なかなかブログ記事として書き上げれなかったのもこんな時期になった要因でもあります。

なのでこの記事を読んでいただいている『繊細なかた』に伝えたいのは、『繊細な方』は断り切れなくつい引き受けてしまうのであって、この園芸オバサンは、とりあえず聞いとくがずっと続いているような感じで、しかも人に頼まれて勘違いの恍惚感を味わっていると思います。

園芸オバサンはすごいプライドが高いから、『業務的な依頼事』を『自分へのお願い事』のように聞いていて、相手を下に見ている感じでないかな。
なので依頼事も『しなければいけない仕事』と思わず、自分がする・しないを決めるみたいに頭の中でなっていて、頼まれたことも『しない』ことも多いんじゃないかって思います。だから頼んだ方の『あの時頼んだのに!』が通じないのだと思います。

飛躍し過ぎではないか??って言われそうですが、なんかその辺の公私が混同しているような気がします。この人の普段の行動からも。

と言うことです。

 

他に後もうひとつ全く別の話になりますが、園芸オバサンの気になった行動が今月13日の木曜の午後にあったのです。いつも日中いるわけではないので、いつもこんなことがあるのかってちょっと驚いた話です。

小学生低学年の男孫がその友達数人とが、園芸オバサンの道路前で遊んでいる声が聞こえてきます。別に私的には道路で遊ぼうが気にはしませんが。

ただそのうち、何か園芸オバサンの怒る声(全然迫力がない)が聞こえて来て、

“おしっこしたの?よその家(の前)でおしっこしたの?そんなしたらダメとか何とか。”

あー、始まった園芸オバサンのいわゆる『ストリートパフォーマンス』。自分が孫の友達に教育的しつけしているシーンを見せるパフォーマンス。「近所のみんな聞いて!私はちゃんと他人の子を叱れる大人なの!」とばかり、大きな声で、それでも作った声でまるで何かのセリフのように、周りに内容がしっかり聞こえる、聞かせる話し方。ここで大きな声は必要ないのではないか。

いつも通りだな。なんでも利用する汚さ。

誰の家の前でしたかはわからないけれど、こんなに周りに聞こえるでかい声で言われたら、おしっこされた家のほうがすごく羞恥ものです。

「ここんちは、おしっこされた」てばかりに。

こういう時って近所の人間は自分のところじゃなければ全然OK、「うちじゃなくて良かった」「“あの家おしっこされた”と笑う」といったところがあるので、この『園芸オバサンのパフォーマンス』はほんとおしっこされた家への名誉棄損的でもある気がします。傷に塩塗りこむ的な。

園芸オバサンは、ここまで子供が人の家におしっこをしたと叫ぶなら、後でその家に謝りにいかないといけないでしょう。してないでしょう、この人は。とことん自分のことしか考えていないから。

正直アンタの怒りなんてどうでもいい。された側になってみろって感じです。怒るスタンスを見せつけていたけど、こんな形で言いふらすなって。

この後、子供達をどれだけ良くないことをしたか自分がどれだけ怒っているかを知らせるために全員一旦帰らせたらいいのに、それもしないです。園芸オバサンの自己満足のみが残っただけです。

自分のことしか考えない園芸オバサンをあらためて思い知った日でした。

ほんとにうるさいだけでうっとうしいのに、ストリートパフォーマンスするなって感じです。

以上、こんな感じな最近です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


まだブログ記事を楽しみにして下さる人がいるのでしょうか

2024-12-30 20:04:44 | 私のHP

こんばんは、ゆみつぐです。

もうあと一日で今年も終わりですね。

寒い日が続きますが、皆さんお元気でしょうか?

今月初めに、敗北宣言(私的には"のようなもの”ですが)を書いてからの初投稿です。

今読んで頂いている方からしたら、私の犬の遠吠え的記事にしか見えないでしょうが、特に何もないけれど今月17日のことを書いておきます。(実は当日から書き始めていましたが、書き上げたのが今日になりました)

私の休みの17日の午前、家を出たら、近所オバサンが自分の家の前を箒で履いていたのですが、私に「今からお出掛け?」と聞いた後、自分の家の前で何本も咲く濃い赤色の花をくれると言うので、断りました。もらえば、また近所の誰かにあげたことを報告するに決まっているのが分かっています(この人の『気に掛けてあげているアピールのいための行動』。自分が用がない限りはこちらすら向かない。)

いつもの私は断りの言葉は、この近所オバサンでも年上と言うことで『ありがとうございます』ですが、ここの日は『ありがとう』でした。というかこの人には『ありがとう』でいいかと思っています。もう関わる秒数も言葉数も減らしたいので。何なら『いいです』だけでも良いものですが。

実は先々週、この近所オバサンの家前路上駐車が午後3時ごろくらいから始まった日が2日ほどありました。(29日もそう)

私的にはここの家の人達は、『いつもいつも頻繁に夜、車を家の前に置くから、陽の明るいうちは家前路上駐車はなるべく控えているのかな』っとずっと気を使っているものと思っていました。明るい時間帯に確かに何時間も置くことはなかったからです。おいてもせいぜい二時間くらい。(私も常にこの人にネガティブな感情を抱くようにはしていませんよ。)

でも先週の二日間(29日もそう)は、明らかに『平気で』夜まで路上駐車をしていました。

これを見て一番嫌な気持ちになったのが、『こんな人に良心があると思い込んでいた自分』『この人に常識を期待していた私』に対してでした。まず自分にムカついています。そして近所オバサン家族にもです。期待していた自分がバカでした。絶えず自分のことしか考えていないこの人達に何を私は期待していたというのか。

実は、私も発表(投稿)するかどうかは別にして、これまでの路上駐車についてまとめて書き上がている最中でもあったので、この昼間から路上駐車の事実は、まさに私の気持ちに火に油を注がれた行為でした。『こいつらはとうとう午後も平気で置くようになったことと、無神経な人達であるこが確定したことも少し』書き加えなければいけなくなりまして。

この二日間の(29日もそう)路駐は、もう『自分勝手な連中』というレッテルをこの人達に貼るのに躊躇はしなくなる行為ではあったものの、あまりにも『いかにも』過ぎて、呆れています。『路駐をする人はとことん図々しい』のがわかりやすく体現してくれたものだと。

他の話題で先々週のことと言えば、近所オバサンのところにあの『一色コーデオバサン』が訪れていました。また何やら大きな声で一色コーデオバサンが近所オバサンの玄関前でしゃべり続けていたので気が付きました。前は1時間半以上(大袈裟でもなく実際に)しゃべっていたけれど今回はそれほど(それでも40分くらい)ではない長さでしたね。

今回も大きな声なので、内容も私の家の中まで聞こえてきました。何やら今年自治会の役員である一色コーデオバサンが、毎年年末の2日間だけ自治会で行われる夜警(火の用心、マッチ一本火事のもとと言いながら住宅街を知られるあの夜回り)について、聞きにきたようですが(28日にありました。たいてい二日間なのに、今年は一日で終了)、どうも一色コーデオバサンの本来の目的は、近所オバサンが自分ちに(4軒くらい先なのに)来ないことで、『話に来てほしいこと』を伝えたくて来たようでしたね。「最近来ないから」みたいなことを言っていましたよ。

(私の知る限りでは、私の家の前でゴミが荒らされていた話を近所オバサンがしにいったことは知っていますが)

私からすれば、近所オバサン、自分で得た情報を自己満足のため、欲求を満たすため、自分がスッキリするために人と話したいためだけに人を利用して話すのだから、普通の『気軽におしゃべり』なんて考える人じゃありません。

この一色コーデオバサンは、一度は仲が悪くなり疎遠になった間柄なんだから、その辺りわかっているかと思ったらまだまだですね。て言うかこの一色コーデオバサンは『昔からの仲』と言う立場で話すのでしょうが、近所オバサンからすれば、『自分の存在を欲するおばさん』くらいに思っているのでしょう。

見たことを全て情報源に変える近所オバサンと、あまり近所とは接触していない様子の一色コーデオバサン。一色コーデオバサンが、近所の情報が欲しくて寄ってきていることを近所オバサンは十分承知で見ぬいいているので、足元を見て、利用されてたまるか!これからも近寄らないようにしていくことでしょう。それでもただ近所オバサンも自分勝手な人なので、自分が暇になれば、寂しくなればきまぐれに話を聞いてもらいたく、自ら寄っていくことは確実でしょうけど。

実は以前にも同じようなことを言っていた他のオバサンがいました。自転車で来ていた人で、近所の人ではないようです。近所オバサンの家の前から聞こえて来た話で、その人も『最近来てくれない』と嘆いていました。

聞きたくなくても聞こえてくる大きな二人の声の内容では、逆に近所オバサンの家にその人が来た時はいつも二階の部屋で話し込んでいるらしく、二階を見上げながら、「(あそこ)しゃべり場だからいつでも来てよ」と言っていました。

この日は、訪問オバサンを家に上げもせず、それでも1時間近く外で立ち話していました。近所オバサンもこの人も自分から情報を欲しがるオバサンと見抜いたのでしょう。足元を見たのでしょう。

このことを見かけてから、関係ないかもしれないけど少し前までは、この家には誰かが近所オバサン目あての訪問しているらしいことがわかる、駐車スペースに自転車が一台停まっている様子を時たま見かけましたが、最近はほとんどと言って自転車での来訪者で全く見ません。

長時間、家の中でおしゃべりしている人はいないようです。私がタイミング的に見ないだけかもしれないかもしれませんが。それでも全く見なくなりましたね。

近所オバサンからお払い箱にしたのか、それとも相手がこの近所オバサンの性悪本性を知って縁を切ったのかはわかりませんが。

以上、自分が必要とされていると思ったら余計もったいぶる近所オバサンの話でした。でもね、この人の会話のパターンから性格が見えてくると、たいがいは寄り付かなくなります。この人に対する眼力がない私でも、見え見えに見えてくるのですから。ほんとにこの人の思っていることがわかりやすく会話に出てくるのですよ。しかも嫌な性格が。そもそもいい人ではないですから。

長々となりました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。

別にこのブログが終わった訳ではないので、来年もこんな風に何かあればブログ記事書きます。

それでは、皆さん良いお年を!!