ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

予告していたので早めに

2024-02-10 20:09:39 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

前回予告していたこの前の年末の話『挨拶しないで済む新たな園芸オバサンのやり方』を早めに書いておこうと思います。

今回の話は前回よりもほんとにたいした話でなく、時間の無駄になるかもしれないのでそれでもいい方のみお進みください。

では続けますね。

『挨拶しないで済む新たな園芸オバサンのやり方』ですが、もう古い話で『新たな』はちょっと違いますが、私にしたら園芸オバサンの新手の方法だったのでこう表現しました。
この話は去年、「今年(2023年)ももう話題はないな」と思って『良いお年を』を書いた翌日の年末の話です。

私が午後、車で家に帰ってくると、園芸オバサンの孫が家の前で一人縄跳びで遊んでいました。
そしてすぐに目についたのが園芸オバサン。スマホをいじっていました。

そのスマホをいじっているスタイルは、園芸オバサンの玄関は数段階段を上がったところにあるのでその階段にどっかと腰を下ろし、足は自分宅のその時は空の駐車スペースに向けて座っていました。そのスタイルに何も問題がありません。

今時、70代の方がスマホをいじるのは当たり前です。ただこの人のこの時は、スマホをいじりながらリズミカルに時折頭を上下させ、またリズミカルに画面をぽんぽん叩くようにいじっていたのでした。
そう、このオバサン、子供に付き合うふりして孫一人楽しむことが出来る縄跳びをさせ、自分はリズムゲームか何かに興じているようでした。見る限り、何かを文章を読んで没頭している感じではなかったです。

『これなら通りを通る人を意識しないで済む、挨拶しないで済むやり方』と私も感心したもんです。道路のほうを向いているのでなく、横を向いて座っているし、下を向いてスマホを見てるし。
園芸オバサンのこの状態に挨拶をしてくる人は、よっぽどかなりのマブダチでしょう。
私的には、園芸オバサンでなくてもこんな状況の人に挨拶をする気はありません。逆に見てはいけない状況のようでさえ思えます。

この人はもともと『自分のところは頻繁に孫が来ているアピール・マウント』と、あるいは『自分は孫を世話しているアピール・マウント』『自分は孫に好かれているアピール・マウント』疑惑があるので、
私的には「もっとしっかり真面目に孫と遊んでやりなよ」と思うものです。そんな気持ちからもこんなブログ記事を書いておきたかったのです。

私が感じるに、2,30代の母親が小学校低学年の子が遊ぶのを見守りながらスマホをいじっているのとちょっとニュアンスが違うと思うんですがね、70半ばの祖母・オバアサンがする行動で。
特に普段からこの園芸オバサンの様子を見続けているので本当にみっともなく滑稽な気がします。
もちろんこの園芸オバサン、孫の面倒見るたびにスマホゲームしてるとは限らないでしょうが。
誤解のないように書きますが、私は別に70代半ばのスマホでゲームをみっともないとか言っているのでは決してありません。

私には、この人にとって孫の存在はこんなもんだとはしっかり刻み込まれました。

以上、年末に思うことがあった私でした。

このブログの内容も特に園芸オバサンとのトラブル・揉め事もないので、こうしてマンネリ化してきました。
近所で目立たなければいけない人=園芸オバサンなので、『挨拶有り無し話』とかでなく他にも「それはどうよ?人の立場に立って考えられない?それは意外と悪意?」と思うことはあるものの、それをあらためて考えるとこっちがしんどく、憂鬱になってくるので考えたくないこともあったりします。
そんな日常です。

次回のブログ内容は未定です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。