ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

最近これと言って書くことはありません

2024-02-18 20:12:05 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

最近もうほとんど園芸オバサンについて書くことはありません。
それは園芸オバサンがめっきり静かになった、大人しくなった、家からとりあえず出なくなった等でなく、
ただうるさい行動が相変わらずうるさく、ワンパターンなので取り立てて書くことはないと言った感じです。

外から特有の音波(別にふざてけての表現ではありません。ほんとうちの中へは声でなく響きとして聞こえるのです)が窓を閉めているこちらの家なかまで聞こえてくるな(音波は聞こえないので、感じるものでしょうか)と思ったら、外で園芸オバサンがいつのまに誰かと話していますね。

皆さんからしたら『そんなに嫌なら外なんて見なければいいのに』と思われるでしょう、それは確かに正解です。
しかし家の中にいると、ただ急になんだか微妙な音波を耳に感じて、部屋の中が落ち着かない気がして、これはもしかしてと思って確かめるために外を見ると、園芸オバサンがいるのです。
それが私のただの気のせいの時もあるので、特殊なうるささを感じたら確認もせず『これはあのウザい園芸オバサンの声』と決めつけるのもそれはそれで失礼な気なので、いつもいつも不愉快の原因が園芸オバサンでないことを確認するためにも外を見なければいけない気がします。
ただほぼ、91%は園芸オバサンですね。

いつしかその声を、裏声でもないのにあまりにも耳障りなため、裏声のようにも思えいつしか園芸オバサンの声を『裏声フイィンフイィン』と呼ぶようになりました。
うちの家のガラス窓を通過して聞こえる音がまさしく『(裏声)フイィンフイィン』という音波みたいなので。
これが声の大きいバージョンの時、ずっと聞こえます。かすかに『(裏声)フイィンフイィン、フイィンフイィン、フイィンフイィン』と。

そしてまたその話す様子は、相手に気に入られようとしてか愛想笑いをするのですが、それが体を大きく使った大ぶりなジェスチャー。うるさいはずです。
それにしても私に対する態度とのかなりのギャップ。

話は変わって園芸オバサンとの挨拶の話で、書きそびれていたものを書きます。1月中旬ごろでした。
夕方の住宅街、一月なのでもう真っ暗で街灯で顔がようやくわかる程度、近くのスーパーへと歩いていると向うから一台の自転車が走って来たと思ったら、こくっと頭を下げる人がいました。そう、園芸オバサン。

いつもお互い様ですが、これまでも家前で見かけつつも挨拶しないように顔避け無視をしている関係であって、このように向うから挨拶をしてきたのにも関わらず、私は“声を出せ、こんな暗い中誰かわかるか!”と心の中で逆ギレしていました。
誰だか分かる訳ない、暗い中。それにこの住宅街でない人もたくさん通っていく道なのに。このオバサンと会う前にすでにここの住宅街の人でない人ともすれ違っていたし。
それならなぜに明るい時にも『こんにちは』くらい声を掛けんか??と思う。

やっぱりこれはこの人のただの、社交辞令の『道の正面で近所の人に出くわしたら挨拶するルール』だけのことだなと思う。
私だけでなく『どの気に入らない人にもその状況下は無条件で挨拶する、ただ声を出さないのがただ唯一の自分の意志表示みたいな。』

『普段の顔背け無視』をしているので、いきなり挨拶をされても何の印象も変わらない、そんなもんなんですね。自分の気持ちにもびっくりでした。

以上、また長く話をしてしまいました。

私ももう、春が来る頃にはスマホに私のホームページのタイトルを表示させて、園芸オバサンに見せるつもりです。
何にも思わないでしょうが、私の気持ちには変化がつくと思います。

長い文章、最後までお付き合いいただきありがとうございました。