ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

別にトラブルもなく

2023-10-21 20:33:20 | 私のHP
こんばんは、ゆめつぐです。

最近は特にトラブルはないです。

トラブルはないけれど、最近よく目に着くのは園芸オバサンの立ち話ですかね。
気候も良くなったので、偉く長い立ち話です。
空耳かなと思ったら、道路に居ない時はありません。
もう何度も書いたように、はしゃぐように大きな声を出したり、ヒソヒソ話に急に変わったり。
この人の特徴は、よくジェスチャーを交えて話すことですね。
例え陰口や悪口でなくても、『されている人』『それを遠く傍から見ている他人』に不快で嫌な気持ちを与えかねない印象を受けかねない、人の家を指さしたりするんです。
あまりに園芸オバサン、遠くの時は腕を伸ばして指し示したり、近くならグーにしながら親指だけを出して指し示したり、そういう風によく振り回すことがあるのでついつい見てしまいます。
うちの事を話す時に背中を向けていようものなら、後ろ向きのままいかにも「ここの家は」と指差してきましたね。私のかなり過去からの経験でも、この人が他人の話題で話を持たせるのは知っているので良い印象は全くありません。
『後ろ指』を差されるって言葉がありますが、動作的な本当の動きはこのことを言うのだろうと考えますね。

皆さんの中には『園芸オバサンの家前でよく話すということはそれだけこの人の家を訪れる人が多いの?』と思う方もいらっしゃるでしょう。
10%くらいの人は用があって訪れて自ら呼び鈴で呼び出しているようですが、
他はその名の通り『園芸オバサン』なので園芸関係作業でよく外にいるので、通り掛かるお互いお気に入りの人としゃべるんです。(そんな話も前に書きましたね。)最近までプランターの植物の植え替え時期か何かで頻繁に土を干したりしていて、よく外にいました。
近所の人は年金生活者ばかりで暇なのか時間とネタが許す限り、1時間近くは話しています。
私には嫌いな人と、嫌い人と話す人達なんで鬱陶しいだけです。

他にはあと特に目立った話は、
園芸オバサンは公人ではないけれど、はっきりとした社会的立場・信用がある人と思われているのでしょうといった話です。(近所付き合い良く好印象・社交的とか自治会の役員もしたことがあるとかのレベルでもなく。しかし私的には社会的立場・信用があったとしても「この人なら立場的に悪いことはしないだろう」の方だと思います。)
つい一週間ほど最近の話。

近所で老夫婦とも施設に入り、今は無人だけれど手放していない家(時々その家族が車でやってきます)があり、そこが騒がしいので見てみると、なんと園芸オバサン。
門扉の内側に居て、ポストを開けて何やら確認しているようでした。
最初この光景に『私、ついにこの人情報集でこんなことまで!』と思ったのですが、
午前の明るい中、人目のつくところでそんなことするが訳がなく、どうも頼まれているようです。
夏頃はその人の家の前に並んだ、植物の枯れたままの2つのプランターの土を処分し綺麗にして重ねて置いたりしたので、そういう関係でしょう。
もう家人はこの家には帰ってこないだろうに、いつまで郵便受けの整理までこの人はするのだろうとは思います。よほどの急ぎで必要な郵便内容のものだったのだろうかと考えてみますが、わかるはずもありません。

きっと誰にかにその行為を問われても園芸オバサンは「私、頼まれているの!」とまた嬉しそうに『頼られているアピール』かのように、大きな声で周りに聞こえるように話すのは目に見えています。しないはずがないがないです、この人は。そのためにしていると言っても過言ではないでしょう。l

それから一週間経たずにまさに昨日、老夫婦家族(老夫婦は来ていないよう)が車で来て、園芸オバサン何かしらの報告をしに訪問していましたね。
やはり周りに聞こえるような大きな声で話していました。

人と話すのがご機嫌なのはいいのですがちょっと大きな声過ぎで五月蠅いです、正直。

書き出すと長々となっていく私ですが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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こちらは本編の“母に最期の日々を綴ったホームぺージ。
https://haha-iyasu.wixsite.com/haha-iyasu01

もうひとつ、ページ作成しました。

2023-10-10 21:13:29 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

今回は“Bオバサンとのあの二年目の出来事以降の話”を新ページとして、
三つ目のホームページの『三周忌前頃のBオバサン』の次に新ページを作りました。

前回の新ページ『お礼の中身』はあまりに他愛ない内容でしたのでこのブログへの掲載はしなかったのですが、
今回の新ページ『ただの傍迷惑、大きな声』は、“Bオバサンのいつもどこかわざとらしくも感じてしまう不必要なほどの大きな声はこういうために使っているのか”と知った日の話で、私的に“Bオバサンらしいやり方”に思うんで、ホームページ飛ばなくてすぐここで読んでもらえたらなと思い掲載します。

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※『ですます調』はべったりとした説明口調になりがちなので、ここのページでも『である調』で進めていくことにする。

本編『はじめに』のページの怒りにも繋がっていった話である。
似たような話でもあるけれど。
Bオバサンとのあの二年目の出来事以降の話である。

普段から私の家の中にも聞こえてくるBオバサンが道端で誰かと話す、とりわけ陽気で元気な喋り声。

時折、一瞬で声を潜めてヒソヒソ声に変え、また戻れるならそれを常時、周囲への心配りに使えはしないだろうかとも思う。(もちろんこの人は耳が遠くて声が大きくなりがちでも、元々大きい声でもない。)
そんな時は周囲の近所に安易に聞かれてはヤバい話をしているのだろうか。

そんなある日(正確には母が亡くなって3年目の夏を迎える時期)、この人が大きな声をかなり意図的に使っていることをはっきり自分的に気づいた日がやって来た。

Bオバサンが孫と自分の家の前ではしゃぎながら遊んでいることがあった。
玄関前に置いてあるたくさんプランターの植物に水を上げたついでにオバサンの家前の道路で遊び始めるようだ。
楽しそうな声はこちらの家の中まで聞こえてくる。まぁ、狭小住宅地なので当然だが。
BオバサンがA親子とならともかく、賑やかに孫と遊ぎ、騒ぐ声まで目くじらを立てたりするほど、気持ちの余裕がない訳でもない私は苛立ちはしなかった。
“おばあちゃんと孫が遊ぶ様子。
孫にとってもおばあちゃんと楽しい時間。今しかない貴重な時間”
そう多少、無理矢理にも綺麗に思えるので意外にも冷静でいた。

その日もまた孫と負けじ劣らず大きな声ではしゃぐBオバサンに「一体何をしてそこまでそこまで盛り上がっているだろう?」と好奇心そそられ、窓の外を覗いてみると、(公道なので何もおかしくはない。)そこには想像通りに上機嫌なBオバサンと孫が普通に楽しく遊んでいた。

それまでも出掛ける時や帰宅時には通り過ぎながらその風景はよく見かけていたものの、こういった風に窓からまじまじと見るのは初めてである。

『孫と遊んでいる光景は微笑ましいはずのもの』と見ていると、
なんとその内Bオバサンが、A親子宅の道路に面した掃き出し窓の方を何度も何度もチラチラ、チラチラ見ていることに気が付いた。

どうしてA親子の家を意識してんの?
孫と夢中で遊んでないの?

その理由はすぐに分かった。
大きな声を出せば、その様子を聞きつけて窓を開けて顔出してくれる、あるいは外に出てきてくれる、それをBオバサンは狙っていたのだ。
出て来たら、孫とを遊んでくれるし、可愛がってくれるしで。
孫がいれば特に用がなくても話題がなくても、自分の孫の話を中心に進むし。
騒ぎ声はA親子を誘い出す呼び水に使っていたのであった。
それまでもよく三人あるいは四人で、しょっちゅう道路で騒いでいる姿を見かけていたものだ。

道理で大きい声を出さなければいけないはずである。
道理で私の家の中までこの人の声が聞こえるのは当たり前のはずである。

呆れた。
本当にあきれた。
普通に孫と遊んでいてテンションが上がっていたものとばかり思っていたのに。

きっとBオバサンは賢く日本神話の『天岩戸』のシーンをまねたつもりなのだろう。

そして私は呆れ果てて思考停止、見るのをやめた。
その後、出て来たか知らない。興味なし。

しかし別の日にはしっかり四人ではしゃいで遊んでいたので、あのやり方は大抵うまく呼び出せることができるのだろう。

そんな楽しい時間に見えるような、種明かしのような場面を見てしまうと、その以降の、孫やA親子の居ない他の状況でこの人が誰かと話して大きな声を出しているのをみても、その『声の大きさ』の裏にこの人の何かの意図や思惑みたいなのがあるようにしか思えなくなっていった。
それまでの私に対しての、この人の小声での話し掛けとそうでない時の使い分けのやり口もこんなことと関係しているのだろうとも思った。

それにしても自分でもはっきりと思うのだが、あの『言ってもいいんかなぁあ、言ってもいいんかなぁあ』の件がなければ上記の場面もきっと、「bオバサン、孫と楽しんでいる所を見てもらいたいんだな」くらいにしか思わなかったのだろうと。

こんなBオバサンとA親子の日常である。

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以上です。

ちなみにうちの近所の道路では普通に、見守る母親達とその子供達がかなり元気に遊んでいる光景が見られるので、
もし近所の人がこのページを読んだとして、通りで騒いでいることだけで私がうっとうしがっていると思われ、受け止められるのはまったく心外なのでかなりに言葉選びや文章運び・文章作りに時間が掛かりました。

はっきりと書いておきます、『大きな声を利用しているのがうっとうしいのです。』と。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

上記、新ページ『ただの傍迷惑、大きな声』を加えた三つ目のホームページ。

こちらは本編の“母に最期の日々を綴ったホームぺージ。
https://haha-iyasu.wixsite.com/haha-iyasu01