ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

今回も進展はありません、すみません。

2024-09-18 22:57:56 | 私のHP
こんばんは、ゆみつぐです。

今回もまだ私は何も動き出せてはいません。
もし何かしらの進展を期待して訪れたならこのブログにいらしたならすみません。

それに今回のブログは特にかなり長く、その内容も相手にイライラさせられた内容なので、何かしらの進展を期待されていた方は他の方のブログに移動された方がいいと思います。

ということで始めていきます。

どうしてこうも投稿が遅くなったかと言いますと、
今回の一番目の話(8月20日の午後の話)は、正直気にする話でもない話かなと思いまして、悩んでいましたが、
二番目(9月3日の夜の話)の話の出来事があった時、「もうこの人無理。限界。」となりまして、ならば一番目の話も載せて置こうと考えました。

そうしたら二番目の話がわかりやすくなる、もっと前にあった出来事も載せておこうとなり、書いている内に文章はとんでもなく長く、こんなに時間もかかりました。
正直、2つ目の話から二週間ほど経ったとは思えないほどの時間の経過でした。

そのたいしたことない一番目の話から始めます。

8月20日の午後。
近所のおばさんの家の駐車スペースには旦那の軽ワゴンが入っていて、
家の前には工事関係のような軽ワゴンが停められていました。

軽ワゴンなので、すっきり近所オバサンの前で収まっています。

この人の家の前なので車を停めようが勝手と言っちゃ勝手なのでしょうが、
この家、夕方になると旦那の車がすでに駐車スペースに置いている時は(ほとんどそのパターンが多い)、学校帰りの孫を預かっている近所オバサン宅へ、近くに住む娘が車で迎えがてら3~4時間、自分ちの前に停めるので、
私にとっては、いつも車を家の前に停めている印象で、そんな工事関係のようなイレギュラーな車の駐車も気になります。
気になりますが、仕方ないです。
でも家の前の娘の駐車は正直嫌ですね。

まぁその日も、私もその工事関係っぽい軽ワゴンを避けて、出ていくしかなく車で近くのスーパーへと出掛けました。普段からのいつもことなんですが。

で二、三時間で帰ってきた時もまだ軽ワゴンが泊まって、私が自分ちの駐車スペースに入れていたら、
私の車の音を聴いたらしく急に二階ベランダの窓を開けて、近所おばさんとその小学生二年の孫、そしてもう一人孫の友達らしい小さな男の子もこちらを見ていました。

もう一度見たら、孫だけがそのまま二階ベランダから私の方を見ていました。嫌らしい笑顔でこっちをじっと見ているんです。普段も挨拶もしない孫なので気味悪いです。

私が車を降りた頃にやはり家から出てきて、自分ちの家の前に車があることで話しかけるてくる近所オバサン。
謝罪のわりに笑顔の笑い声を含んだテンションの大きな声で話してきます。

『ビアノの調律しにきてもらっているの』とご機嫌。

この家の前に車を置かれているのは別に慣れているし、私は普通にバックでカーブしながら入れることは出来るので「別にいれらますよ。大丈夫ですよ。」と説明。
すると近所オバサン、『男の子だから入れられる』とか何とか言ってました。

夜は私が車で出掛けている間に、娘がでかい車でやって来て家の前に停めている場合は、
帰って来た私が車を駐車スペースに入れている間も二階のベランダから覗き見していても何も言ってこずの完全無視なのに、娘の来訪以外は正当な駐車とでも思っているのかよくわかりません。

『ピアノの調律』の言葉を聞いた時、

“はい、これでしたか、これが外で言いたくて、周りに聞こえる大きな声で言いたくて、出てきましたか。
近所に聞こえるように、私に気を遣っているアピールですか?
いつもとは違う理由で家の前に車を停めていることを周囲にアピールですか?”
そんな気持ちになりました。もうこの人の『良い人ぶりっこ』は鼻についているので私もこんな気持ちにしかなりません。

この時、孫の友達みたいな顔も覗いていたので、もしかしてその親もいてその手前、良い人ぶりたかったかもしれないとかいろいろ考えてしまいました。

それだけならまだしも、この近所オバサンが私に色々話しかけている間中、ずっとベランダにいた孫がでかい声で汚い言葉を何やら叫び続けているんですよ。
私は完全無視。この子が幼稚園時代の頃にもそんなことがあったので、無視。見上げもしません。もうそれから成長したかと思ったら、まだやっている。
ほんとうるさい。
でも無視。
そしたら、なぜか嬉しそうに近所オバサンが、「『おいこら』やって」、とか「『くそばばあ』やって」とかわざわざ実況してくるんですよ。
この近所オバサンが何しに出て来たかなんかわかっていないように。

こんなことをするのは私にだけのようだし、挨拶もしないのだから(その数日後、またも夕方、この時は自分の家から娘のでかい車で乗って来た時、、私が挨拶したら、母親は挨拶するが、息子は一瞥して無視。その後、母親が「なんで挨拶しないの?」とばかり息子の頭をじわーと触っていて、気持ち悪い家族って正直思いました

嫌な感じですしかないです。
近所オバサンも黙らせるとかもさせないのかと思います。
気持ち悪い家族です。

いつもはこの孫、小さい可愛いらしい声で『ばあば!、ばあば!』なんて呼んでいるのにね。

普段からへんな家族なので別に気にするだけ損だと思ってこのことはブログに書くつもりはなかったのです。

それからの日が経ち、(9月3日の夜の話)。

最初に書いておきますが、近所オバサンについて、
母の件もあり、
また普段は、『背中向け無視』、『私が家から出るとすぐに家に入る無視』、『孫と外にいても二人こちら無視』、そんな状況下で親切心を見せられても無理です。
『そんなことをしておいて親切心なんて感じられるか、このボケは!』はと思う。
それを前提に読み進んでください。

夜7時前くらいの周りが暗くなり始めている中、私が家周りの植物に水を上げている最中、近所オバサンはいつまに自転車で帰ってきて自転車を家に置いて出て来たようでした。

そこで話すのは、先週の土曜のゴミ回収日の早朝に、私の家の前でゴミ袋の中が飛び出て散乱していたとのこと。おばさんいわくカラスが荒らしただろうと言っていました。

(この辺りのゴミ出しはたいていゴミ箱に入れて出すのですが、私はそんなにゴミの量がないので、袋のまま出します。猫荒らし対策に柑橘系のスプレーをして出します。
これで荒らしに一年に一回合うか合わない(5年に二回くらいの記憶)くらいしか被害はあわないのでゴミ箱に入れません。
ゴミ箱の場合、蓋や本体が風で飛んで道の真ん中等に転がっていく可能性もあるので、そっちのほうが迷惑を掛ける場合があります。そういうのをよく見かけるので。)

近所オバサンは旦那に相談し、旦那が「片付けてあげたら」と言われたので掃除してくれたそうです。
これは感謝です。100%感謝です。
(ちなみにその日は私はゴミを出していなかったのを後々思いましたが、その時は特に思い出しもしませんでした)私の家の前でもあり、もちろんしっかりお礼は言いました。

その後がだんだんとこの人の嫌らしい感じが前に出てきまして。

なんと片づけの際、しっかりゴミの中を確認したとのこと。ちらっと見えたとかでなく。
びっくりでした。
私ならどんな気持ち悪い物や汚いものが入っているかもしれないので、薄目で始末するでしょう。得体の知れないもので一日嫌な気分になるものが入っているかもしれないし、目に焼き付いてしまうかもしれないのに。

なんでそこまでするのだろうかと疑問に思いました。
きっとこの人は、『犯人』というか『ゴミの出し主』をはっきりさせたかったのでしょう。
後から思ったのは、そのゴミの中から探し出すべき物はもうこの人の中では決まっていたと思います。
というか、『いつもゴミ袋で出していて』、『私の家の前』ということでほぼ確定されているでしょうし。
(お向かいもゴミ袋で出していますが…)

前にもブログに書きましたが、うちは猫を飼っていて、周辺には猫を飼っている家はありません。なので荒らされたゴミの中に『猫の餌袋』『猫関係の物』や『用を足した後の猫の砂を包んだ広告チラシ』(この話は以前にブログに書きました)があったら私が否定しようが、私のゴミと確定です。

皆さんからしたら、猫の砂に混じっている言っても汚い猫の糞を見ることになるようなリスクを取ることはなるではないか、と思われるでしょう。
でも昔、近所オバサンは猫や犬を飼っていたからわりと平気でしょうし。

何より私が思うのは、私のゴミと確定したいのと同時に、
以前、宅配新聞に入っている自分の家と娘の家で溜まっている広告チラシの提供の申し出を断った(この話も以前ブログに書きました)ので、
新聞もとらずに広告チラシのない状態で、今何を使って猫の砂を包んでいるのか・も自分の目で確かめたかったのでしょう。
自分の気に入らないことがあれば、とことん突き止める人なのです。

またこの人の頭の良さから、『ここまで(こんな汚いものを調べてまで)して裏を取って私は情報を発信している』と近所に示したいのでしょう。(この後でもう少し説明しますが、それを示すように『一色コーデオバサン』のところに行きます。私に話したことは全部話したのでしょう)

やみくもに『捨てるために捨てた』汚いかもしれないゴミを調べる人なんかいません。

で結局見つかったのは、煙草の吸殻だそう。しかも煙草の吸殻だけを一つの袋にまとめて入れてなく、袋にばさっと入れていたようで。

近所オバサンは私が煙草を吸わないことを知っていたので、私のゴミでないことははっきりしたのはいいのですが、
この後、近所オバサンは自分のお気に入りの自分の家横並びの家の人は犯人にはしたくないようで、

『○○さんも○○さんも○○さんも○○さんも○○さんのとこも煙草を吸わないから』と次々名前を上げていくのです。

それぞれの家の事情を知っているのは全然構わないんですけど、このいちいち名前を連呼していくこのやり方がなんとも薄気味悪く。
この人らしい『かばうほどの近所仲良し』アピールにしか聞こえなくて、ほんと気持ち悪かったです。
「この辺知っている人は知らないけど」くらいでいいと思うのですが。
よほど私のゴミじゃないのが気にくわず、やけくそだったのかと。

結局、近所オバサンはゴミ回収業車の人が、どこかのゴミをしっかり回収車の中に投げ入れなかったからこうなっただろうと勝手に結論付けていました。

近所オバサンはその後も、市にゴミの片付けのお願いの電話をしたり(告げたくなかったけれど自分の名前を告げたことに不服そうで)、自分のエリアの自治会班長に報告しに行ったり、そのことでこの人の嫌いな自治会長(これもブログに書きましたね)も動いて、話を聞きにきたそうです。

労力を使い、良い事もしている割には、あまりありがたくなくなってくる近所オバサンの話。
自分の班長へのに報告も最初からそうするつもりでなく、私の家の前と言うことで私のエリアの班長(私はもう自治会非会員です、前にブログに書きましたが)に報告に行くつもりが留守だったので、自分のところの班長に報告しにいったようです。
それも今年のこの人のエリアの班長は、二時間以上立ち話する一色コーデオバサン(前にもブログに登場したあの人)。「〇〇さんもゴミのことで前にあったから」と言い訳のように言い出した時には「それは報告ではなく、ただ色々自分が立ち話をしたいからじゃないか」と私は思いました。

そんな近所オバサン、この話だけでは、なんか誰のか分からないゴミをただ片付けただけになってしまうことに危惧したのでしょう。
この人がしたいことは、私に世話をしてあげ、気を遣ってあげての恩着せなのに、これではただの『いい人』と思われて終わってしまって意味がないのです。

さらにどれだけ私に気を向けているかのエピソードを語りだす近所オバサン。
それはいつの話かは特定しなかったけれど、ある日うちの前に介護タクシーが停まっていて、タクシーの運転手が何度も呼び鈴を押していたそう。

私に何かあったと思って『介護タクシーが来たことに』『何度も呼び鈴を押していることに』近所オバサンは心配して出て来たらしいです。

先にネタ晴らしをすると、うちの住んでいる所は住所の番地は、それぞれ戸建てであるけれど何軒かまとまって同じ番号で、それが原因で表札が自分の目あての名前でなくても平気で呼び鈴を押してくる人がよくいます。

今回もそういうことです。それは数件先の家の人が呼んだ介護タクシーでした。その家の人も家の前に出てきて待っていたそうです。

タクシーの運転手に対して「名前が違うでしょ」と注意したらしいですが、近所オバサン、「心配と言うより情報が欲しくて出て来ただけでしょ?」と思います。
介護タクシーが必要なほどのことが私に起こったと勝手に妄想して、これこそ極めつけの恩を着せれると。
なのに運転手の家間違いだったことに振り回されたことを知って、ただ近所オバサンはキレたけだと思います。
運転手さんもかわいそうです。関係ない人に注意されるとは。

近所オバサン、『いい人ぶりたい』けれど、ただの『いい人』になりたくない。なにか見返り(情報・恩着せ)がないと動かないのです。(皮肉にも母が元気な頃、近所オバサンの大親友・A婆々さんが言っていたそうです、『あの人は、色々してくれるけど見返りを求めている』って。)

その後、私は家間違いされる数例を話してあげましたが。

この二つの話のうち、
最初の掃除だけが近所オバサンにとって私に『してあげた』ことになるでしょうが、
でもゴミは私のものでなかったことで、近所オバサンにとって完璧でなかっただろうし、
二つ目のエピソードなど、ただ運転手の間違い振り回されただけの話で、『いかにも心配して出てきてあげて、間違ったタクシーの運転手をきつめに注意してあげた』としても、恩を着せれたまで実感を得るレベルにはなっていないでしょう。

そして近所オバサンはついに言いました。
「これから時々、ベランダから見てあげるわ」
公式としてベランダの覗きを宣言する近所オバサン。

いやいや『日頃の自然装い無視』をする人が何をほざくか。
この翌日からも『自然装い無視・視線を向けなければ挨拶対象にならないルールで必死にこちらを向かないようにする無視』している人間が。

恩着せを待っているが、挨拶はしないか

これまで幾たびも二階ベランダからこちらをちらちら覗き見する(家の前などは決してしない、挨拶しないといけないから。視線を向けないで挨拶回避の無視をするため)オバサンの視線を感じて、私が睨み返していたので、
その気まずさを解消できると思ったのだろう。
賢いやり方。

それも無期限っぽく聞こえる、言っただけで『恩着せ』にできるなる恐ろしい言葉。だからと言ってこちらが困っていたら必ず助ける決まりでもない。
自分が覗くことを公言し、認めさせただけ。
それで、この人は近所仲間に『私にいつも気に掛けてあげている』究極『世話をしてあげている』と言いまくるんでしょうね。

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ここからは話が前後して分かりにくくてすみませんが、これから書く話はこのブログにも書いた迷惑路上駐車(3月4日)の話、その数日後の話でまだ未発表のものです。

これもまたなぜ当時に投稿しなかったかと言いますと、この話でメインとなる部分が『隣のオバサン』の一言で、でもそこまでのエピソードもけっこうなかなかで、でもそれにしては説明がややこしいなと思っていたので発表はしなかったのでした。

でも今回のブログ記事で『近所オバサンが自身のことを良いように思われたくしていること』を書き続けてきたら、そのことにも関係ある(裏付けるような)『隣オバサン』の一言だったことに気が付き、発表することにしました。

それはブログにも書いた近所オバサンの迷惑路上駐車の車がぶつけられた週末の土曜日(3月9日)、
近所のオバサンの路上駐車のことでテンションを上がっていた余韻が残る中、なんと朝、うちの前に全く見知らぬ自動車がでーんと停めらていました。
どうも隣の家の改築に来た業者の自家用車で、なんか気を遣いながらも駐車しているのですが、どうみても私の家に用事で来た車にしか見えません。

まぁ、うちの車も出られるよう、向かいの車も出られるように気をつかっているのですが、気の遣い過ぎで別の家の車の出入りの邪魔になる置き方をしていたんです。
つい先日、近所オバサンの路上駐車がぶつけられたのに、この状況は明らかにまずい。

で仕方なくお隣に事情を説明しに出向きしばらく立ち話をしていると、その車の持ち主が気が付き、車に乗って去っていきました。
この時の立ち話で近所オバサンの話題になったのですが、なんと隣オバサンに「○○さんに世話になってるんやろ?」と問われ、驚いた同時に完全否定しました。
普段は挨拶すらせず、近所としての少しだけやり取りがあったくらいなのに、どうして『お世話になっている』ことになるのやら。
隣オバサンもそれ以上何も言わず、何を言いふらしているかはわかりませんでしたが。

挨拶を避けるため、体・顔を背けたりするし、そのくせ情報収集のため二階ベランダから覗いたりするのに、私が『近所ネットワーク』に繋がってないことを良いことに、こんな風に近所オバサンの都合の良い事を言っていることを知って、正直あのババアだけは許せないと思ったのでした。

もちろん隣オバサンにはこんな話はしませんでした。する時はもっときつい話をしなければまた中途半端に終わりますから。近所関係って気をつけなければこっちの足元すくわれますから。

まぁ、近所オバサンが私のことを心配・気に掛けているような素振りをしなければいけない理由で思いつくのは、
前述したように、この人の家の前、午後5時過ぎから9時または10時、遅い時は11時頃まで、月曜から金曜まで娘子が車でやってきて、家の前に駐車していることへの誤魔化しでもあるでしょう。
『世話をしてあげていること』にして、その見返りとして暗黙でその駐車は認めてもらっているようにしたいのでしょう。
どう見ても誰が見ても、自分の土地の間口の同じ長さの車を停めてあるのって変ですから、私が良ければそれでいいって感じで、誤魔化そうとしているように思います。
他の家には迷惑はかけていないしで。近所って自分が迷惑かかっていなければどうでもいいところがありますね。

以上、とんでもなく長くなりました。
ここまで超長文にお付き合いいただきありがとうございました。

でももう完全に無理です、あの人。
堪忍袋の緒が完全に切れています。

もう二度とあの人のマウントに付き合いたくはないし、聞きたくもありません。
今までと違って、かなり気持ちははっきりしています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。