かちゃら@ハナハナ☆ワーホリ的生活

つれづれ日記とワーホリで行ったオーストラリアのお話など・・・

(23)オーバーランド

2007年09月06日 | タスマニア
いろいろあったけど、このオーバーランド・トレッキングは、野生児の私に新しい世界をおしえてくれた。心がぎゅっとつかまれたような感じだ。

6日間のうち、初日だけ晴れていて、あとの5日間は雨か曇りだった。100円カッパは10分も歩くと、どんどん雨が染み込んでくる。スニーカーもあっという間にビショビショになる。歩けば歩くほど、背中のバックパックが重くなっていく。頭の中はチョコレートやらステーキやら、常に食べ物のことを考えている。でも私は、そんな修行僧のような生活さえも楽しく思えるくらい、トレッキングが好きになっていた。

とくに記憶に残っているのは、タスマニアで1番高い山、マウント・オッサに登ったこと。コースの途中で、道の脇にバックパックを置き、小さなリュックを背負って頂上を目指す。まるでロッククライミングのようなかなりハードな登りだが、頂上からの景色は圧巻のひと言だ。緑の大地にポコッポコッとそびえ立つ山々が、海原に浮かぶ小島に見える。タスマニアの大地は果てしなく美しい。

霧で景色が見えない日が続き、クレイドル・マウンテンにも登れなかったけど、タスマニアの自然のもっと深いところに触れることができたような気がする。帰国後、テレビで屋久島の原生林をみた時に、“オーバーランド”の風景に似ていると思った。自然に呑みこまれる。そんな場所だった。

   
左:ドーブ湖へ下る道。友達が撮影したもの。     右:レインフォレストが美しい
    



雨女が行くとこんなんですが…


晴れ男が行くとこうなります。


6日間の修行を終え、俗世に戻ったケイさんと私は、近くのショップに駆け込み、マグナムという名前のチョコがけアイスクリームを食べ(私は2本食べた)、夕食は巨大なステーキバーガーにかぶりついた。最高!幸せ-!

幸せをかみしめながら、もうイヤ、もう勘弁!と思いながら歩いていたオーバーランドにまた行きたいと思っている自分に気付く。

その後、私はホバートで登山用品を揃え、バッパーで知り合った子から勧められた“フレンチマンズ・キャップ”という2泊3日のコースに、今度は1人で挑戦した。ここでは、ヒザまで泥に浸かりながら沼地を1時間歩いたり、雲海がみえる山の頂上でオーストラリアで初めて雪を見たりと、ひとり旅とはまた違った、ひとりトレッキングの楽しさを知ることになる。

ところで、最近は“オーバーランド”の話をめったに聞かない。ワーホリで歩いている子はいるのだろうか。気になる。




  
左:“フレンチマンズ・キャップ”の雨で水没した板張りの道。ここを歩きます…。
右:膝までドロドロ。ほかの人の足跡がたくさんあります。


ハイ?ここ登るんすか?!というありえない標識に従って登ると…


写真: 頂上にはご褒美が!オーストラリアで初めて見る雪。



さて、トレッキングが終了し、クレイドルマウンテンの近くにあるロッジで1泊した翌日、ケイさんはホバートに帰ったが、私はそのまま西海岸のストローンに向かった。太陽が沈む西側はなぜか元気がないと聞く。そういえば、オーストラリア本土や日本の伊豆半島や能登半島もそうだった。西側は町が少なく、栄えていない感じがする。タスマニアもそうだった。

ストローンへ向かうバスに乗り換える時、数時間だけ滞在した鉱山の町クイーンズタウンは、ハゲ山に囲まれ、自然豊かなタスマニアでは異色の町だった。ストローンへ向かうバスからの景色も、緑が少なく、枯れ果てた印象だった。

ストローンはそんな僻地に突然あらわれる小綺麗な港町だ。リバークルーズが有名で観光客が多く、また旅人にはカモノハシに会える町として知られている。宿泊したYHAで、Peoples parkという公園の遊歩道で出会える聞き、ドキドキしながら行ってみたけど、残念ながら会えなかった。

ストローンに2泊した後、ホバートに戻った私は、後回しになっていたホバート観光に出かける。観光といっても、ただフラフラ町を歩くだけなんだけど。町は大き過ぎず小さ過ぎず、のんびり見てまわるのにちょうどいい。週末開かれるサラマンカ・マーケットでは、かわいい雑貨が沢山売られているので、あれもこれも買いたくなってしまい困った。お土産用にいくつか買い、日本に郵送することにした。

ホバートから、再びトレッキングに行ったり、土ボタルが見られるというルーン・リバーに行ったり (土ボタルツアーを行っていたYHAは現在火事でなくなったらしい)しているうちに、いつのまにかタスマニアに来てからか2ヶ月近く経っていた。

私のワーホリもあと6ヶ月。あれ?もう半分過ぎたというのに、まだ半分もラウンドできていない!このペースだとオーストラリア全部をまわれないんじゃないの?と心配になった私は、2週間後に本土に帰るフェリーのチケットを購入した。

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