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フランスの生活に影響され、朝と夜が変わる?

2021-01-21 20:35:39 | 日記
今日は、フランスのホームスティの続きを、、、

やはり旅の体験は、いつまでも忘れることができない。また、知識が増えて、自分の血となり肉となっていく。実際、フランスから帰ってきてから、かなり私たち夫婦は影響された。

リオンの少し南に、グルノーブルという市がある。16万人が住む街なので、都会と言ってもいいと思う。一番長く、滞在したのがこの街だ。

そこのマダムは、軍医の妻で自分も看護婦として勤務していた。リタイアして、悠々自適に暮らしていたが、以前も書いたが、お料理が得意という事と、自分もタッパーウェアをこよなく愛していたので、リストリビューターをしていた。

フランスのキッチンは、オーブンが多い。4つぐらい備え付けで、システムキッチンがある。2つは普通だ。(電子レンジは別にある)そこで、活躍するのがターパーウェアなのだ。

私は、むかーしむかーし、母が使っていたのを記憶していたが、なんかサラダや飲み物なんかを入れる、コールドプレートのイメージしかなかった。(ごめんなさい、日本でもありますよねオーブン用)そこのマダムは、とにかくオーブン用のそれを使っていた。出てくるお料理も素晴らしいので、たぶん口コミで広がるのだろう。

私は、かねてからもし、訪問販売の機会があったら一緒に連れて行ってほしいと、お願いしていた。すると、滞在中にそのイベントも入れてくれていた。友人宅で、マダムがお料理をタッパーウェアで作って、デザートまでも作る工程を見るのが、とても楽しかった。

マダムは、60歳ぐらいだったが、友人は70歳を超えていたと思う、そのお嬢さんも来ていて、みんなでお料理を作った。そこでも、やはりテーブルクロスをひいて、カトラリーを並べ、前菜から頂く。タッパーウェアで作ったチョコレートケーキは、簡単でとても美味しく、日本でも再現できたぐらいだ。

楽しくおしゃべりをした後は、自分のほしい料理道具をオーダー表に記入してもらう。私は、こんな経験は二度と、できないと思った。フランス人は、プライドがあって、英語は話してくれないと聞いていたが、全く違った。私がフランス語ができないので、一生懸命、英語で話してくれる。通訳をしてくれ、やっとわかることもあるが、お料理や食事に言葉はいらない。

マダムのマンションに帰って、私も日本にタッパーウェアを持って帰りたいと言った。普通は、オーダーして配送となるので2,3日かかるが、ある程度マダムが在庫をもっていたので、その中から、選んで買って持って帰ってきた。もちろん、今でも使っているし、とても重宝している。お部屋をボランタリーで提供してくれていたので、少しはマージンが入ってよかったとホッとした。

お料理はもちろん、マダムに簡単なフランス家庭料理を教わり、デザートもできるものを紹介してもらったので、帰国してからも作る。美食の国、フランスで私は、クッキングスクールに行った以上に学んだ。

特に、すっかり変わってしまったのが、ブレックファーストだ。主人も、影響された。朝は、クロワッサンにコーヒー、ティー、(クロワッサンは、近くウレットモールにデリフランスがあるので、冷凍しておく)ヨーグルト、オレンジジュースかフルーツになった。前までは、卵やソーセージを焼いたりしていた。もう焼くことは、めったにない。

初日に、ショコラティエの家に招待され、泊まらせていただいたので、朝、ココアパウダーから作るホットココアが出た。素晴らしい手つきで作る姿にすっかり、魅了されてしまった。

近くの、(実際は、山なので車で行くぐらいの距離)ベーカリーでクロワッサンを買ってきて、それをすぐにオレンジジュースとココアで食べた。最高だ。子供のころから、クロワッサンをカフェやココアに浸して食べるそうだ。

まだまだ、私たちの生活は彼らのおかげで、変わった。

特に、夜ベッドで寝るときに、裸で寝ることだ。どうも、ほとんどのフランス人が素っ裸で寝るらしい。下もつけないという。夜トイレに行くときや、さすが子供がいるご家庭は、パンツぐらいはくようにしているようだが。

当たり前のように、言われ、私たちもやってみろ、ぐっすり寝れるし、体が温まると言われた。
いやだぁ~うそだろ!

日本の冬は部屋が寒い。しかしだ、、、、実際は、彼らが正しかった。最初のフランスから、3年以上経っている。我が家には、パジャマもないし、毛布もない。シーツだけでいいのだ。(上は羽毛布団だが、冬だけ)そして、体調はすこぶる良い、風邪もひかない。


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