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音楽療法、音楽教室、障がいを持つ子供さんのピアノ指導、緩和在宅音楽療法、アマティーナ愛知弦楽合奏団

戦争を知らない子供たち

2013-08-15 | 日常話

 

8月15日の終戦記念日がやって来ました!
この日が来ると亡き母がいつも決まって言う事は、
腕の火傷をみつめながら、「絹子も三郎も学徒動員で死んでしまって・・
私が一番末になった、」2人は母の妹と弟の事です。
「四日市の大空襲で店も家も焼かれてな~
兄さんたちが戦争から帰ってくるまで私とおじいさんで
守っとったんやに~」...
母は気丈に祖母と祖父と戦火の中をくぐり抜けたという話を
何度も聞いた。
「逃げる途中なぁ~赤んぼを背負った人がいたけど赤んぼは
死んどったんやんわ~かわいそうやった」
そんな母は語り部のように、戦争体験をいろいろな所で
話していました。

父は陸軍の学校に行き、今で言う卒業アルバム
見せてくれました。
父の若い頃の写真は全て軍服、
演習の模様や当時の最高責任者の校長の写真もありました。
終戦の後、父は残務整理のために呉や京都に行かされたとも
話してくれました。
父が健在の頃は父と苦楽をともにした戦友と呼んでいた方が
たずねていらしたのを覚えています。

私にはそんな戦争の話ししかわかりませんが、悲惨な日本が
ここまでになったのは先人のお陰でありましょう。
二度と戦争の無い日本になるために、真実をきちんと語り継いでいく事も大事な事だと思います。

画像は父の卒業アルバムより・・・

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2 コメント

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8月15日… (飯田貴子)
2013-08-16 18:20:49
♪ぴあのんさん♪…こんにちわぁ~…飯田貴子でぇ~す…\(^○^)/

昨日は…8月15日…お盆であるとともに…終戦記念日なのですよねぇ~…(^L^):偶然の一致かな?
そう言われてみれば…貴子の子供の頃は…戦時中の…悲惨な話をしてくれる…中高年の方が…身近な所に…いっぱい…いらっしゃった様な気がしますよぉ~…(-_-):暗ぁ~い話です!
幸い…貴子の身近な親類には…戦争で亡くなった人はなく…貴子家の本家の実家も…空襲では…焼け残りましたので…戦争の悲惨さの…実感は…そんなには…なかったですねぇ~…(^Θ^):ラッキーでした!
焼け野原の日本を…再建できたのは…当時…大人だった方々の…大変な…努力の結果であることは…間違い無いでぇ~す…(^人^):先人に感謝!
色々と…考えることが多くなるのが…8月15日ですよねぇ~…( ̄! ̄):フゥ~ム!

それでは…またぁ~…貴子でしたぁ~…(^0^)ゞ
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Unknown (飯田貴子さま)
2013-08-16 21:05:54
私の母方の弟妹がなくなりました!
母の従兄も手首から先が火傷でくっついて
丸い手になっていました。

多くの方の犠牲になられ今の私達が有ると思うと
やはり、8月15日は大事な日だと感じます!

本当に先人に感謝感謝ですね!

いつも有り難う御座います。
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