チハルだより

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終わらない宿題

2008-09-13 | エッセイ


 夏休みが終わっても、宿題ができていない…時折、そんな夢を見るのです。
 子どものころ、実際に、そのようなことは(多分)ありませんでした。どうしてか、宿題は先生からの挑戦状、なんて思っていた私です。とりあえず、受けてたってみなくちゃね、というスタンスでした。できばえはともかく、新学期までには一通り、なし終えていたはずなのに…なぜ、このような夢を見るのでしょう? ひぐらしの絶唱に目を覚まし、窓から吹きこむ朝風に、秋の気配を感じつつ、肌布団にくるまって、うつらうつらと考えました。
 夏休みが近づくと、毎年わくわくしたものです。なにか特別な、扉が開いていくような予感さえ、ありました。ところがいざ夏休みが始まると、ヒマでヒマで退屈で、やっかいな休み時間が、永遠に続くような錯覚に、幾度もとらわれていたのです。そんな呪縛を払うべく、小さな志を打ちたててはみるものの、あえなく挫折の味を知る、その繰り返しだったように思います。
〈今年こそ泳げるようになりたいな〉という願望は、何度も溺れた恐怖ののちに果てました。
〈本を百冊読む!〉という宣言は、十冊ほどで早々、撤回。数にとらわれると、内容を楽しめない、というのが言い訳です。
〈今年の自由研究は、大学ノート一冊分、お話を書いて本にする〉という目標は、何ページで見失ったのか、もう記憶にもありません。覚えているのは、あのころ書いたお話は、ほとんどが起承転転。結が宙をさまよう、未完のオンパレードだったということのみ…。
 なんて中途半端な人間かしらと子どもなりに自覚したものでした。それでもいつかは、もっともらしい大人になれるんじゃないのかな、と、あふれる希望をふりまいて、未来を信じていたのです。
 大人になった私はいま、仕事を休んでも、ヒマな感とはほど遠く、楽しい時もつらい時も、永遠でないことを知っています。
 母親にもなったから、わが子を笑って見ていられもするのです。わくわくと夏休みを迎え、あれもこれも、やりかけては投げだして、さんざん遊び、そのうち、ヒマでヒマで退屈で、と、ふくっれつらする娘たち。それは、毎年の見慣れた情景でありながら、夏の終わりになればふと、それぞれの成長も感じます。葉陰でひっそりふくらんだ、青柿みたいに目立たないものではあるけれど。きつくなった上履きや、雷におびえる小犬を抱きしめてやる横顔に、ちらちら、ほのめいているのです。
 いっぽう私は少しでも、この夏、成長できたかな…終わらない宿題の夢を見させる真因は、このような疑問にあるのかもしれません。


■京都新聞 2008年9月2日 丹波版 口丹随想


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