投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

検定途中の日本の教科書に韓国は何の資格があっていちゃもんをつける!

自分らが本当に無礼な態度をとっていることに気づかないようだ。

つくづくチンピラ国家だな、と思う。


http://japanese.joins.com/html/2005/0315/20050315204539100.html

【コラム】「少数説を強調し、史料引用は恣意的に」



日本の学界の一部が韓国古代史を歪曲してきたのは昨今のことではない。 今回の扶桑社の検定申請版教科書(以下検定版)は、古代東アジアの国際関係に対する偏向的主張を執拗に拡大再生産してきた結果物だ。 特定事実に対する解釈レベルの問題ではない。 検証されていない話に比重を置いて紹介したり、史料を批判なしに利用するのは、歴史叙述の基本に背くだけでなく、中学校の教科書として全く適していない。

代表的事例を注意深くみると、「帯方郡の中心地がソウル付近にあった」(27ページ)という主張が、今回新しく登場した。 帯方郡は、後漢末(3世紀初)に公孫氏政権が韓半島南部と倭地域を統制するために設置したものだ。

帯方郡の中心地は、中国系古墳・遺物とともに「帯方太守」という文字が彫られた煉瓦が発見された黄海道鳳山(ファンへド・ボンサン)地域というのが、韓日学界の通説である。 それなのに突然、帯方郡を取り上げながら少数学説を紹介した理由は何か。

これに関して検定版で注目すべきことは、韓国史に占める楽浪郡の位置である。 巻末の年表を見ると、韓国史の場合、楽浪郡を冒頭に載せている。 漢四郡以前に厳存した古朝鮮を伝説時代として否定する植民史学の伝統がまだ残っているのだ。

中国は殷から、日本は縄文時代から表記しながら、韓国史の出発を漢が設置した楽浪郡としたのは、韓国の歴史が遅く、それも外部勢力によって他律的に始まることを示すためだ。

帯方郡は楽浪郡が属した漢四郡ではないが、楽浪郡と同じく中国勢力の統治機構である。 帯方郡の中心地がソウル地域にあったとすれば、中国勢力が韓国史の展開に及ぼした影響力をさらに拡大し、前面に押し出せる好材料であるに違いない。 これに着眼し、敢えて少数学説を電撃採択した可能性が高い。

帯方郡と漢四郡が韓半島北側地域に対する他律性論の根拠なら、南部地域で他律性の例として強調したのがまさに「任那日本府」説である。 古代日本の大和政権が韓半島に出兵して伽耶(任那)地域を支配し、百済(ぺクジェ)・新羅(シルラ)に強力な影響力を行使したというものだ。

今回の検定版には任那日本府という用語はない。 だが、大和政権が伽耶地域に拠点を置いて軍勢を利用し、高句麗(コグリョ)の南進を挫折させたという(32~33ページ)叙述は、過去の任那日本府説の論旨そのものである。 むしろ大和朝廷が「高句麗に対抗して韓半島南部の支配を認められようと」中国南朝に朝貢した(33ページ)という内容を追加し、広開土(クァンゲド)王陵碑と「宋書」倭国伝の記録を恣意的に引用することで(33ページ)、従来の主張を強化した。

検定版は国際関係面で、古代日本が韓半島国家よりも優位にあったと何度も強調している。 古代東アジアの最高文明国は中国だが、日本はその先進文明を受け入れながらも7世紀以降、対等な外交関係を持続した半面、三国と統一新羅は中国に朝貢することで政治的に従属した、としている。 検定版がそのまま通過すれば、読者は古代東アジアの歴史像を巨人中国と成人日本、そしてその間で中国に依存して辛うじて立っている矮小な体躯の韓国として記憶するはずだ。

キム・チャンャbク江原大歴史教育科教授・韓国古代史


2005.03.15 20:45

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