投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

中世ヨーロッパの生活 - ジュヌヴィェーヴ・ドークール(白水社)

 
1975年12月10日 第1刷発行
1993年5月20日 第9刷発行

フランスで1944年に刊行。9度版を重ね、訳の底本は1968年版。Geneviee D'HAUCOURT<La vie au Moyen Age>の訳本。 訳は大島誠。

中世ヨーロッパの住居についてのみメモ。読んで思ったのだがこの本が後に語られる中世ヨーロッパの暮らしのイメージの基本になっているのではないか。平安京も便所は無くて街に暮らす庶民は街角で用を足したそうだが中世のパリも同じで道は糞だらけだったと書いてある。生ごみも道に捨てる。臭いは失神するレベルだったと。失神した人もいると。街には事故が起こって禁止されるまでは豚や犬が走り回り、その汚物の片付けに貢献していたらしい。

P30
大きな部屋が一つ。人々はそこで生活していた。フランス西部の農家はほとんどが近年でもそうであった。農民の住まいであり同様に市民の住まい、また領主の、さらには高級裁判官の住まいでもあった。土の壁か石の壁かの差でしかなかった。富の差は付属する建物の数の差。ブドウ酒の穴倉、倉庫、小屋、納屋、家畜小屋。家族が単婚家族でなくなると部屋を増やす。

ここで思いだしたのは映画「ゲティ家の身代金」。映画の舞台は1973年のイタリア 。ゲティ三世が監禁された農家にはトイレが無かった。

P31
聖ルイ王(ルイ9世 1214年4月25日ー1270年8月25日)は食事、応接、就寝も何人かの近習の騎士と同じ部屋ですごした。王妃は下の階で同じように暮らした。修道会は壁や布などで個室に区切った。機能単位に区切った。都市は建物は上に拡大した。二階は外にまっすぐな階段があった。三階は二階の部屋から階段で繋がっていた。

窓は油とか蝋を引いた紙や布、柳もしくは普通の木でできた格子組が用いられた。戸締りをするには目の詰まった木の鎧戸を使い、地階では家の外側かに、階上では内側に取り付けられた。水は井戸、公共の水汲み場から。便所は出来るだけ外に張り出した小屋か川の上、壺、桶が用いられた。

P35
街の通りは一般的に石が敷かれていない。聖ルイ王はパリでマントに「尿瓶 」の中味をかけられてしまった。人が通る時刻ではなかったので持ち主が合図しなかったため。

(2024年4月 西宮図書館)
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