投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

韓国人は皆「自分は両班の子孫」と言うけれど…

2015年のメモです。




記事入力 : 2015/07/05 06:07

韓国人は皆「自分は両班の子孫」と言うけれど…


韓国人は皆「自分は両班の子孫」と言うけれど…
クォン・ネヒョン著『奴婢から両班へ、そのはるかな旅程』

 筆者は『壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)と東アジア』というテーマでしばしば講演を行っている。そのたびに、ほとんど必ず出て来る質問や意見がある。その一つが、質問者の家門で活動した人物が、学界で「正しく」評価されておらず、残念だというもの。実際のところ、これは質問というより、その人物を「顕彰」してほしいという要請、もしくは研究者がなぜその人物の価値を分かってくれないのかという抗議に近い。こういった質問をする人物は、大抵が高齢者だ。また宗家や宗親会事務局の高齢者が、壬辰倭乱のときに義兵将や軍人として活動した、自分の家門の人物に関する本を送ってきて「うちのおじいさんをよろしく」ということもある。そのたびに筆者は、既に「おじいさん」といえる人物が「うちのおじいさん」を顕彰してほしいと、自分よりずっと若い筆者に丁重に連絡してくる、韓国社会の「家門」というメカニズムを感じる。

 筆者の知人が、興味深い話を聞かせてくれたことがある。彼の妻の母親が、韓国戦争(朝鮮戦争)の際に北朝鮮を脱出して韓国にやって来たとき最も当惑したのが、族譜のことを尋ね、家門を尋ねる韓国人の姿だったという。そもそも勢力ある両班(ヤンバン=朝鮮王朝の貴族階級)がほとんどおらず、平民もしくは奴婢(ぬひ)出身者が近代以降商工業に従事し、中産層に成長した韓半島(朝鮮半島)北部の人々にとって、農耕文化に基づいた韓半島南側の「家門文化」は時代錯誤的に見えたことだろう。筆者の祖父もまた、平安北道から南にやって来た。一族は「両班の子孫」だと主張するが、そうでないこともあり得るという思いを抱いている。古文書研究者のアン・スンジュン先生によると、15-17世紀には朝鮮の人口の半分以上が奴婢だったということなので、筆者の血のほとんどは「奴婢」に由来するのかもしれない。

 朝鮮王朝時代後期から徐々に身分制が崩れ始め、奴婢は主人の家から逃亡したり、あるいは懸命の努力で奴婢の身分から抜け出したりする道を選んだ。そうしてこんにち、韓国の人々は皆、自らを「両班の子孫」と信じるようになった。クォン・ネヒョン先生は、著書『奴婢から両班へ、そのはるかな旅程-ある奴婢家系200年の記録』において、スボンという奴婢の一族が社会の最下層身分から抜け出して平民になり、両班階級にアプローチする至難のプロセスを追跡した。筆者の血管には、両班よりも奴婢の血の方が多く流れているはずで、筆者は市中にあふれる両班家門や朝鮮王朝の支配者に関する本よりも、こうした本の方に引き付けられる。筆者は、いつか「朝鮮奴婢文化史」という分厚い本が韓国語で出てくるとき、ようやく韓国学は完全な学問になれると信じている。クォン氏の著書は、その未来に備える預言者のような存在だ。

金時徳(キム・シドク)ソウル大学奎章閣韓国学研究院教授

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/04/2015070400469.html




「そもそも勢力ある両班(ヤンバン=朝鮮王朝の貴族階級)がほとんどおらず、平民もしくは奴婢(ぬひ)出身者が近代以降商工業に従事し、中産層に成長した韓半島(朝鮮半島)北部の人々にとって、農耕文化に基づいた韓半島南側の「家門文化」は時代錯誤的に見えたことだろう。」
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