投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

武士道とエロス



日本の近代の風俗を調べているときに読んだ本。男色の話である。最初はこういう話に違和感があったのだがだんだん慣れていくもの。近代日本の民俗・風俗についての本の数をこなしていくうちに違和感が無くなってくる。慣れていくものだ(笑)。

氏家 幹人 「武士道とエロス」 講談社現代新書

武士道とエロス

講談社

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1995年2月10日第1冊



著者は1954年福島県生まれ。東京教育大学文学部卒。日本近代史専攻。


男色の話である。

メモを読み返してみると明治・大正・昭和期の文学作品と著者についてのものだけしか残っていなかった。

本の題名が「武士道とエロス」であるから、主に戦国時代から江戸時代の侍の世界について書かれてある。備前岡山の池田藩では異性間のものより遥かに激しい同性間の色恋からくる刃傷沙汰の多さから侍の男色を禁じたとか、鳥取藩では参勤交代などで供をさせる任期付き採用の奴は身長・容姿をそろえた美青年を集めて自慢したとか・・・。

鳥取藩のものは男色ではなくて殿様が男好きというか、今でもそういうのってあるんじゃないかと思うのだが、衛兵の容姿を統一するとかそういう感覚なんだと思う。

おおっぴらな風俗であるから女性も気にしていない。あるお殿様に輿入れした姫様は輿入れ先の家来が殿様のその方面の遊びを姫様に遠慮して禁じたことを知り、「私はそんな狭量な女じゃないわよ」と「殿様、さ遠慮なさらずに」と言ったとか。

男色の対象となる年代は元服から三十代くらいまで。稚児の期間はかなり幅がある。その期間がすぎると普通に異性と結婚するとか・・・(これはなんか今の感覚から見ると不思議だ。オカマは永遠にオカマかと思っていたのだが、それとは全く違うんだな。私がその世界のことに疎いだけかもしれないが・・・)

江戸時代の青年は現代よりはるかにピカピカと光輝いていたようだ。

日本に限らず元来「武」の世界で生きる男の間では洋の東西南北を問わず男色というものがあった。日本も古代ギリシャ・ローマの戦士もヨーロッパ中世騎士、ニューギニアの戦士、皆そういう習慣があった。

武士・騎士・戦士の同性愛、これは彼らが生きた非常に過酷な世界、生死をかけた戦場が彼らの生活の場であったことに関係する。女性が身近にいないということではない。男同士の友情の延長線上として同性間の恋があるというもの。

任侠の世界も同じで義兄弟とは本来同性間の契りをさす。

戦国の世に非常に盛んだった男色は、平和な江戸時代になり廃り始め、末期には陰間茶屋として細々と坊主の趣味として残るのみとなる。

最後までその風習が残ったのは薩摩藩。ここでは客人が来ると「お茶にするか、稚児にするか・・・」という習慣がつい最近まであったという。薩摩藩に限らず西日本には少なからず(というか普通に)残っていたようで、庶民の間でも盛んだった。山口県あたりでは男と男の関係を隠語で「チング」という。朝鮮の言葉であることは明白。韓国の軍隊内での男色の激しさは有名だが歴史ある習慣なわけだが、この著作は「武士道」に限っているので庶民がどうであったなどは書かれていない。

江戸などで一旦廃れたかにみえた男色が復活するのは明治になってのこと。何故かといえば明治の立役者たちを出身地を思い出せば想像がつくことと思う。

ということで以下のメモに続く。



以下メモより

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p65 川端康成は大正5年(1916)春、数えの18歳で大阪府立茨木中学校の寄宿舎に入った。1年間同室だった下級生「清野」との恋を体験した。昭和23年(1948)の「少年」には二人の関係が当時の日記を引いて描かれている。

p58 桜か梅か
昭和30年(1955)6月~9月、読売新聞に連載された「東京繁盛記」
作家の木村荘八
一対の中学生の少年が舟遊びする情景を「桜か梅か」と表している。

p58 森鴎外
「ヰタ・セクスリアス」
私立のドイツ語学校
十一歳で入学(金井しずか)
十三歳で東京英語学校入学
男色に悩まされる
主人公は森鴎外

p72 志賀直哉
「君と私」
大正2年(1913)白樺の四月号~七月号に連載されたこの本は学習院の少年愛流行にも、モデルに志賀直哉自身が登場することにも、不服を申し立てていない

p73 志賀直哉自身、明治44年(1911)「濁った頃」で男同士の恋について書いている

p79 対象9年(1920)
国民新聞に連載された里見「桐畑」
男色熱を過去のものと扱っていない

明治33年生まれの稲垣足穂
明治の美少年パニックの風潮は「大正期に入るとともに、ようやく影が薄れた」(宮部外骨の美少年論)大正期の自由主義導入の結果、青少年間に鍛錬(きびしさ)が欠乏し、したがって美少年的なものが跡を絶った。

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