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倭人への道 人骨の謎を追って - 中橋孝博(吉川弘文館)

 
著者は1948年奈良県生まれ。1973年九州大学理学部生物学科卒。1978年九州大学大学院博士課程中退。九州大学名誉教授。博士(医学)


2015年6月1日 第1刷発行


骨考古学の本。同じタイミングで「新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造」を読んだ。遺伝子の分析結果と合わせて比較しながら読むと面白い。

北九州に残る渡来系弥生人の骨格は江蘇州にある春秋戦国時代の遺跡である揚州胡域遺跡から出る人骨と同じ。時代は紀元前10世紀。似た骨格は韓国南部の礼安里遺跡からも出るがそれより北の人たちとは異なる。日本列島に中国南部から船で渡ってきたとすれば対馬海峡の南北にたどり着くのは自然だ。水稲稲作を日本にもたらした人たちは直接海を渡って中国の南部から来たというのが最近の考え方だが骨格から見てもその説が支持された形になる。別に朝鮮半島伝来の支石墓に眠る人の骨格は縄文人のもので、朝鮮半島の支石墓に眠る人の骨格も縄文系があるとか。これも縄文人の行動範囲が朝鮮半島に及んでいたという説に繋がるし、支石墓は渡来系の水稲稲作民文化では無かったという話にもなるかもしれない。

では縄文人の骨格を持つ人のルーツはというと東アジアには見当たらないとのこと。また縄文人の骨の安定同位体分析から彼らは木の実や穀類へのカロリー依存が80%もあったということから、カリウム過多の生活をしていたことも分かる。これは貝塚での干物の製造や製塩土器での製塩による塩への依存、カリウム過多をナトリウムで中和する食生活、農耕民に近い食生活の説明にも繋がると思う。


この本も「日本人になった祖先たち」も同じ課題を出している。それは現代日本人は鎌倉時代の人と変わりはないということは分かるのだが、それ以前の時代、古墳時代から奈良平安にかけて何かあったのではないのかという事。身長が古墳時代はそれまでより高くなる。鎌倉時代から低くなる(奈良平安の骨は火葬の普及や埋葬の仕方によりサンプルが少ない)。遺伝子的にもその時代に何かあったのではないのかという数値が出るらしい。何かあったとすれば倭の五王の時代なのかもしれない。


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P40 バイカル湖 マリタ遺跡(2万8000年前)アフォントヴァ・ガラ遺跡(2万4000年前)。人骨出土。扁平な顔面。上顎の歯にシャベル状切歯。現在の北東アジア人に見られる特徴。萌芽。


P41 礼文島 船泊遺跡 人骨 本州の縄文人に類似しているがP40とは違う。北部九州弥生人とも違う。オホーツク文化人(5C)の流入まで待たなければならない。


P44 アメリカでは先住民研究はほとんどできなくなっている。ケネウィックマン(現在の先住民とは直接関係ない。さらに古い先住民) 2006年新たな裁定が成され制限付きで研究だけは継続できることになった


P46 東大 徳永勝士 HLA遺伝子群の多型解析 アイヌと南米の先住民(北米の一部とも)のつながりが示唆される結果


P103 安定同位体分析 千葉県古作貝塚(縄文後期)木の実や芋類へのカロリー依存 約80%


P104 安定同位体分析 骨に含まれているコラーゲン(タンパク質)を構成する炭素と窒素の安定同位体(化学的性質は同じだが原子量が異なる元素のこと 炭素は原子量12、13のものも全体の約1%存在 原子量14の窒素についても15のものが0.4%比率で存在)の含有率から古代人の食生活を明らかにしようとするもの


P110 身長
縄文人 ♂157センチ ♀146センチ
渡来系弥生人 ♂163センチ ♀152センチ
土着系弥生人 ♂158センチ ♀148センチ
古墳人 ♂163センチ ♀152センチ
鎌倉時代 ♂158センチ ♀145センチ


P115 縄文人のプロポーション
前腕/上腕 下腿/上腿の比率が欧米人並み
こうした四肢遠位部の比率は自然環境とかなり相関する


P154 縄文人の起源
東アジアに類似する集団が見当たらない


P155 約5000年前 山東半島 大汶口遺跡の骨格 九州の縄文人の骨格 全く異なる


P157 縄文人
中国南部 柳江人に似たパターン
山口敏 骨格の形態


P158 オーストラリア東南部 キーロー人(後期旧石器時代)港川人とともに縄文人の先祖候補 溝口優司


P163 ネグリト フィリピン、マレー半島、アンダマン島など東南アジア 低身長が特徴 沖縄の貝塚後期人との共通性


P169 東アジアの変形頭蓋
韓国南端 礼安里遺跡(古墳時代)前頭部扁平
ロシア沿海州(新石器時代)前頭部扁平
長江下流 坪◇(土へんに敦)5000年前 後頭部変形
丁公遺跡(龍山文化 約5000年~4000年前)60%頭部変形
青島市 北◇(阝+千)遺跡(大汶口文化 約6000~4000年前)頭部変形


P172 種子島 広田遺跡 100%後頭部が変形
赤ん坊の寝かせ方でここまでの斜頭症にはならない


P176 新石器時代 モンゴル 現代のモンゴル人とは全く異なる鼻筋の通った立体的な顔立ち
北ロシアも似たもの
ウィグル自治区ハミ遺跡 紀元前 西欧人と似る&日本人のような顔もある


P210 歯
弥生 1250
現代 1220
アイヌ 1000
縄文人 1150


P232 6000年前 河姆渡遺跡 人骨 華北・黄河とかなり似る
   5000年前 扞撴遺跡  人骨 華北・黄河とかなり似る


P233 江蘇省 春秋~戦国時代 P232とも異なる
揚州胡域遺跡 日本の北九州と同じ


P235 BC10C 日本の九州と中国の同時代の春秋~戦国時代の江南は同じに見える


P237 山東半島南部 青島に近い北◇(阝+千)遺跡
6000年前の大汶口文化期の人骨群


P250 北◇(阝+千)遺跡 弥生人とは異なる
弥生人は韓国の礼安里人とは共通性がある
大汶口とは近い
歯の大きさは弥生人は大、北◇(阝+千)遺跡は小


P263 著者は新人のアフリカ起源説には否定的


P266 支石墓 半島起源 日本では縄文人が眠る
半島に縄文人がいた可能性


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(2023年12月 西宮図書館)

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