投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

家屋(いえ)と日本文化 - ジャーク・プズー=マサビュオ(平凡社)


 1996年12月4日 初版第1刷発行

著者は1930年、フランスのパリ生まれ。ソルボンヌ大学卒。地理学専攻。南ベトナムのサイゴンでの高校教員を経て1960年来日。La maison Japonaise で文学国家博士号を得る。日仏会館研究員。東京大学客員教授。奥羽大学文学部フランス語教授。

外国人が書く日本の民家論。著者はフランスにおける日本の民家研究の第一人者だそうだ。

西洋と中国は偉大、日本は劣等。日本はそれを隠すために虚構を作り広めたと書いてある。天皇制のこと、独自の宗教観のこと。1930年生まれのフランス人はこういう考え方をするのだと意識を新たにした。中華思想とはこう言うものなのか。フランスの農家だって古くは土間しかなくて竃は調理用と暖房用が一つで部屋はもう一つあれば良い方で、藁にくるまって寝ていただろうし、トイレだってその辺に置いていた壺だったろうに、そんなことは一言も出てこない。途中からメモを取るのも止めた。

ヨーロッパの民家の変遷を調べようとネットで検索したが出てこない。うまく検索できない。面倒なので図書館で中世ヨーロッパの本を予約した。

賛同できるところもある。日本の民家は大も小も戸主のための家であり家族個人の空間は無いこと、日本が刹那主義だということ、日本の家は日本人の生活の型の一端を担い、日本文化に少なからず影響があるという主張には賛同する。

以下メモ
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100ページあたりまではフランスと日本の比較、日本の建物が歴史的にどこから影響を受けてきたか、造りはどうか等について書いてあったがメモは取らなかった。日本の古い歴史建築の画一性、とくに民家の内部の部屋のしつらえの画一性についてこの本は書いてあるのだが、逆にフランスはなぜ地方によって形式が異なるのかが気になった。日本は1600年以降は他国からの侵略は1945年まで無かったがフランスはその間も近隣諸国から人の移動、領地の移動が全方位であり続けていたことに起因するのではないか、そう想像することはたやすいし、そう書いてある。その間、日本は大名は国替えという人や文化、産業の移動が起こり均質化していく。江戸時代初期に京都の武家で出来上がった玄関や座敷という空間の使い方は江戸時代中期には全国に広まり、京都の町家の造りも全国に広がっていく。そういう状況があったことが均質化の大きな要因だろうと思うのだが、著者は何か形而上的なもの、日本人の中にある精神的、宗教的な衝動に要因を求めているように見える。

P119
対称性の拒否について。イギリスと日本は似る。

※フランス人らしい一言。どこが似ているかは書いていない

P121
無限と言っても過言ではない多様な影響を受けながら、たいへん調和のとれた「一つ」に統一された家のモデルが成立した。

※日本の民家の内部の造りについてのこと。

P139
夏も冬も選択していない建物

P148
ピロティ(高床の事)の起源は東南アジアの家だとしている
土間から床、座敷、このちょっとした段差が東南アジアの住居の場合と同じような権威を持って、カテゴリーからカテゴリーの移動を確保している。気候的な観点からだけで説明しようとしてもそれは無力である。

P180
タテ社会の表現
家の段差は序列を表現しているとする。上か下か

※玄関、玄関の間、中の間、座敷の使い方の事

P181
遠い先祖の崇拝は日本では行われない。簡単に行う。序列は現在の家族への忠誠の名において義務として受け止められており、まったく非合理的な拘束ではない。

※これは認識を新たにした箇所

P193
日本の家屋は個人が自分の私生活を十全に実現する場所がどこにも存在していない。個人は家族の序列の中ではっきりと規定された一つの役割を果たすことを家族たちから期待されていて、家族の序列との関連においてのみ思考し存在する。これは隠居するまで続く。

P194
日本の親近相姦を防御するため村の性的な自由(夜這い)が許された

※家が狭いから近親相姦が起こるから夜這いがるということを言っている。
しかしだ、土間×2間という家はヨーロッパでも同様であり、似たり寄ったりだと思ってしまうが、そういうことは一言も書いていない。かまど税で竈の数を制限したりしていたくせに。知識が無いのではないか?

P202
伝統的な家は人間関係のあり方、役割、上下関係を表し、家族、共同体、経済、日本人全体を表している。

※書いていることはずっとこれなのだ。

P215
床板は1670年頃に上層階級に広まる。伊達政宗は1670年頃、旅人の目に触れる幹線道路に面した住居と自分の家来たちが使う江戸への参勤交代の宿のみ許した。
1710年、岩手(松川村)20軒のうち5軒にだけ床があった
1805年、隣りの藩では座敷だけではあるがもっとも質素な住居でも床張りがあった

P216
畳、障子の規制について岩手、相馬の例が書かれてある。1820年岩手、1833年相馬

P220
アルザス地方の家、ヴァンデ地方の家「ブリーヌ」、バスク地方の家
エチェ」がフランスの地方の個性を持った家の例として書かれている
アンザス フランス北東部ライン川沿い、平原
ヴァンデ フランス西部、大西洋岸
バスク スペイン北部

※これはネットで検索しても全く出てこない。日本語だとダメなのかも

P221
日本の家の標準化が頂点に達したのは江戸時代が終わってから

P224
日本の家は序列関係を尊重することを教えている
常に垂直の意味がある
どこを使うかで特有の意味がある

※しつこいほどこの記述が出て来る

P229
西洋の住居には若年期、熟年期、老年期がある
日本の住居は家が本質的に弱々しいことが、同じような家が際限なく再建築されて家の形態が不変であることによって補われている。日本に家はこうして不動の時間を作り出している

※テセウスの船のような日本建築は多い。私は一世代しか持たない現代日本の都市建築の方が問題が多いと思っている。

P233
フランスのサボワ地方の家は日本に似る。木でできているから

P244
元の素材を生かした日本の製品は外国に持ち出すと生命を失ってしまう。備前焼とか。きらびやかな物は外国に持ち出しても生きている。何故ならば外国はそういう物を良しとした風土、文化で出来上がっているから
ゴタゴタと装飾を施された漆器や彫刻などは理解されやすいのだ

※侘び寂びは日本以外ではなかなか理解されないことが書いてある

P250
日本の住居の歴史は画一化された建築システムの中にはかなさの概念を徐々に刻み込んでいく歴史に他ならない。非対称性、日本は自然であり景観の中に開かれていて限りなく変化していく形態。つまり表面的に未完成の形態を刻み込んでいくことになる

※非対称であることは冒頭あたりにも出て来る。日本の建築は飛鳥時代から非対称なのだけど。非対称は自然、対称は自然に打ち勝った文化という考えが著者には付きまとっている。建築の対称化はヨーロッパ、ペルシャ、インド、東南アジア、中国と一般的なのだが日本だけ自由奔放な建て方をするというのはずっといろんなところで指摘されていること。外も内も要所要所を抑えていれば、あとはどう表現しようが良いというのが日本建築だったのだと思っている。外観に関しても同じで、著者は日本の民家建築の外観の差異については特に述べていなくて、主に内装のしつらえの均質化ついて言及している。

P252
人間の社会ではすべてがシンボルになる

P258
中世から現代、フランスの住居、特に都市、住居は人を外部から守り、内部は心地よいものであるべきだということが強調
日本、近代になるまで家の生態的環境を合理的につくりあげることは後回しにされてきて、家が担っている宗教的、倫理的、美的意味についての要求だけが中心となった
集団レベルで奥深い欲求があったことを示唆している

P260
もろい仮の宿のようなもの

このあたりから中華思想が滲み出てきていてメモを取る気にならないのでメモは止めた。

P299
私のルーツは私の家である

メモはここまで。一応最後までは目を通した。
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(2024年4月 西宮図書館)



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