Nobu's Photo Blog

山歩き、旅、スキー&花の写真

奈良・京都・滋賀

2018年12月04日 | 

2018/11/13 奈良春日大社・京都博物館そして湖東三山

早朝の春日大社

 

京都国立博物館で「京のかたな展」

 

コラボ展示

 

山城鍛冶・宮入法廣作「薙刀直シ刀(名物骨喰藤四郎)」の復元模造

大勢の刀剣ガール

 

湖東三山のうち二山

「釈迦山百済寺」

 推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。現在は天台宗の寺院。

 琵琶湖を望む山腹にあり、六角佐々木氏の時代に山城化されるが、元亀4年(1573年)には織田信長の焼き討ちにより全山焼失。

本坊・喜見院庭園

本堂への階段

仁王門

本堂

琵琶湖方向 観音寺山・安土山を望む

 

松峯山金剛輪寺」

 天平9年(737年)または天平13年(741年)、行基の創建と伝える。

総門付近

二天門

本堂

 

三重塔

千体地蔵

 

明寿院

 


古代ホレズム王国の遺跡 トプラク・カラとアヤズ・カラ

2018年10月16日 | 

 ホラズム地方と呼ばれるアムダリア川下流域は、東をキジルクム砂漠、南をカラクム砂漠に挟まれた乾燥地帯です。中心都市はウルゲンチとヒヴァで、ヒヴァを中心とする中央部はウズベキスタン共和国のホラズム州となっています。かってはアムダリヤ川の豊かな水を利用した灌漑農業によりオアシス都市が発展しました。紀元3世紀頃に繁栄した古代ホラズム王国の遺跡が数多く残されていますが、文献がほとんどなく謎に包まれています。

トプラク・カラ 紀元前1世紀~紀元後5世紀の都城跡 

ゾロアスター教の寺院跡

市民の居住区?

僧房跡

 
アヤズ・カラ遠望

タマリスク

 

アヤズ・カラ 2~4世紀の古代ホレズム王国の都城跡

砂漠の人参 枯れ果ててます

 

ホレズムの遺物(クフナ・アルクの博物館蔵)

左下 ホレズムのコイン

左図 灌漑の仕組、右写真トプラク・カラ

灌漑の仕組みと灌漑方法

 

 

 


石の町 タシュケント

2018年10月16日 | 

ウズベキスタンの首都タシュケントはティルク語で「石の町」の意味です。

 

日本人墓地

 

 

工芸博物館

民族楽器

スザニと絨毯

ソ連時代の建物を博物館として使ってます

 

ナヴォイ・オペラ劇場

 

日本庭園

コウノトリ

 

バラクハーン・メドレセ

 

中央アジア唯一の地下鉄 

チョルスー駅

アリシェール・ナヴォイ駅で乗り換え

ムスタキリク広場駅

 

独立広場(ムスタキリク広場)

中央で翼を広げている鳥は国章の不死鳥フモ(フマ)か?

ウズベキスタンのみの地球儀と母子像 ソ連時代はレーニン像

戦没者慰霊碑

銅板に刻まれた戦没者名簿

 

 


緑の街 シャフリサブス

2018年10月15日 | 

 シャフリサブスはブハラから東へ約300km、サマルカンドの南約90kmにあります。

「緑の街」という意味をもつシャフリサブスは三蔵法師も訪れたこともあるソグディアナの古都、またティムール生誕の地です。

 

アク・サライ宮殿跡 16世紀に破壊され、現在はアーチ形の門の一部が残っています。

 

ドルッティロヴァット建築群

 

ドルサオダット建築群

ティムールの長男ジャハンギールの廟

ティムールが用意した墓、棺だけが残っている 

隣のモスク

 

 


イスラム美術の宝庫 ブハラ

2018年10月14日 | 

土の色が目立つがイスラム美術の宝庫と云われる。

「ブハラ」はサンスクリット語で「修道院」の意味、サマルカンドと並ぶソグディアナの中心都市、その後ブハラハン国の首都。

 

イスマイール・サマニ廟 9~10世紀に造られた中央アジアに現存する最古のイスラム建築

 

チュシマ・アイユブ廟 ゾロアスター教風の三角ドームが特徴

 

バラハウズ・モスク アルク城の前にあるハーン専用のモスク

くるみの木の柱

 

アルク城 古代ブハラ発祥の地

広場のねむの木

 

チャイハネから観る、左からミル・アラブ・メドレセ、カラーン・ミナレットとカラーン・モスク

カラーン・モスク

ミル・アラブ・メドレセ

 

ウルグベク・メドレセ

 

アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ

 
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ  
 
太陽へ向かい偶像崇拝を否定するイスラムの教義に反する鳳凰が描かれています
ナディール・ディヴァンベギは始めはこれをキャラバンサライとして建て完成直後にメドレセだと宣言したそうです。
 
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ 「ハナカ」は巡礼宿
 
 
マコギ・アタリ・モスク 
20世紀に砂に埋もれていたモスクを発見。「マコギ」とは「砂の中」の意。ここには6世紀までは仏教寺院、その後ゾロアスター寺院があったといわれている。
 
 
キャラバン・サライ跡
 
 
  

中央アジアの真珠 ヒヴァ

2018年10月06日 | 

「中央アジアの真珠」と云われる16~17世紀のヒヴァハン国の首都、内城の「イチャン・カラ」は中央アジアで唯一その状態が保たれています。

建造物は18世紀に破壊されたのち、18世紀から19世紀にかけ再建されたものです。

 

朝のイチャン・カラ

 

 
ジュマ・モスク

1000年前のクルミの木の柱が7本残っている

 

 

石畳に轍の残るタシュ・ハウリ宮殿への古の道 

 

タシュ・ハウリ宮殿

 

 

 

 

クフナ・アルク

 

カルタ・ミナル

 

ムハンマド・アミンハーン・メドレセ

 

西門

 

パフラヴァン・マフムド廟

 

イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット

ジュマ・モスクとミナレット 右下が宿泊したホテル

パフラヴァン・マフムド廟、カルタ・ミナル、奥にクフナ・アルク

 

 

 

 

 

 

 


青の都 サマルカンド

2018年10月02日 | 

 「サマルカンド ブルー」の青色のタイルと青空が美しいサマルカンドは街全体が世界遺産に登録されてます。

 ソグディアナ(都市国家連合)の盟主としていくつかの王朝の支配を受けながらソグド人の町とし数世紀に渡って繁栄しましたが、13世紀にモンゴルにより徹底的に破壊されたました。その後14~15世紀にティムール朝の首都となり、現在残る建造物はこの時代のものを修復したものです。

 

グリ・アミール廟 ティムール一族の廟 ティムールもここに眠っている

 

「レギスタン広場」

「ウルグベク・メドレセ」

 

 

「シェルドル・メドレセ」

 

「ティカラリ・メドレセ」

 

「ビビハニム・モスク」

 

「シャーヒ・ビンダ廟群」

 

レギスタン広場ライトアップ

 


ウズベキスタンの子供たちと人々

2018年09月26日 | 

 ウズベキスタンの人々は日本人にとても親近感を持っているようです。「おしん」の影響もあるとガイドさんは云っていました。

日本人をみると一緒に写真を撮りたがり、しばしば日本-ウズベキスタン撮影会が始ります。

子供たちもカメラを向けると喜んでポーズをとってくれます。

 

ヒヴァは人口4~5千人の村、子供たちはまだまだ純朴な感じがしました。

ヒヴァのスーパーのキャンディ売り場の少女 少し恥ずかしそうにこちらをみました。

土産物売りの女性のお孫さん かなり緊張しています

 

ブハラの子供たち

記念公園で

空手が盛んのようです

代表して演武を披露してくれました

土産物屋で

女の子は登校時には髪にリボンを付けないといけないそうです。ロシア時代からの習慣を守っています。

男女とも白のシャツを着ています。これもロシア時代からの習慣でしょうか。

 

サマルカンドにて

グリ・アミール霊廟の裏で遊ぶ子供たち

ホテル「アジア サマルカンド」の前で

「My name is ザヒール(Zhir?)」と声をかけてきました。

タシケントのスーパー前で

 

ウズベキスタンの人達は日本人と一緒に写真を撮るのが好きなようです。

シャリフサブスのモスクの中庭で日-ウズ撮影会です

「ヤポン」と声をかけてきたおじさん家族、一緒に写真を撮られました。

結婚の挨拶をしています。左はその家族です。

 
 

サマルカンドでも日-ウズ撮影会です

 

 

皆さん踊りが大好きです。

サマルカンドの夕食時、隣で結婚祝いの宴会です。入口にいた男性が写真を撮るように招き入れてくれました。

本日の主役

 

サマルカンドの昼食時、レストランで女子会?

サマルカンドの夕食時、やはり結婚披露の宴会

我々の席はフロアのすぐ隣、あまりに音量が大きく早々に逃げ出しました。

本日の主役

 

 

   


ウズベキスタンの星空とウルグ・ベク天文台

2018年09月24日 | 

今回、ウズベキスタンの星空も期待していたのですが、どこもライトアップが素晴らしく、残念ながら肉眼ではっきり確認できるのは火星くらいでした。

9/4 ウルゲンチ空港から

火星とかすかにいて座、土星が見える

9/04 ヒヴァ イチャン・カラ

イスラム・ホジャ・ミナレットと火星

かすかに夏の大三角形が見える

カシオペアが見える

9/05 ヒヴァ

9/07 ブハラ

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセと火星

ホテルから 右下は地域政府庁舎

 

9/08 サマルカンド

レギスタン広場

 

【ウルグ・ベク天文台】

 1420年代に建設された中世イスラム世界有数の天文台、天文台にはウルグ・ベク本人も勤務していた。ウルグ・ベク天文台はウルグ・ベクの死後1449年に大部分が破壊され、約450年後の1908年に地下部分が発見された。現在は六分儀をみることができる。

 幅2mの溝が子午線に沿って地下に掘られており溝は地中でアーチ状になっている。六分儀は全長11m、半径は40.4mであり、当時としては世界最大の象限儀 (四分儀) であった。

この六分儀を使用し恒星年を365日6時間10分8秒と計算しており、現代の計算によって得られる365日6時間9分9.8秒とほとんど違わないという精確さであった。

 ウルグ・ベクはティムール朝の第4代君主(在位: 1447年 - 1449年)であり、ティムールの孫にあたる。統治者としてよりも天文学者・数学者・文人、学者としての事績を高く評価されている。

ウルグ・ベク肖像画

六分儀

 

博物館

天文台模型

天文表 

天文表には1,018の恒星が記録され、うち約900の星の記録は実際の観測に基づいているという

天球儀(復元)

 

  


ウズベキスタンの旅(後半)

2018年09月24日 | 

ウズベキスタンの旅(後半)はシャリフサブス、サマルカンドそしてタシケントを訪ねます。

9月8日

 バスでサマルカンドへ向かいます。途中ティムールの生まれた街シャフリサブスによります。シャフリサブスまでは4時間です。

 【シャフリサーブス歴史地区】

 2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されてます

「ドルッサオダット建築群」

 

 「ドルッティロヴァット建築群」

 

 「アクサライ宮殿」

 ティムールが建設、380年に着工しティムール死後1405年まで建築が続けられました

 

 

 昼食後、サマルカンドへ2時間弱かけて移動します。

サマルカンド「グリ・アミール霊廟」

 ティムールや彼の息子たちが眠る霊廟(アミール・ティムール廟、グル・エミール廟、グーリ・アミール廟)

 

夕食後ホテル「アジア サマルカンド」へ、チェックイン後レギスタン広場へ夜景を見に行きます。

 「アジア サマルカンド」泊

 

9月9日

 サマルカンド

「レギスタン広場」

左から「ウルグベク・メドレセ」「シェルドル・メドレセ」「ティカラリ・メドレセ」

 

「ビビハニム・モスク」

 

「ショブバザール」

 

「シャーヒ・ジンダ廟群」

フリータイムにタクシーで「ウルグベク天文台跡」に行きました。六分儀が残ってます

 「アジア サマルカンド」泊

 

9月10日

 高速鉄道アフラシャブ号にてタシケントへ

 タシケント

アフラシャブ号(ブハラ発-タシケント行き)

シルダリア川を越える

 

「日本人墓地」

三代にわたり墓地を守ってきたミラキル・ファジーロフ氏

 

「工芸博物館」

 

スーパー

「ナヴォイ・オペラ劇場」

 

「日本庭園」のコウノトリ

「バラクハーン・メドレセ」

地下鉄「MASTAKILLIK MAYDONI」駅

「チョルス―バザール」

「独立広場」

独立を記念した母子像と、ウズベキスタンのみが描かれた地球儀のモニュメント

母子像と戦没者・行方不明者を記した銅板の記録

夕食後 タシケント空港へ

午後10時(日本時間2時)タシケント発

ウズベキスタンの入出国は税関検査は無くパスポートの確認のみ、手荷物検査も非常にラフでした。写真撮影もガイドさんに止められたのは検問所と警察官だけでした。

9/11 10時前に成田着

今回のツアー参加者は19名、皆さん旅慣れておりトラブルもなく8日間の旅を楽しんできました。