生まれてから死ぬまでの記録

人生とは、生まれてから死ぬまでの間のこと

他者に出会う

2006-03-26 21:00:20 | 日々の結構重要なような記録
実はですね、私ずっと心痛めてたことがありまして、言うに言われぬ痛み
だったんですが、最近ようやく整理がついたんで記録しておきます。

3年前の秋に、自分から彼氏と別れて(私は結婚したかったけど、
彼氏にはその気がないらしいから)それから何か、実にぼんやりしてたんですよ。
で、その翌年(つまり2年前)の夏に、とある人と出会ったんです。
すごく温和な、賢そうな人で、私は自分で言うのもなんなんですが、
直感で人を判断してしまう人なので、すぐにその人のことを好きになったんですよ。
でも、その人は大きな試験を間近に控えてて、恋愛どころじゃないだろうから、
自分の気持ちは、その試験が終わるまではひた隠すことに決めたんです。
その人は、司法試験を目指し始めた彼女と
「僕は子供が欲しいのに、僕のこと全然考えてくれてないやん!」
ってことで、奇しくも、私が彼氏と別れたのと同じ頃に彼女と別れたそうで、
一緒にカラオケに行った時に、やたら悲しい曲ばかり歌ってたんです。
でも私は、その人になんの慰めの言葉もかけなかったんです。
その人は、多分私のことが好きだったと思うんだけど、私はその人の気持ちを
見て見ぬふりをしてて、とりあえず、試験が終わるまでは、と思ってたんですが、
試験の直前に、私が偶然紹介した友達と付き合い始めてしまったんです。

すんごいショックで、その人の友達で、これまた私に気がありそうな、
熱心にマメにメールくれる人がいて、とにかく一人でいるのが辛かった私は
その人にコクったんです。
返事は、あいまいなものでした。その人も、好きになった人同様、
大きな試験を間近に控えてたし、とりあえず、試験が終わるまでは
あいまいでもいいやと、思ってたんです。

で、試験が終わって、私がコクった人は、私のことなんてキープ程度で
以前のような熱心さが全然なくなってしまってて、私はつくづく悲しかった。

「好きな人の唯一性を見失うことは、自分の唯一性を見失うことに等しい」

つくづくこのことを思い知りました。
その時、私が好きになった人が、やたらと悲しんでたのはこのことだったのかな、
と思い至ったんです。
子供が欲しいから彼女と別れた自分だけど、彼女の代わりなんていくらでもいると
思ってたけど、彼女はこの世で唯一の人で、それを軽く考えていた自分は
なんてバカなんだろうか、と。
そう考えた時に、私は好きになった人に、すごくひどいことをしたな、
何も力になれなかったのは、本当に申し訳なかったと思って、
その頃、すでにその人は、私のメールにも殆ど返事をくれなくなってて、
友達でもいられないことは目に見えてたので、最後に自分の気持ち、
あなたが好きでしたということと、今の悲しみと申し訳なく思ってることを
メールしたんです。

でね、その返事がね、私の理解を遥かに超えてたんです!!
その全文を一挙公開するよ。
私を1年間に渡って苦しめ続けた全文です。

タイトル:全然知りませんでした(*_*)
本文:
今は ○○さんと真剣につきあってるし、他の人は全く考えられません。
これからの人生、ジュンク堂さんにも、きっとどこかでいいことがあるから
頑張って下さい。
陰ながら応援しています。

・・・・・。
念のために書いておくと、私は今の彼女と別れて欲しいとか、いつまでも
あなたが振り向いてくれるのを待ちます、なんてことは一言も書いてないんですよ。
あなたが好きでした、と過去形で書いただけなのに、どうして、
本文冒頭にいきなりこんな文章が登場するの?
それに、誤解とは言え、人からコクられてそれを断るときには、
「すみませんが」とか「申し訳ないけど」とか、つかないか? 
どうして、そういう一言がないの?
彼はいたって温和な常識人なので、必ずそういう一言はつくはずなのに、なぜ?
それにそれに、いきなり人を拒絶しておいて、その後、どんな励ましの言葉を
かけようとも、それは偽善に過ぎんのに、どうしてこんな明白な偽善ができるの?

とにかく、私にはこのメールがさっぱり理解できなくって、でも、しっかり
傷ついたんですよ。
でも、何に傷ついたのか、当初はよく分からなかったんです。
本文だけ見れば、なんてことはない文章ですよ。
でも、私は、彼に、私はあなたが好きでした(過去形!)ということと、
あなたに対して何の力にもなれなかったことを申し訳なく思うということを
伝えて、できることなら、自分の今の悲しみを分かって欲しい、きっと
この人なら分かってくれると思ってメールしたのに、全然何も伝わってないし
分かってくれてないどころか、私をえらく誤解してて、温和な彼らしくない
そっけないメールに、もう本当に訳がわからなかった!!

それから1年間、私は毎日このメールを思い出しては、
一人コツコツ検証してました。泣きながら。本当に泣きながら。
このメールには、私に対する信頼がまるでない。
本文冒頭にこういう拒絶、及び、それに対して「申し訳ないけど」の一言が
ないのは、私に対して、全く信頼がないからだな、と思いました。
私はそんな気持ちでメールしたんじゃない、そんな人間じゃないのに、
彼にはそれが分からない! なぜなら、私に対する信頼がないからだ、と。
このメールにあふれる、無理解・不信・偽善に私はどれだけ苦しんだことか!!
なぜ、あんなに温和な賢い人から、このような無理解・不信・偽善を
受けなければならないのか? なぜ? なぜ? なぜ? と。

でもね、私のこの解釈は根本的に履き違えてるな、と最近思う。
彼は、いたって想像力のない、具体性に富んだ、抽象性に欠けた人なんだな、と
思い至りました。
彼が私のメールで理解したことは、私が彼に未練を持ってるらしいということと、
私が悲しんでるということだけ、なんですよ。
だから、ああいう本文になる。
不信も偽善もへったくれもない。
彼は、抽象的な思考・感情を持たない人なんですよ。
彼が悲しんでたのは、好きな人の唯一性を見失った自分の愚かさではなく、
「彼女がいない」という、実に具体的なことについてだったんだな、と。
だから、彼女が出来ればその悲しみはすぐに癒されるし、忘れられてしまう。
悲しんでる人がいても、「いつかいいことがあるよ」と言えば、
それで人はすぐに希望を見出して、悲しみは癒されると思ってるのね。
いたって具体的で、抽象能力と想像力のない人だから。
私には賢さに映った彼のシンプルで素直な考え方も、
その抽象能力と想像力のなさがもたらし、その高い具体性に裏打ちされてるから
的を得ているだけのものなんだな、と。

この解釈で、正解だと思う。
何か知らないけど、私の中で1年間、釈然としなかったことが、
このことに思い至った時にすっごい釈然としたんで、これで正解だと思う。

私、及び、私と親しい人は、みんな結構抽象能力の高い、想像力に富んだ人
たちで、私は、人間ってのはみんなそういうもんだと思ってた。
ところが、おるんやね、具体性ばかりの抽象能力・想像力のない人が!
自分が好きになった人が、よもやそんな人とは思いもしなかったよ、この1年間。
でも、だからこそ、私は彼を好きになったのかな、とも思う。
彼は私にとって、正真正銘の「他者」であったと思う。
やっと、正真正銘の他者たる彼に出会えた、とも思う。
私が彼からのこのメールをさっぱり理解できなかったように、
彼も私からのメールをさっぱり理解できなかったんだな、と。
それは、信頼、偽善云々の問題ではない。
彼は、そのような人なんだ。
そのことを、私はようやく理解できた。

他者を理解するというのは、かくも難しい。
他者に出会う、ということ自体、マレなことなんだ。
でも、私は、出会えた。本当によかった。
彼に出会えて本当によかったと思う。この1年、泣き続けたけど。

そして、世の中は、彼のような人たちがたくさんいるんだろうな、と思う。
世間ですごく評判がいいのに、私には全然ピンとこない映画や小説が結構あって、
私にとってそれは一種の謎だったんですが、なんとなくわかった。
彼のような人たちが感動するわけだ、その具体性(私にとっては陳腐なもの)に。

三島由紀夫の「サド侯爵婦人」という演劇の脚本の中の台詞で
「想像できないものを拒む力は人々の上にはびこって、
 人々はその上でお昼寝を楽しみます」
というものがあるんだけど、この台詞の意味も、今回すごくよく分かった。
なるほど、その通りですね、と思う。

そして、前の彼氏と別れてから、私は「ぼんやりしてた」と書いたけど、
この「ぼんやり」が実は「絶望」にほかならないことにも、最近思い至る、と
いうか、キルケゴールの『死に至る病』を読んでつくづくわかったんだけど、
この話は次回にします。
『死に至る病』面白いよ!