なんとなく、ふわっと・・

写真と画像処理関係とひとりごとをなんとなく書き溜めていきたい

せんぐう館、勾玉池奉納舞台 II

2024-03-16 23:30:20 | 写真



2024_01_26伊勢神宮

外宮 XXIII
伊勢市豊川町

[LUMIX G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH]
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六本木けやき通り

2024-03-16 23:26:02 | 写真



麻布十番・六本木2023_11_28

港区六本木6

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デイリーヤマザキ 池袋2丁目店

2024-03-16 23:23:34 | 写真



池袋2023_11_18

豊島区池袋2

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日本歴史写真帖 067

2024-03-16 23:19:33 | 日本歴史写真帖



明治二十三、四年頃 世を騒がせし相馬事件被告 今大臣 後藤男爵 及び 錦織剛清 世は様々哉

秋好善太郎 編『日本歴史写真帖』, 東光園, 大正2 (1913)
国立国会図書館デジタルコレクション


相馬事件(そうまじけん)は、明治年間に起こったお家騒動の一つ。最後の相馬藩主相馬誠胤が
精神病者として自宅座敷牢に監禁されたことに端を発した騒動で、1883年から1895年まで法廷で
争われた。精神病患者への処遇や、新興新聞によるセンセーショナルな報道の是非を巡り、世間へ
大きな影響を与えた。

経緯

旧中村藩主、相馬誠胤の統合失調症(推定)の症状が悪化したため、1879年に家族が宮内省に
自宅監禁を申し入れ、以後自宅で監禁、後に癲狂院(現在の精神科病院に相当)へ入院させた。

1883年、旧藩士の錦織剛清が主君の病状に疑いを持ち、家督相続を狙った異母弟家族による不当
監禁であるとして家令・志賀直道(志賀直哉の祖父)ら相馬家の家宰たちを告発したことから事件が
表面化した。告発を行った錦織に対し、世間からは忠義者として同情が集まった。当時は精神病の
診断も未熟であり、高名な大学教授らによる精神病の診断がまちまちの結果となった。正常との
判断を下す医師もおり、混乱の度合いが増すこととなった。

1887年、相馬誠胤が入院していた東京府癲狂院に錦織が侵入、誠胤の身柄の奪取に一旦は成功する
ものの、1週間で逮捕された。錦織は、家宅侵入罪に問われ禁錮処分を受けるとともに、偏執的な
行動が批判を受ける。1892年、誠胤が病死した。錦織はこれを毒殺によるものとして、翌1893年に
再び相馬家の関係者を告訴し、遺体を発掘して毒殺説を裏付けようとした。しかし最終的に、死因が
毒殺とは判定できなかった。

1895年、錦織が相馬家側より誣告罪で訴えられ、後に有罪が確定し、事件は収まりを見せた。医師
として錦織を支持していた後藤新平(当時内務省衛生局長)も、連座して5か月間にわたって入獄
したが、証拠不十分で不起訴となった。

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ムーミンバレーパーク LXXVI

2024-03-16 23:16:39 | 写真



ムーミンバレーパーク2023_12_04

埼玉県飯能市大字宮沢

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昨年の今日のエントリ


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