*** june typhoon tokyo ***

黒川沙良「イイネシナイデ/ブリコー」


 才色兼備のシンガー・ソングライターが奏でる、馥郁たる良質R&B。

 ぼんやりとネットの波に乗っていたら(死語)、オートチューンがかかった憂いのあるR&Bという曲風が耳に止まった。オートチューンといえば、T・ペインやカニエ・ウェストの頃はそこそこ聴いていたけれど、ブラック・アイド・ピーズ「ブン・ブン・パウ」以降の“オートチューン雨後の筍状態”の時にはもう食傷気味だったなあなどと懐かしく思い返しながら聴いたその曲の名は「ブリコー」。翳りのあるメランコリックなR&B調のサウンドを背景に、凛とした声色で恋に盲目になった“遊ばれている女”からの卒業を歌っている。

 その声の持ち主は、黒川沙良というシンガー・ソングライター/ピアニスト。幼少からクラシックピアノの英才教育を受けるも、洋邦ポップスへ傾倒。いわゆる“耳コピ”に長けた人らしく、幼稚園時代に一度曲を聴いたら、忠実なカヴァーはもちろん、独自のアレンジで演奏する才能があったというから驚きだ。現在でも楽譜やスコアを一切見ずに演奏するという“感性100%”のアレンジ・スタイルが真骨頂のようで、瞬間的に事象を捉えて発想する独創性やその瞬発力が優れているようだ。

 中学時代からライヴハウスでの演奏活動を始め、18歳で〈NACK5 presents ミュージック フェスティバル〉優秀賞、〈ソニーミュージック&マクドナルドプレゼンツ「ボイスオブマクドナルド2010」〉日本決勝ファイナリストなど受賞歴も多い。2015年のミニ・アルバム『On My Piano』を経て、翌2016年に1stフル・アルバム『Prelude』をリリース。同年から2018年まで、JA共済のCM「ずっとつづく絆」篇にて「Peace」が起用され、話題になった。近年はYouTubeや配信が中心のようで、前述の「ブリコー」も2020年5月にデジタルリリースされていたが、その「ブリコー」が、レコードストアの発展を祝うイヴェント〈RECORD STORE DAY JAPAN 2020〉において「イイネシナイデ」と併せた7インチシングル「イイネシナイデ/ブリコー」としてリリースされると聞き、購入した次第。


 ジャケットにはピンク地の背景に、神田沙也加や一時期のショートな広瀬すず路線のナチュラルショートボブの困り顔の黒川沙良が映っているが、A面曲「イイネシナイデ」のミュージック・ヴィデオを見てみると、市川紗椰やマイコ系統のモデル顔のスタイリッシュな黒川が登場。さらに『On My Piano』に収録された「ガールズトーク」のミュージック・ヴィデオでは、小松菜奈ライクな弾き語りシーンが出て来たりと、女性はヘアスタイルや服装、その時の気分によってガラリと表情を変えるものなんだなということを再認識した次第。まあ、どんな表情をしても、ルックスと音楽的才能を持ち合わせた才色兼備には違いないのだが。

 話を戻して、A面曲の「イイネシナイデ」。意中の“キミ”が可愛い人に“イイネ”することにジェラシーしてしまう乙女心を歌ったガーリーな曲で、キュートでブライトな曲調ではあるが、能天気にハイテンションで押し通すアッパー・スタイルではなく、カラフルで可憐なアクセントを施しながら音を粒立てたアレンジをバックに、凛としたソウルフルなヴォーカルを嫌みなく際立たせている演出が見事。“何が良いの?”“顔が良いの?”“なんなの?”と畳み掛けるやり切れない心情をいじらしく歌うなかで、ブリッジ終わり以降の終盤のハイトーンやフェイクと“可愛く見えてたの?”に対する“そうでもないでしょ!”の低音(女性の怖さを見る瞬間か…笑)といった抑揚の幅広さも魅力だ。
 
 対照的に、B面の「ブリコー」はアダルトなムードで展開するクール・テイストのミディアムR&B。冒頭でオートチューンについて言及したが、オートチューンまみれということではなく、ヴァースでアクセント的に使用。フックでは輪郭の立った凛々しく、深みのある憂いの歌唱が聴ける。ちなみに、タイトルは“booty=尻”と“call=(電話で)呼び出す”(call girlの“call”)を足したスラングの略称で、意訳すれば“遊ばれてる女”“都合の良い女”“セフレ”にでもなるだろうか。どうしていつも拒めないんだろうと悩みながら、最後に依存体質な自分に決別し“そのツラ見せないで”“クソ野郎!”とタンカを切る(怖い…笑)痛快な展開は、多くの女性の共感を得そうだ。

 一聴した時は、名取香り(『perfume』は名盤)やJASMINE(First year of the Heisei, of the Heisei!)の雰囲気にも似たR&Bシンガーマナーの艶のようなもの(My好物)を感じたが、元来クラシックの資質や天才肌の感性を持ち合わせていることもあって、R&Bに限らないスケールの大きなヴォーカルワークを駆使出来るタイプなのだと思う。


 これらをプロデュースしているのがトラックメイカー/プロデューサー/作・編曲家のMANABOON(マナブーン)で、上に挙げたJASMINEをはじめ、Crystal Kay、EMI MARIA、AISHA、そして久保田利伸(!!)など自分も愛聴してきたさまざまなアーティストのプロダクションを手掛けてきたシーンの重要人物。演奏者としては電子ピアノを使うことが多いのだが(色気のある鍵盤捌きを披露するゆえ、彼のエレピ演奏は総じて“エロピ”というらしい)、R&B~ネオソウルラヴァーが涎を垂らしそうな鍵盤でのアレンジが活きている。濃度の高いR&B、特に90年代のコンテンポラリーなR&Bを“解かっている”人が、そこへ回帰だけせずに、現行USシーンの主流の一つにもなったアンビエントR&B/トラップ/ネオソウルあたりの空間系のエフェクトを纏わらせたサウンドを通しながら、黒川の稀有なヴォーカルワークとを削ぎ合うことなく共存させているのが、なんとも秀抜だ。

 日本のブラック・ミュージック・シーンにおいては、たとえば、上述の名取香りを手掛けたNao'ymtや、T.Kura&michico夫妻、今井了介ら数々のプロデューサー/トラックメイカーたちが彩りを添えながら、シーンの良質化や浮き沈みを左右してきた。その意味では、本作を手掛けるMANABOONもその命運を握ってきた俊英の一人。現行シーンで活躍する面々がしっかりと上質な作品やシンガーを演出してくれないと、黒川のような才能も隠れたものになってしまうゆえ、才知溢れる緻密なプロダクションで類まれなる黒川の個性を活かしてもらいたいと思うばかりだ。

 残念ながら、「イイネシナイデ/ブリコー」以外、『On My Piano』『Prelude』といったアルバムやその他シングル、配信曲はほぼ未聴ゆえ、楽曲群のなかでの相対評価は難しいが、本作の2曲だけでも、十二分にポテンシャルを秘めた楽曲であることは間違いない。現在は一時期よりは制限が緩くなったとはいえ、いまだコロナ禍ゆえ実際の歌唱を聴くまでには至らないが、おおよそ制限なしのライヴが可能となった際には、一度生でその歌声やパフォーマンスを体感してみたい。


◇◇◇

■ 黒川沙良(Sala Kurokawa) / イイネシナイデ/ブリコー
〈Kissing Fish Records〉(2020/08/29)
KMKN57 7inch

A1 イイネシナイデ
B1 ブリコー

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