*** june typhoon tokyo ***

Brandy『B7』


 ヴォーカルの陰影に成熟と人生を垣間見た、キャリア最高に名乗りを上げた渾身作。

 タイトルよろしく“母の日”の月(5月)に発表した先行シングル「ベイビー・ママ」を聴いた時には、既に佳作の予感を漂わせていたが、『B7』として完成したアルバムは、「ベイビー・ママ」の曲風から想起出来るイメージの全体像をガラリと覆した、シャープながらも芳醇な薫りを纏わせた傑作となった。

 2012年の前作『トゥー・イレヴン』(Two Eleven)から約8年を要した“ブランディ”の“7”作目となるアルバムゆえのタイトル『B7』だが、そのジャケットを見るや感じたのは“やはりホイットニーへの想いは止めどないのだ”ということ。『トゥー・イレヴン』のタイトルは、ブランディ自身の誕生日(1979年2月11日)と彼女が憧れてやまないホイットニー・ヒューストンの命日(2012年2月11日)の日付が同じという運命的なものから冠されたものでもあるが、これに続く本作『B7』では、ホイットニー・ヒューストンとケヴィン・コスナーの共演でヒットした1992年の映画『ボディーガード』でも見せるビーズを編み込んだボックスブレイズタイプのヘアスタイルを想い起させるジャケットに。その上、冒頭曲「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ」のタイトルが、ホイットニー・ヒューストンの全米全英1位シングル「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」(邦題「すべてをあなたに」)とほぼ同じだったりするから、なおのことだ。
 ブランディも41歳となり、ホイットニー・ヒューストンが世を去った48歳へ年々近づくことを日々実感しているかどうかは知る由もないが、レコーディングを開始した2017年から3年を制作期間に当てていたということは、それだけ悔いを残したくないという執念のようなものがあったのかもしれない。

 高らかに鳴るゴージャスなホーンと客演のチャンス・ザ・ラッパーのフランクながらも高速で繰り出すラップをアクセントに、ヒットボーイがヒップホップ・ソウル寄りの凛々しさも感じるR&Bに仕上げたシングルマザー賛歌「ベイビー・ママ」や、ダニエル・シーザーの2019年の2ndアルバム『ケース・スタディ・01』(CASE STUDY 01)収録のリード曲「ラヴ・アゲイン」が本作『B7』のプロモーション・トピックではあろうが、両曲にて漂う温かみのある清々しさは本作の全体像にあらず。実体は上質なシルクで編まれた豊かな光沢とヴェルヴェットのような和やかな肌当たりを帯びながらも、R&Bの旨味を凝縮した楽曲が重なった、余分な贅肉を削ぎ落したクールで濃厚なテクスチャーといえる。

 重厚な音で胸騒ぎを感じさせるピアノから導かれる冒頭曲「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ」から穏やかなピアノとコーラスのみで安らぎや温もりに溢れる世界観を創り上げたラスト・チューン「バイ・バイポーラ」まで、「オール・マイ・ライフ」というアンビエントな3つのインタールードを挟み込みながら、これ見よがしに細工を繰り広げるのではなく、シンプルに表現・伝達としての第一義としてブランディのヴォーカルワークに焦点を当て、その奥行きと抑揚を使い分けられる訴求力を強調している。

 抑えを効かせながらも官能的な熱度を伝えるハスキーなヴォーカルワークを演出したのはDJキャンパーことダリル・キャンパー・ジュニアで、全15曲のうちで10曲に関与。中盤の6曲目に配された本作からの2ndシングルとなった「ボーダーライン」では、装飾を削ぎ落してビートを立たせることで、ブランディの艶めかしさと生命力を浮き立たせることに成功。深い夜を彷徨うような静けさを持ちながらもドラマティックに描き上げる手法で、強烈なインパクトを与えている。ティナーシェやサマー・ウォーカー、H.E.R.あたりの色味をブランディから感じるというのも新鮮だが、DJキャンパーがH.E.R.を手掛けていたと考えれば、驚くことではない。
 「ボーダーライン」に続く「ノー・トゥモロー」では、かつてのブランディらしいメロディラインもチラつくR&Bアプローチを用いているが、一方で、雫がせせらぎに落ちて泡が数珠つなぎになるようなシーケンスを感じるヴォーカルを、残響のようなエアリーなムードとともに創出。ブランディの新境地ともいえるプロダクションが美味だ。

 特に個人的に耳を惹いたといえば、たとえば「フォーカス」のような陰りや微睡みを帯び、「ホワット・アバウト・アス?」風のエレクトロなアプローチも垣間見える2曲目の「アンコンディショナル・オーシャンズ」がそう。R&Bの良心といってもいい90年代ミディアムR&Bの要素を下敷きにしながら、チチチチという低音で硬質なビートとともにメランコリックな趣きを醸したアーバンなプログレッシヴR&Bマナーに落とし込み、派手さはないが怠惰も皆無という中毒性あるトラックへと昇華している。それを受けての「ラザー・ビー」は「アンコンディショナル・オーシャンズ」よりも温度が上がるドリーミーな音鳴りではあるが、核には90年代初期あたりのR&Bの音色が窺える。それは、清涼と聡明をもたらす水の流れる音をアクセントにしたオーガニック・ネオソウル調の「ルーシッド・ドリームズ」にも。過去の栄光へと回帰するでもなく、当世風に寄り掛かるでもなく、過去と現在の音の波をより合わせながら、新たな表情のサウンドを構築している。その姿勢が素晴らしい。

 もう1曲を挙げるとすれば、ソウル・ジャズな作風も組み入れた「セイ・サムシング」になるか。「アンコンディショナル・オーシャンズ」を陰とするなら陽と対比出来る、いや、前者が“黙”なら本曲は“動”とした方が適切か。ソリッドかつアグレッシヴなビートの後押しを受けて、パッション溢れるヴォーカルを披露しているが、流麗な鍵盤に軽快なホーン、フックでのシルキーなコーラスが合わさることで、ヴァースでの強い意志を吐露するようなヴォーカルが突っ走るだけではない、絶妙なバランス感覚を有した滋味深さをもたらしている。

 トピックとしては、濁流のように飛び交うストリングス音がリフレインするバウンス・トラックを背後に、実娘でシンガー/ラッパーのサライのやさぐれ感ある低音ラップが這うように飛び込む共演曲「ハイ・ヒールズ」や、ノトーリアス・B.I.G.「デッド・ロング」(Dead Wrong)を借りたロッキンな「アイ・アム・モア」などもあったりと、いわゆるキラーチューンというキャッチーな楽曲は少ないものの、成熟と懐の深さを湛えたヴォーカルが映える、ヴァラエティに富む楽曲群が揃ったといえよう。

 2006年末の悲劇的な自動車事故(女性運転手1名が死亡も不起訴、2009年に被害者家族と法廷外で和解済)以降、共に多くのヒットを生み出してきたダークチャイルドを再び招いて、2008年に『ヒューマン』(Human)を出すものの、思い描いたヒットにはならず(とはいえ、全米15位、年間R&B/ヒップホップチャート40位)。その後、リアリティ番組に弟レイ・Jらファミリーと出演し、ファミリー・アルバムを出すなど家族もメディアへの“売り”として演じるも、さまざまな“レッテル”が彼女を襲い続け、2012年の『トゥー・イレヴン』は全米3位と盛り返したものの、ホイットニー・ヒューストンの死もあって陰鬱なムードが支配。本作『B7』を放つ前年には、ブランディでは「ザ・ボーイ・イズ・マイン」や「トップ・オブ・ザ・ワールド」「ホワット・アバウト・アス?」などに関わった(そのほか、マイケル・ジャクソン「ユー・ロック・マイ・ワールド」やデスティニーズ・チャイルド「セイ・マイ・ネーム」、レディ・ガガ「テレフォン」、さらにはホイットニー・ヒューストンやトニー・ブラクストン作品などを手掛ける)ラショーン・ダニエルズが鬼籍になるなど、精神的に困難の連続から逃れられずにいたなかで、元来持ち得る才能とこれまでの経験から培った歌唱力をもって、過去に縋ることなく、真摯に2020年代のR&Bへとチャレンジした渾身作。落ち着きある佇まいに加え、高低・陰陽さまざまな表情を乗せた精緻な声色で喜怒哀楽を描出したヴォーカルに、本作に懸ける決意のようなものも感じられた。

 歌手としての矜持と時代におもねらない良質なR&Bを追い求めた結果が、『B7』として結実した。そう表現することも決して誇大ではないだろう。キャリア代表作の最高峰に名乗りを上げたといえる。



◇◇◇

■ Brandy / B7
〈Brand Nu / eOne〉(2020/07/31)

01 SAVING ALL MY LOVE
02 UNCONDITIONAL OCEANS
03 RATHER BE
04 ALL MY LIFE, PT. 1
05 LUCID DREAMS
06 BORDERLINE
07 NO TOMORROW
08 SAY SOMETHING
09 ALL MY LIFE, PT. 2
10 I AM MORE
11 HIGH HEELS(BRANDY & SY'RAI)
12 BABY MAMA(feat. CHANCE THE RAPPER)
13 ALL MY LIFE, PT. 3
14 LOVE AGAIN(BRANDY & DANIEL CAESAR)
15 BYE BIPOLAR

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