Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

本末転倒

2011-07-22 22:17:06 | 日記
 ヨガのおかげだと思いますが、最近は感情に振り回されることがだいぶ減りました。
 感情の起伏がなくなったわけではありません。どんな感情も自分のものとして味わいつつ、同時に客観視することで、どっぷりと浸ったり、足を引っ張られたりすることがなくなってきたという意味です。自分にとって必要のない、とりわけネガティブな感情を自ら手放していくことも少しずつ身に付いてきました。

 それでもまだ、ふとしたことでうっかり心を絡めとられてしまう感情があります。
 それは、劣等感。
 
 日々ヨガを続けているのに、体が思ったように柔らかくならない。目標にしているアーサナがなかなかできるようにならない。ジャンプバックどころかジャンプスルーも今ひとつ。
 練習を積み重ねてきた自分を認めながら、一方で、他者と比べてなかなか追いつけない自分をちっぽけに感じてしまう。

 ひと頃と違って、今は世界中に数えきれないくらいのヨギがいます。上を目指せばキリがないのは当然で、別に彼らと同等になれるともなろうとも思いませんが、身近にいる同じくらいのヨガ歴を持つ同世代の人が自分より早いペースで上達していくのを見ると取り残されていくようで切なくなる。

 他者と比べない。
 自分だけのプロセスがある。
 身体能力=精神性ではない。

 頭ではちゃんと分かっています。何度も心の中で唱えるのにうまく心に反映できず、さらに自分を責めてしまう。
 
 おそらくこの連鎖は、ヨガそのものを人生の目的にしてしまっているために起きてしまうのだろうと思います。
 ヨガとは人生を豊かにするためのツールに過ぎない。
 私は時々そのことを忘れてしまうことがある。

 それはまるで、豊かな暮らしのためにお金を稼いでいた人が、いつしかお金のために生きるようになるのと似ているかもしれません。


 う~ん、でも、やっぱりこれはできるようになりたいなぁ。
   ↓↓↓
 「ジャンプバック&ジャンプスルー」(文字をクリックすると動画がご覧になれます。)



 ナマステ&シャローム
 Nozomi

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4 コメント

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Unknown ()
2011-07-25 23:44:54
あー、例えがよくわかる。

「なんのために?」ってことを見失いがち
なんだよね。

流れる心、それが必要なんだけど滞留しちゃう。

そんなときは旅に出よう!

というか、俺は出たい!
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☆ Gさん ☆ (Nozomi)
2011-07-26 16:12:22
「なんのために?」というのは、お金に限らず、ヨガに限らず、だね。
人のことはよく分かるのに、自分のこととなるとなかなかね。

幸いなことに、ヨガの場合はその滞留からの脱却もヨガだというところかな。

偉大な師はヨガを旅に例えていたから、私はとにかくこの旅を続けてみます。
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同じです (rie)
2011-07-28 23:04:48
よくわかる、にもう一票です。ちなみにわたしはヨガをはじめてからというもの一人問答が本当に増えました。
「…はほんとはこうなんだよなぁ~」「いやいやそんなふうに考えるのは違っている…」とか。ほとんど毎日こんな感じです。
それがいい作用になるときもあれば、本末転倒になっていることも多く。。
ジャンプバック&ジャンプスルーはわたしもまだまだイマイチです(笑)
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☆ rieさん ☆ (Nozomi)
2011-07-29 17:39:26
rieさんの仰る「いい作用」というものが起こるのも確か。
一進一退を繰り返しながらも、それを求めて「ああでもない、こうでもない」と思考錯誤することは、成長の過程にいる証しなのかもしれませんね。
未熟なうちにこれをやめてしまうより、成熟を求めてもがいていたい。
rieさんのコメントからそんな風に導かれました。
ありがとうございます。

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