「のだめカンタービレ」の最終楽章の後編を見に行ってきました
今年の正月に「のだめカンタービレ」に嵌まってから、最終楽章の前編を映画館で見たのが2月入ってからすぐで・・・
後編公開まで待ちに待った2ヶ月半でした
前編のラストが「え~~どうなるの??」で終わったので後編公開までは待ちきれないとコミックを借りて読んでしまいました
ストーリーを知ってしまったら何の感動もないのではと思う方もいるだろうが、「ネタバレOK!OK!ラストがわかれば安心」の私としては何の迷いもなかった。
コミックを読んで思った事は前編でナゼ??こんな場面がと思っていたことが原作には詳しく書かれてあって内容が良くわかった事です
たとえば原作を読むと・・・
資金繰りも厳しく落ちこぼれのマルレオケを任された千秋の為に、のだめは「妻だから・・」と一生懸命裏方の仕事をする
チケットが売れるようにとチラシを配ったり日本式にテッシュ配りをしたり・・・
おのずとマルレオケのマネージャーテオとも仲良くなり奥さんと呼ばれ事務所に入り浸り・・
しまいには千秋に出入り禁止にされる(爆)
でも映画ではオケの練習をしている様子を二階席からこっそり覗いている、のだめにテオが「奥さん何をしているんですか?」と声をかけ会話するシーンだけだ
しかも、のだめは髪を頭の上でちょんまげ風に結んでいる。
映画をみただけではなぜに、のだめがちょんまげなのと思ってしまうが・・
千秋に出入り禁止にされ(笑)ヤワラちゃんに変装して2階席からこっそりと覗いているって事がわかる。
いくらヤワラちゃんのように髪を結んでも見ればのだめだとわかるのに(笑)千秋の側にいたい女心

をコミカルに描いている
それに千秋がのだめと離れて暮らすことを決めるシーンが突然のように出てくるが
映画を見ていただけでは何故??と思ってしまう・・
原作では何故今は離れて暮らすのかとのだめに言い聞かせ場面があるのでなるほどと納得できるのです。
ネタばれついでにもう一つ・・・
のだめが「もうピアノは弾けない・・」と失踪するのですが映画では千秋が失踪したのだめに心を痛めるシーン

はわずかしかなく、見つかったとの知らせに会いに急ぐ場面になってしまいます。
でも原作ではのだめを思う千秋が切なく描かれています
マルレオケの常任指揮者をする傍ら、ジャンと親愛なるヴィエラ先生のもとで勉強を始めます。
のだめから会いたくないと言われ、ヴィエラ先生の元に帰った後失踪を知った千秋が仕事も手に付かずに抜け殻のようになり練習にも身が入らなくなります
そこにヴィエラ先生と親友だった父親が現れます。
子供の頃に出て行った父親とは疎遠になっていたのですが久しぶりに会った父親と口喧嘩をしながらも胸の内をさらけ出す場面があります。
音楽をやっている先輩としてさりげなく励ます父親
いくら離れて暮らしていてもやっぱり父と子だなと親子の関係が少し修復されるとてもいい場面です。
映画にはその場面がない

のが残念です。
原作にはそんな細かい描写まだまだたくさん有ります
映画だとどうしても決まった時間の中で作り上げなくてはならないのでどこにテーマをおくかでどの場面を残すのか決まって来てくるのだろうなって思いながら・・・
後は役者の演技で表現するのを見る人の想像力でカバーするしかないのかも・・・
是非、のだめにはまっている方にお勧めしたい、映画を見てから原作を読むとより深く
「のだめカンタービレ」を感じる事が出来るはず

・・・私はその様な気がするから・・・
さてさて~~予習も復習もバッチリな所で待ちに待ったラスト「最終楽章」の後編を堪能する事が出来ました。
ストーリーがわかっていても十分に楽しめた
やっぱり映画のいいところはオーケストラの迫ってくるような音楽とのだめの弾くピアノ・・・
それからパリの美しい風景と役者のなりきった演技・・・
千秋とのだめもラストはどんな風に描かれているんだろうか・・・
などなど・・・
私にとって「のだめカンタービレ」は忘れられない作品となりました
今まで聞き覚えのなかったクラシック音楽に芽生え・・・
のだめと千秋先輩の恋を応援し・・・
パリの中を駆け巡ったような気がしました。
のだめとお別れかと思うと寂しくなるけど私に漫画の面白さをまた再確認させてくれて新しい世界を広げてくれた物語だった
一つのことから又新しい事につながっていく、それが生きているってことなのかなって思う

(ちょっと大げさかな(笑))
「本当はなんども思った事がある。
あいつにとって日本いる人生のほうが幸せだったんじゃないかって・・・
苦しみもがく音を聴くたびに
いつも無理して苦しくつらい道を行かせなくっても・・・
あいつが本当に好きな道を選んで・・・
オレはそれを受け入れて・・・
普通の恋人同士のように・・・
あいつのピアノだって一緒にいればいつだってオレはこうして聴ける
普通の事だ 何の問題もない
それでもオレはやっぱり
何度でもあいつをあの舞台に連れて行きたいと思うんだ
このピアノを聴くたびに・・・・・・・・
いくら苦しくても
気が遠くなるほどの孤独な戦いが待っていようと
音楽を楽しむ喜びがあるから
何度でも立ち向おうとおもえるんだ・・・・」
失踪したのだめが見つかり、パリの中を駆けつける千秋の姿が映し出されるシーンで、のだめを思う千秋の気持ちがナレーションで一部分だけ流れます。
見ているとジーンと胸が熱くなるシーンです
「お互い音楽をやっていなければもっと一緒にいられたのに・・」という龍太郎と清良も言っていたけど・・
「でも音楽をやっていなければ巡り合えなかったのよね」と二人は結論を出す。
恋人同士であっても自分の音楽を高めるためには普通の恋人のようには過ごせない、音楽をやっている恋人同士の避けては通れない課題なのかも
それをどう乗り越えるかも見所なのかなって私なり感じました
のだめが無理してピアノを弾いているのは千秋のそばに居たいから・・だから千秋と共演できたら満足してそれで終わりにしようとしているように見えます。
その後は千秋のそばにいられたらそれでいいと・・
でも、のだめの才能を知っている周りの人たちそれぞれは、のだめがちゃんと音楽と向き合い楽しく音楽を続けられるようにと・・・
それが終わりじゃないのだよと教えようと心を配ります。
のだめがそのことに気づく事ができるだろうか・・
千秋はのだめにその事をどのように気が付かせるのか・・・
そして二人で過ごす未来をどうやって作り上げていくのか・・・
のだめカンタービレを見る醍醐味はのために弾くピアノと千秋の指揮するオケ・・
それだけでも十分に楽しめるけど・・
私的にはのだめと千秋が結婚なんてシーンも見たかったなっていうのは本音ですが(笑)
原作でのシュトレーゼマンの言葉
『でもよかったね。二人とも・・
ちゃんとわけて ひとつになった』
『カンタービレ』・・・音楽で、発想標語のひとつで、歌うようにの意味。