それにしても、この上直竹の富士浅間神社には多種な神仏が祀られていたことから、あるいはこの神社、もともとは神仏混交の信仰の場ではなかったろうかと思い、帰宅した後に調べてみたら左の通りであった。
「新編武蔵風土記稿」には以下のように記されていた。
南仙寺・・・富士山富士坊東光院ト號ス。本山修験ニテ篠井村観音堂配下ナリ。本尊不動ヲ安置ス。
浅間社・・・上下直竹村ノ鎮守ナリ。例祭六月十五日。本山修験南仙寺ノ持ナリ。
(註・・篠井村とは、現在の狭山市笹井を指す)
明治初頭の廃仏毀釈の折に、この修験の寺「南仙寺」は廃寺になってしまったことが知れ、これら多種な神仏が祀られていたことについての疑問が解けた。
さて、この神社の境内に在った自然石の陰陽石を見て、これを「歓喜天」との繋がりで考えさせられたと前記したが、当ブログの記事でも触れたことがあった。
そこで少し歓喜天について触れてみたい。
「歓喜天」は、もともとはヒンドゥー教の「ガネーシャ=群集の長」と呼ばれる、同教の最高神であるシブァ神を父に、烏摩(パールヴァティー)を母に持ち、シブァの軍勢の総帥を務めたとされる神に起源を持つのだそうだ。
古代インドで障碍を司る神だったが、やがて障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されていたと云う。
これがヒンドゥー教から仏教に帰依し取り入れられるに伴い、仏教の尊像の四区分(如来・菩薩・明王・天)の内の「天部」に属する守護神の一つとして位置づくようにとなったそうで、「歓喜天」の他に「聖天・大聖歓喜天・大聖歓喜大自在天・大聖歓喜双身天王・象鼻天・天尊。あるいは、毘那夜迦(びなやか)、誐那缽底(がなぱてい)などとも称されている。
「聖天」も名は、大日如来もしくは観自在菩薩の権化身であるために、歓喜天の本身(大日如来・観自在菩薩)を表すために「聖」の字を用いられることに因っている。
歓喜天の像容は象頭人身の単身像もあるが、主としては抱擁し歓喜を表した象頭人身の双身像が多く、稀には人頭人身の像も在るそうだが、その殆どが厨子などに納められ「秘仏」として扱われており、一般の目に公開されることは無い。
(県内での例として、高麗聖天院の歓喜天は高麗王若光の守護仏であったとされ、妻沼歓喜院の歓喜天は斉藤別当実盛の守護仏で錫杖頭の金具に鋳込まれたものであるとされているが、どちらも秘仏である)
歓喜天の象頭人身の抱擁した双身像(男天・女天)の成り立ちについての説は種々あるようだが、その中には以下のようものも伝えられているという。
大聖歓喜双身大自在天毘那夜迦王帰依念誦供養法によれば、
歓喜天の父親である大聖自在天(シブァ神)は、妻の烏摩と云う女神との間に三千の子を設けたが、この内の千五百はビナヤカ(毘那夜迦)王を第一とし十万七千の眷族を率いて悪事を尽くす悪神であり、もう一方の千五百はオウナヤカ(扇那夜迦)王を第一とする善神であったという。実はこのオウナヤカ王は観世音菩薩の化身であり、この双方悪と善を調和させるために両者は兄弟夫婦となり抱擁し合う同体の姿を現した。
四部毘那夜迦法によれば、
昔ある国の一人の大臣が、王の妃と不倫関係を結び、それを知って激怒した王によって毒とされる象の肉を大臣に食わせたところ、それを知った大臣は慌てたのだったが、王妃からケイラ山の大根を食せば毒を消せることが出来ると教えられ、大臣はそれを食べて一命を取りとめることは出来たのだが、王を深く恨むようにとなり暴神ビナヤカと化して国に禍をもたらすようになった。
困った王と民達は観世音菩薩に助けを求めると、観音様は美しい女にと化身してビナヤカの前に現れる。その美女に夢中になったビナヤカが抱かせてくれるように要求すると、観音の化身である美女は祟りを止めて仏法を守護する善神となると誓うのなら抱かれてもよいと答えたところ、ビナヤカはこれを約束して観音の化身である美女を抱き交わると歓喜を得た。以後、ビナヤカは仏法を信奉し、仏教の護法神となった。
上記の二つの話からも、抱擁し合う双神像としての姿をとる歓喜天の謂れを汲み取ることが出来る。
そしてまた、歓喜天が象頭である理由については、毘那夜迦那誐缽底瑜伽悉地品秘要に次のように述べられているという。
「仏菩薩の権現にて、作障者を正見に誘入せんが為に象頭を現す。即ち象は瞋恚強力ありと雖も、能く養育者及び調御者に随ふ。此の尊然り。障身を現せども、能く帰依の人乃至帰仏者に随うと云えり。」
(象は仏陀や菩薩の仮の姿であって、障わりを作っている者を正しい道へと導くために、象頭の姿をしている。それは象が怒りの心や強い力を持ってはいるが、養育や調教する者の意に従うことから、ビナヤカ(歓喜天)もまた象と同じく仏法に帰依する人に随従する)ということから、それに擬えられて歓喜天の頭部は象頭とされているのであろう。
私が特に注目したく思うのは、この歓喜天の修法には先ず以って、その本身である毘蘆遮那仏(大日如来)と観世音菩薩と併せて軍荼利明王の三尊を崇敬・礼拝すべきと説かれ、それぞれの真言が唱えられているということであり、軍荼利明王が歓喜天を調伏支配するとされている点である。
(前記したように、妻沼・聖天様の「軍荼利の滝」脇の軍荼利明王像もこうした由縁から祀られているのであろう。)
そこで、それでは何ゆえに軍荼利明王が歓喜天を調伏・支配するものとして位置づけられるようにとなったのだろうか?を、次に考えてみたい
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