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フランコン修道院長
マリアに対する賛美は、汲み尽くすことの出来ない泉である。広がれば広がるほど、満ち溢れるし、あふれればあふれるほど、広がるのである。
聖アウグスチヌス
全ての人の肢體がみな舌に変じたとしても、マリアを十分に賛美する事が出来ない。
リシャール・ド・サン・ローラン
マリアを崇める事と、永遠の生命の宝を獲得することは、同じである。
聖ボナヴェンツーラ
ああ、わが霊魂よ、マリアのうちに喜び踊れ、マリアを賛える人々に約束された宝は、限りないものだかである。
聖アンセルモ
マリアのふところは、イエズス・キリストが罪人を救うために、辿られた道である。
それゆえ、説教の時マリアの栄光を語るならば、罪人の改心と救いとを勝ち得ないわけはないのである。
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きょうは神の母聖マリアの祭日です。
神の母聖マリアがカトリック教会のみならず、他宗派のキリスト教会のなかで、軽んじられていることに憂いをかんじ、また、再投稿させていただきたく思います。
神の母聖マリアは、キリスト教においては人間が認めようが認めないにしろ重要な位置を占めています。
最近では、聖母に対しての礼拝は危険だなどという考えを勝手に持っている人が少なくありません。
聖書においても、聖母マリア様の記述が少ないためか、聖母に対して偏見を持つ人が多いのです。
人間の救いのみ業は、天使が聖母に現れ、聖母の救いのみ業への受諾『御言葉どおりこの身になりますように。』ではじまりました。
聖母の受諾がなければ、人類はだれひとりとして救われなかったのです。
神様は、天から地に降りる為にはこの不浄すぎる地には降りることは出来ませんでした。
そこで、神様は、正確には御父なる神様は御子なる神イエズス=キリストを聖マリアの胎をとおして地上に降りられたのです。
神様を知るにはまず、神様の最高傑作である聖母マリア様の所にいかなければなりません。
聖母を礼拝している事が危険だ?
誰がそんな勘違いをしているのでしょう。
礼拝出来るのは神しかいないと知っています。
聖母マリア様を崇敬し、愛しているのです。
聖母は地上と神様の間の仲介者です。
私達がなにか、神様に頼みたいと思ったらまずは聖母マリア様の所にいかなければなりません。
そうしないと聞き入れられる確率は皆無です。
私達の祈りの花束は、聖母マリア様を通すことにより、より美しい聖なる花束に変えられて神様のみもとに届くからです。
神様は聖なる母マリアに地上に恵みを仲介する権限をお与えになりました。
全ての恵みは聖母を通して与えられるのです。
全ての聖人たちの仲介よりも、聖母の仲介の力は絶大です。
聖母の御子イエズス様への嘆願は、ほぼ命令に近いからです。
御子イエズス様は、御母マリアの頼み事を断る事が出来ません。
聖母マリア様に神様が与えた権能は、人間が考えているよりはるかにすごいものなのです。
聖母マリア様は、"天の門"と呼ばれています。
それは、この門を通らずして天国に入ることはほぼ不可能だからです。
天国に入る為には、まず神の母マリアに挨拶しなければなりません。
というように神の母を書けば話がつきません。
私のつたない言葉では駄目なので、聖人達が聖母について語った言葉をのせたいと思います。
それによって聖母がどれだけ偉大な御母なのか、理解できるでしょう。