徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2011 京都紅葉  大徳寺 -高桐院

2012-01-30 01:37:54 | 京都散歩
12/11 広大な敷地の中の22の寺院の一つ、高桐院を訪ねる


この光景を見てみたい・・


大徳寺は諸塔頭は別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺を数える。それら塔頭の多くに戦国武将や大名の墓があるのが特徴。例えば、織田信長の総見院、三好長慶(義継の父)の聚光院、六角政頼の大仙院、細川藤孝(幽齋)の高桐院、小早川隆景の黄梅院、石田三成/森忠政(森蘭丸の弟)の三玄院、黒田孝高(長政の父)の龍光院、畠山義元/大友義親/大内義興の龍源院、大友義鎮(宗麟)の瑞峯院、前田家の興臨院など。その他、一休宗純の菩提を弔った真珠庵、加賀百万石前田家菩提寺の芳春院、足利満詮の養徳院、梶井門跡尊胤親王の徳禅寺、後陽成天皇の侍医、曲直瀬正琳の玉林院、小堀遠州政一の孤蓬庵らがある。また、これら塔頭はそれぞれ優れた枯山水庭園をもっているが、中でも大仙院、聚光院、真珠庵、孤蓬庵の庭園は国の史跡・名勝となっている。

南側北大路通りの門から入る


多くの塔頭で常時公開しているのは大仙院、高桐院、瑞峯院と龍源院の4院だけ。他の寺院は春秋に特別拝観を行うことがある








禅寺のデパートというと怒られそうだが・・多くの寺がある









ここから 高桐院です。14時30分を過ぎてました


玄関への石畳の参道


落ちた楓の落葉は少し茶色がかっていて残念ながら鮮やかではない。






本堂(客殿)南の庭は竹林を背景にした楓と石灯籠、緑苔で構成された簡素な庭園。
通称「楓の庭」と呼ばれる。一面の苔地の中に一基の灯籠が据えられている。












庭園奥には、細川忠興(三斎)とその夫人ガラシャの墓とされる春日石灯籠がある。この石灯籠は千利休が愛用した灯籠であったが、秀吉が欲しがったため、灯籠に一角を壊して召し上げられるのを逃れたといわれる灯籠。利休が切腹の前に遺品として三斎に贈ったものと伝えられている。




前庭に置かれている蹲踞(つくばい)は朝鮮出兵の際に加藤清正が持ち帰り、忠興に贈られたものと伝わる。




書院に隣接した茶室「松向軒」(しょうこうけん)は利休の邸宅(利休の聚楽屋敷の広間)を移築したものといわれる建物。豊臣秀吉が催した北野大茶会の際につくった茶室を寛永5年(1628年)に移築したものといわれる。松向軒の名の由来は忠興の法名である松向寺殿三斎宗立から来ている。
二畳台目で、三帖の水屋がつき、向切り、下座床で三斎自身の手で寛永5年(1628)に造られたという。











高桐院(こうとういん)は京都府京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭のひとつである。開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹(ぎょくほじょうそう)である。
戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が叔父で父細川藤孝(幽斎)の弟にあたる玉甫紹(ぎょくほじょうそう)を開山として慶長7年(1602年)創建する。
正保2年(1645年)に83歳で没した忠興は、遺言によりその遺歯が高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護される。


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