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徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

下野 天平の丘公園花まつり

2012-05-17 01:38:38 | 2012栃木歳時
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 国分寺の天平の丘公園内の国分尼寺跡までポタリング
花まつりで八重桜満開
450本の八重桜のほか、春一番で咲く、淡墨桜9本









伝紫式部の墓 鎌倉時代の墓をここに移設したもの


平地林の新緑







下野国分寺跡
奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇は仏教の力によって政治の乱れや疫病を鎮め、国家の平安を守ろうと考え、全国に国分寺の建立を命じ、全国60数箇所に国分寺が建設された。国分寺は国の保護を受けて維持されたものの、律令体制の衰退と共に衰退し、その多くが古代末から中世初期には廃寺なったと考えられている。
下野国分寺の寺域には、現在いくつかの堂塔跡が残っており、往時のありさまを今に伝えている。これらの遺構から当時の建物の配置を復元すると、下野国分寺は奈良東大寺の様式を基本としていることがわかる。下野国分寺の僧寺は南大門、中門金堂、講堂は南北一直線上に建てられ、中門と金堂は回廊でつながっていたと考えられる。塔は、回廊の外の東側に建てられ、基壇の規模から、壮大な七重塔であったと推定されている。 また、創建期における伽藍(がらん)地の規模は、発掘調査によって、東西約216m、南北約252mに及ぶものであったことが確認されている。






田園の中の夫婦桜


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