奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

安倍宗任と鳥海神社

2007年01月14日 | 奥州安倍氏
昔、浄法寺を含む二戸地方は奥六郡の長である安倍頼時の同族で、甥の安倍富忠が治めていたとみられる。
行基が開山したという八葉山天台寺は、富忠や、頼時の子が関わったいたともいわれる。
前九年の役の際、富忠は朝廷側の陸奥守源頼義に通じて頼時を討ったことが、安倍氏滅亡の原因となった。
生き残った子の安倍宗任(通称鳥海三郎)は捕らわれの身となり、都に連れていかれ、のち九州大宰府に配流となった。
宗任が陸奥から京へと向かうその途中、当時毛の国と呼ばれ、蝦夷が暮らしていた今の群馬県のみどり市東町まで
同行していた700余りの一族、家来達は、京へ同行を許されず、その一部がこの地に土着したという。
そして土着した一族、家来は宗任を祀るこの鳥海神社を建てたという。

この小中にはその蝦夷の末裔と伝わる豪族がおり、鳥海神社はその豪族の屋敷神とも云われる。
また、この地一帯を鳥海弥三郎が治めていたとも伝わっている。
近くに鹿角や花輪という地名が残り、陸奥からの伝播地名と云われる場所が残されている。

毎年、九月の第一日曜日に小中の獅子舞が行われる。
(獅子舞は12時頃開始?)

鳥海神社
鳥海神社への最寄駅 わたらせ渓谷鐵道 小中駅
隣に鳥海神社を管理している曹洞宗の大蒼院がある。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (東宮正周)
2011-10-29 15:13:16
御世話様です。たのしく拝見させていただきました。
ベトナムからコメントさせていただきます。
東宮と言う名前は花輪に2軒存在していますがどうも私の家では無く、明治時代に東宮から花輪氏に改名した家のほうが本流ではないかと最近感じました。墓地も光明寺花輪氏の方が立派でした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。