Cafe シネマ&シガレッツ

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★奇跡の丘

2007-06-09 | 映画60年代
数日前ジュリアン.デュヴィヴィエ監督の「ゴルゴダの丘」を見た。いやはやこの監督、人を悪い気にさせない天才である。キリストの受難を描いたこの映画も(こう感じるのは不祥?)ユーモアと機智に富んだイエス.キリスト像が何故か映画を見た私に幸福感をもたらした。映画っていいなあ、なんて思ってしまう。”手首”に釘を打たれ十字架に張り付けにされ荘厳なバック音楽を流そうが何しようがデュヴィヴィエの映画は何故か気持ちいい。多少の映画の壊れや甘さを全て葬り去るのはこの監督の人柄のおかげなんだろう。誰にも真似できない不思議な才能の持ち主だ。

そんなこんなで、結構面白かったのでキリストの受難映画という繋がりで、パゾリーニ監督の「奇跡の丘」を借りてビデオで見た。
以前にこの監督の「ソドムの市」と「カンタベリー物語」を見たことがある。とてつもなく変態映画だった。見ているうちに脳みそのねじが一つ飛び二つ飛び、次第にオバカになってゆく開放感があった。
今回観た「奇跡の丘」は、全然違う印象だ。絵の感じとか戦いのカットとかひとつひとつ淡々と撮っていく感じ、見ている人々、などは同じ監督だな、と分かるのだが、変態チックでもなければ頭のねじを緩めることもなく、いつしか胸が熱くなってしまった。
この映画は「マタイによる福音書」の描写である。マリアの受胎からイエスの復活までを淡々と綴っている。いや聖書の声で綴っている。と、いうのは(ビデオのせいだったらすいません)自然な音がないのだ?!セリフと音楽(音楽よい!)あとは無音。妙な緊張感と不思議な空間と時間。無声映画がそうであるように、事象を追っていくだけなのに深い感動が起きる。
出てくる人間は何故か生っぽい。キリストは(まあ32歳で張り付けだからそんなもんか)顔の長い、知恵もあるけどエゴもある(ような)奇跡は起こす青年。悩み苦しみ怒り...
クライマックスのイエスを売ったユダの首つりシーンから、三回イエスを知らないというヨハネ(?)の嘆き泣き、そしてイエスの十字架での苦しみ、悲しみの年老いた老婆となったマリア...胸が苦しくなった。”自分も含め 人間は愚かだ”と、何故か痛感した。涙が出ればもうちょっと楽なのに出る事はなく、ただただ胸が苦しくなった映画だった。

話は逸れるが、女の子が可愛いくて魅力的。若き日のマリア。ヨハネの首をいとも簡単に欲しいというサロメ。この二人を見るだけでも価値あり!


(66/伊.仏/監:ピエロ.パオロ.パゾリーニ)

★お遊さま

2007-06-09 | 映画50年代
流れる樹々。その中での出会い。とにかく前半の綺麗なこと!
エロく狡猾すれすれの女.お遊さま(田中絹代)にわくわく!
麗しき心気高きお遊さま。でも子持ち未亡人ゆえに愛欲めらめら。
暑気あたりで真白きパラソルの中で倒れしお遊さまの香り立つ色気。
慎之助(堀雄二)はくらくら。
お見合い相手の妹.お静(乙羽信子)は慎之助に恋するも、惹かれ合う二人の気持ちを察して橋渡しになる決心の末結婚?!ゆえに夫婦関係は結ばない。
と、複雑怪奇な愛憎関係がいつか崩壊しないわけがないのだ...

悪女モノと言っていいのか分からないが、男を落としてゆく女ってのは非常にわくわくします。
ただ、ガルボの「マタハリ」 もそうだったように後半ちょっとぬるくて自分的には好きではないのですが、やっぱり忘れられない一本になるでしょう。

(1951年/日本/原作: 谷崎潤一郎/監: 溝口健二)


★処女の泉

2007-06-01 | 映画60年代
CSで「処女の泉」を観ました。イングマール.ベルイマンの映画は初めて。
何となく暗そうなイメージがあったので、特集などがあったにも関わらず一度も観た事がなかったのですが...見始めたら捕われるように最後まで見てしまいました。何たって凄い綺麗!!そして過激な表現があるわけでないのにグロクてエグイ!生めかしいこと艶かしい事!美しくて哀しい人間の性、生が一遍の詩のように存在していました。ベルイマン恐るべし!!

古いお寺やどに行くと、立て札に
「この面のいわれは...よってこれが名士○○によって作られた」
「この池は夜になると竜が水を飲みにきていた。だから竜神池という名がついた」
「この像の神様は...」
とかいうような、とりとめのないようなあるような伝説が書いてあったりしますが、この映画もそんな感じの内容です。
どうしてこの泉が出来たか?教訓があるわけでもなく三面記事的事件と奇跡。
と思ったら、スウェーデンの民話を基にした小説の映画化なのだそうです。
舞台は中世。ある豪族の一人娘カーリンが処女しか捧げられないロウソクを納めに出かけます。彼女の家で育てられた孤児インゲリがお供をするのですが、途中暗い森で、美しいカーリンが憎らしく土着の神に呪いを祈ります。
そのインゲリが森の暗さに怯えて逃げ出した後、
見た目だけでなく心美しいカーリンは乞食の三兄弟と出会い、弁当を分け与えます。しかし、彼女は強姦され、殺されてしまいます。
その後、偶然にも彼女の家にその三兄弟がたどり着き...。
熱心なキリスト教信者である心優しく正しいその両親ですが、愛する娘を殺された事を知り、彼らを斬殺。
そして、父親がその娘の死体のあった場所に教会を建てると誓った時、そこからこんこんと泉が湧き上がった...。こんな話です。

これがどう面白くなるの?と、疑問をお持ちになる方も多いでしょうが、中世が舞台ということもあってコスチュームが綺麗。カーリンの衣装の刺繍とかホント綺麗で可愛いです。そして、セリフが詩的、映像が美しい。人間の心理描写が生々しい。
罪悪感なしに強姦し撲殺した二人の兄に対し、吐いて物が食べられなくなる弟。
自分が呪ったためにカーリンが死んだと罪悪感に苛まされるインゲリ。
娘を殺したのは自分の嫉妬だと嘆き悲しむ、娘を深く愛していた母親。
復讐とはいえ罪のない末弟まで衝動的に殺して、その罪の重さを悔いる父親。
よくベルイマン監督の主題は「神の不毛」と言われていますが、むしろそれを描く事で普段見る事のできない人間の心の奥に潜む醜さや善良ゆえの不毛感を通し、
「生きるとは?」を描きたかったのではないんだろうか?なんて思いました。ベルイマンは「神の不毛」を描いてはいるけど「神の不在」は描いてないから。あれだけ美しい自然を撮れるのはある種、神への賛美を感じます。

中学や高校で読んで衝撃を受けた詩、「伝説」(会田 綱雄)とか「I was born」(吉田弘)に通ずるものを感じました。生きるとは、かくも美しく哀しいものだなあ...なんて。

(1960年/スウェーデン 監:イングマール・ベルイマン)