EMERALD WEB≪拝啓 福澤諭吉さま≫

政治・経済・生活・商品情報などさまざまな話題で情報を発信してます。

<ノーベル文学賞②>「ニューアカ」の罪作りな偽ノーベル賞

2018-09-21 14:45:52 | 国際社会・受賞

「ニューアカ」の罪作りな偽ノーベル賞

本物がもらえなくなる、苦し紛れのキャンペーン

2018.9.7(金) JBPRESS

スウェーデンの首都ストックホルムのスウェーデン・アカデミーで、ノーベル文学賞の受賞者発表の会場に並べられた受賞者の作品(2017年10月5日撮影)


 2018年、ノーベル文学賞が、選考機関であるアカデミーでの「皇太子おさわり事件」など救いようのない

醜聞で発表できなくなった経緯について前回触れました。


 そんななか、今年に限りレプリカの文学賞をスウェーデンで「ニューアカデミー」を作り授与するという話(https://www.theguardian.com/books/2018/jul/02/alternative-nobel-literature-prize-planned-in-sweden

が聞こえてきました。


 いわば、真っ向切っての「偽ノーベル賞」で、さらに「候補者を事前にノミネート、リーク」という、

スウェーデンアカデミーが絶対にしないことを正面から行っているんですね。


 「ニューアカ」偽ノーベル賞がノミネートしたのは

https://www.theguardian.com/books/2018/aug/30/neil-gaiman-haruki-murakami-alternative-nobel-literature-prize


Neil Gaiman

Haruki Murakami

Kim Thuy

Maryse Conde


 の4氏で、いずれも「小説家」というのがポイントでしょう。


 本来のノーベル賞とは全く異なる、文学というより小説、ないし書籍の売り上げなどと関わりのある、

一定のインタレストをもった宣伝活動と見るのが正確でしょう。


 ここに日本の流行作家「Haruki Murakami」の名ががあり、この偽の賞を受賞すると、ちょうど

いいのではないかと思います。


 Haruki Murakamiについては後で触れるとして、この「偽ノーベル賞」、面白いことをしているなぁ、

と思うんですよね。

 

ポイントは「ニセモノの正当性」にあります。


 つまり、今年この偽モノに選ばれた人は、来年以降、本物のノーベル賞を受賞する資格が残っているのか、

それとも「偽の褒賞」を受けたら、その後本物の賞を受ける資格を剥奪されるのか?


重複受賞問題を棚上げしたキャンペーン

 「ニューアカ・偽ノーベル文学賞」は、本家本元のノーベル文学賞が多臓器不全状態で動かないなか、

火事場泥棒的に登場した、かなり性格のおかしな代物と思います。


 しかし、そういう矛盾に何も気づかないのか、日本語では脳天気な報道もされていました。

 「新ノーベル文学賞」うんぬん


 はぁ、この「新」賞を2018年、本物のノーベル賞と無関係に受けた人がいたとしても、

スウェーデン王室から赤じゅうたんの表彰式に招かれることはないでしょう。


 本家本元のノーベル賞は「2019年に2018年分も発表する」としているのですから、当然です。


 これはあくまで、全くノーベル賞とは無関係な「新文学賞」であって、かつ今年限りという、

明らかに一時しのぎ、苦し紛れの中で「情報発信」を目的に作られていることに注目しなければなりません。


 この「新文学賞」を仮にNeil Gaimanがもらったとします。


 正確には「授与する」との発表があり、それをGaimanが受け取ると承認したとして、それはいったい

何を意味するのか?


 とりわけ、ほかのことではなく2019年に発表されるらしい、2018-2019年のノーベル文学賞に

与える影響ということに絞って考えてみていただきたいのです。

 

 もしNeil Gaimanが本物でもノミネートされていたとして、でもニューアカ偽賞で大枚の賞金など

受け取っていたなら、それを後追いするような賞の発給を、今まさに信頼の回復を懸けている、

本物の「スウェーデン・アカデミー」が決断するだろうか?


 まず100%、しないと思うわけです。


 つまり、2018年の「偽ノーベル文学賞」を貰う作家は、少なくとも2018-2019年度に関して、

ノーベル文学賞は絶対に貰えない、というお墨つきを得るのに等しいことになる。


 いやいや、もっと言うなら、こんな賞を貰ってしまうと、その後多分一生、本物のノーベル文学賞は

授与されることがない、無縁の人になってしまう可能性が極めて高い。


 賞の信頼とか権威というのは、そういう性質のものです。その意味で、きわめてグレーというか、

場合によると罪作りなことを、この「ニューアカ」はしている可能性が高い。


 今までの人生で結構な数「賞」というものを貰ったり、また審査する側にも回って発給・授与なども

してきた経験上、安全に断言できますが、ケチのついた褒賞を出そうと考える主催者はいません。


 「あのおさわりスキャンダルのとき、苦し紛れのパチもん賞を出され、それを断った」というのであれば、

それはそれで一つの見識かもしれません。

 でも、これとて、スウェーデン側としては公開で候補を絞っていく人気投票方式で読者に愛される作家

選んでいるわけですから


 私は本物のノーベル賞が欲しいから こっちのニセモノはいらないというのは、これはこれで

因果、因業な話になります。


 つまり、勝手にノミネートされ、勝手に選出されるものであるのに、受けるの地獄、受けないのも

地獄というような、究極の選択。いや、それにもなっていない、ポストトゥルース的な

作家の消費にしかなっていない。

 

受ければ、「私は本物のノーベル文学賞はいりません」と言っているのに近く、受けなければ、

せっかくの読者からの人気投票を不意にし、「そこまでしてノーベル賞が欲しいんかい!?」という

賞ゲバ亡者ぶりを自ら赤裸々に語ってしまうことになる。


 いやはや、すごいものを作ったもんだ、と率直に感心してしまいます。


 その生き地獄状態に、日本の流行作家Haruki Murakamiは置かれているわけです。


 そういう現実を分かったうえで報道しているのか?


 率直に疑問に思うような記事ばかり、目にするように思います。


「ニューアカ賞」をお薦めする理由

 今までも記してきたことですが、Haruki Murakamiがノーベル文学賞を取る公算は、決して高くは

なかったと思います。


 それは、ノーベル財団が公表しているアルフレッド・ノーベルの遺言の趣旨と全く一致していないからに

ほかなりません。

 前回も記しましたが、ノーベル文学賞の設置意図は


 「人類全体に対して、最大の公益をもたらした人を顕彰する」中で「5分の1は、

literatureのfieldにおいて、理想を指し示す方向で最も際立った仕事/作品を生み出した人物に与えられる」


 と明確に規定されており、別段、小説の売り上げとか、文学の危機がどうしたとか、そういう話では

全くありません。

 

 混乱の時代に、皆が進むべき道を見出せなくなり、踏み迷っている。そんななかで「これだ!」という

明かりを見せる、希望の光を明確に示すような貢献をした人を、アルフレッド・ノーベル記念財団は、

ノーベル文学賞の授与対象として選ぶのです。


 ニューアカの小説ビジネス振興・1年限り賞といったものとは、およそ趣旨を異にしているのが

分かるかと思います。


 これは私の個人的な想像に過ぎませんが、Haruki Murakamiは決して自分にノーベル賞など来ない

ことが分かっていて、むしろそれに開き直り、自己正当化するような考え方になっているのかもしれません。


 というのは、比較的最近、ノーベル財団が目にすれば、絶対に賞など出すわけがないような、

決定的な作文を、どういう意図かは邪推しませんが、Haruki Murakamiは(日本語で)公開している

様子なのです。


 これについても場合によって、別稿で、つぶさに解釈してみてもいいのではないかと思います。


人気ブログランキング