少子化対策で毎年2兆円以上の“無駄遣い”
「LGBTは生産性が低い」という無知無能の発想が生まれる理由とは
平成28(2016)年度支出で、公会計が示す数字は
2,022,267,607(千円)
となっています。桁が多くて、一目ではよく分かりません。2兆220億円強と言い直してみると・・・。
上よりは読みやすくはなりますが、いまいちピンときません。総人口1.27億で割ってみると、国民1人当たり
約1万6000円ほど「少子高齢化対策」に支払っている勘定になる。
実際には納税者人口はもっと少ないですから、極めてザックリ言って、毎年2~3万円ほど、関連の原資として
税金を払っている格好になっているわけです。
それにしても「少子高齢化対策」の2兆円、何に使っているのでしょう?
日本人は絶滅危惧種か?
この夏、少し前のことになりますが、保守系の女性議員が
「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、
つまり生産性がないのです」
といった意見を雑誌に表明し、当然ながら大きな波紋が発生、激しい抗議行動なども誘発したのは、記憶に新しいと
思います。
こういう、頭のない発言そのものに関わり合いたくないので、政治家の名前などには触れず、やはり問題となる
発言とその周辺だけを考察の対象にしたいと思います。
ここにあるのは「子供を作る」という、動物にとって本源的な<生産>を重視する考え方と言っていいでしょう。
頭数が増えること、これが重要である。
これは絶滅が心配される動物、例えば「ジャイアントパンダ」とか「タスマニア・デビル」、
日本で言うなら「トキ」であるとか「エゾオコジョ」「ヤンバルクイナ」に対するのと似たような考え方になって
いることに注目せねばなりません。
頭数が減っている、と言うとき、重視されるのは数であって、個性ではない。パンダはパンダであって
「シンシン」でも「シャンシャン」でも、「リンリン」でも「ランラン」でも、個性はどうでもいい。
つまり「顔がない」んですね。
顔のない「生産性」というのは、市場で考えるなら一番質の低い商品に対応しがちです。
E-アグリカルチャーのトレンドとしては、生産農家の名前が明示された高級露地野菜などが高い付加価値を
生むわけですが、そういう生産、つまり質を考えた議論は一切出てこない。
動物と同様に顔のない「生産性」でヒトを議論するという、人間の尊厳を否定し、基本的人権を考えない、
拙劣な姿勢がハッキリ分かることになります。
これと、先ほどの「少子化対策費」の使途とを対照してみると、いくつか分かることがあるように思います。
少子高齢化対策予算の内訳を見てみると
そこで、内閣府の発表(http://www8.cao.go.jp/shoushi/budget/pdf/budget/28point.pdf)に即して、
少子高齢化対策費の使途を見てみましょう。
上のリンクの数字は極めて分かりにくい「再掲」なる表記があり、単純に金額を加算すると3兆5000億円ほどに
なってしまうのですが、ひとまずそのままの数字を概算しましょう。
「重点化項目」(合計約9900億円)として5項目挙げられており
子育て支援 9500億
若者の就労支援 145億
多子世帯支援 154億
男女の働き方改革 103億
地域に即した取り組み 5億
となって、要するに「子育て支援」が大半であることが分かります。上記の金額とダブルカウンティングが随所に
あるようですが、きめ細やかな少子化対策の充実(合計約2兆5000億円)として
結婚、妊娠など支援 1283億
児童手当等 1兆9760億
単親家庭支援 1896億
虐待児童対策・特別支援 1423億
などとなっており、つまるところ「児童手当」(1兆4155億)が圧倒的に大きく、次いで「高校生の修学支援」
(3842億)虐待児童支援(1294億)奨学金等(999億)が目立つような内訳になっている。
例えば、虐待児童への対策はとても重要な課題です。そこに官費が執行されることに私は何の異議も唱えません。
ただ、それが「少子高齢化対策」の中で中心となって効力を発揮する要素かと問われれば、多分違うと言わざるを
得ない。
この予算項目は、つまるところ「子育て支援」あるは言い換えて「児童手当」相当が最も主要な部分を占めて居り、
つまり「生まれてきた子供を育てる環境づくり」に対応しているわけですが・・・。
子どもを産み出す、という生物としての本源的生産に関わる部分が、実はほとんどないのです。少子化対策と
言いながら・・・。
結婚や妊娠に直結する部分を寄せると1283億円ほどの数字になっていますが、全体が2兆200億ですから、
言ってみれば 「2万円の飲食費のうち1200円程度」
つまり1割にも満たない部分しかカバーしていないのです。
国が官費をもって介入できることには当然ながら限界があります。巨額の税金を投入しながら、国民一人ひとりが
子供を作るというレベルに、国の予算はコミットすることができない。
その本質的なギャップに苛立ちながら、適切な対案が出てこない与党で提灯を持ちたいのか、
ある種の発言・・・「生産性がどうたら」とか「結婚出産は国民の義務」などという憲法も基本的人権も無視したような
話が出てくるのがよく分かります。
この状況は「北風と太陽」の童話に似ているかもしれません。
旅人のコートを脱がそうとして、北風がいくらびゅーびゅー吹いても、むしろ旅人はコートの襟を立てるだけ。
そうではなく、やさしく太陽が照らすと、旅人はみずから上着を脱いでくつろいだ・・・。
財政政策の根幹がまともに機能していないのに、竹に木を継ぐような施策で小手先のごまかしを行っても、
大した効果など期待できるわけがありません。
国富を食い潰す投げ銭に警鐘を
大学の仕事で、このところ公会計を勉強しているのですが、大いに目を醒ませていただくことが多いように
思っています。
本当に、日本国民の多くが子供を増やそうと思うには、個々の家計の可処分所得を増やすような財政を考えるのが
一番の近道と私は思います。
しかし、新自由主義がトレンドになってこの方、「トリクルダウン」その他の詭弁は山ほど耳にしましたが、
所得倍増なんていう話にはおよそなっていない。
高齢者医療費にも同様のことが言えるように思います。児童給付金は給付金、付け替えであって、国富を本質的に
増やす方向の経世済民になっていないのが、一番の問題だと言わねばならないように思います。
国内産業を保護育成し、真の意味で国が成長していく・・・。
かつてのベビーブーム&高度成長期にはそのような現象が見られました。
公共投資としてではなく、給付金の形で、税収で吸い上げたお金を付け替えても、実体経済の成長・充実に
繋がりませんし、国全体の可処分所得を増やすこと、すなわち「まずは景気」なる旗振りとも、原理的に近づいて
いかないように思います。
公会計については、出典なども付して稿を改めたいと思いますが、投げ銭的な発想で少子高齢化を乗り切ろうと
いうのは間違いで、絶対に勝算はないように思います。
本質的に必要なのは何なのか?
その答は「イノベーション」だと考えていますが、これもまた稿を改めましょう。