心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

師とはなにか? 弟子とはなにか?

2018-02-28 09:20:55 | 哲学・思想

ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』のなかで、喝破していました。

 

弟子たちよ、わたしはこれから独りとなって行く。君たちも今は去るがよい、しかもおのおのが独りとなって。そのことをわたしは望むのだ。

まことに、わたしは君たちに勧める。わたしを離れて去れ。そしてツァラトゥストラを拒め。

いっそうよいことは、ツァラトゥストラを恥じることだ。かれは君たちを欺いたかもしれぬ。

認識の徒は、おのれの敵を愛することができるばかりか、おのれの友を憎むことができなくてはならぬ。

いつまでも弟子でいるのは、師に報いる道ではない。なぜ君たちはわたしの花冠をむしり取ろうとしないのか。

君たちはわたしを敬う。しかし、君たちの尊敬がくつがえる日が来ないとはかぎらないのだ。そのとき倒れるわたしの像の下敷きとならないよう気をつけよ。

君たちは言うのか、ツァラトゥストラを信ずると。しかしツァラトゥストラそのものになんの意味があるか。

君たちはわたしの信徒だ。だがおよそ信徒というものになんの意味があるか。

君たちはまだ君たち自身をさがし求めなかった。探し求めぬうちにわたしを見いだした。

信徒はいつもそうなのだ。だから信ずるということはつまらないことだ。

いまわたしは君たちに命令する、わたしを捨て、君たち自身を見いだすことを。

そして君たちのすべてがわたしを否定することができたとき、わたしは君たちのもとに帰ってこよう。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 経穴と「神経原性炎症スポット」 | トップ | マシュマロ・テストの凋落 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

哲学・思想」カテゴリの最新記事