





母親取り扱い注意その3
身の回りのささいな物が無くなったと回数が増えて来たぞ。
我が・・・・と言う自分のもっ等を曲げずに生きて来た結果がこれだ。
孤立イコウルぼけ。
30年子に従わなかった結果が招いた悲劇。
歩み寄っても常に自分が一番と言う姿勢を崩さなかった結果ですね。
説得しても受け入れようとしない正確って有るんですね。
今時の高齢者は,子供のときの育ち方に様々な状況が十人十色。
終戦からの復興の時に何が有ったのか。
自分たちが高齢者になった時は,どんな育ち方だったかで頭の状況も変化するのかもね。
注意深く観察見守るしか無い様だ。
物が無くなる騒動は,慣れて来た,本人も頻繁だと良い訳が通用しない事に気づいて来ては,いる
そこが話をしていて面白いと感じています。何がそうさせるのか・・・・・過去の出来事と照らし合わせて考えると
何となくそう言う行動に出ちゃうのかと解る気がする。
きっとまた何かが無くなって話すきっかけを作る事でしょう・・・・・・
それでしか,家族とのつながりが確認出来なくなっている母親・・・・そんなきがする。
自分で30年前に取った行動が家族を壊したと説明しても,それを正当化する・・・・誰に聞いても母親の行動は,
間違っているのに。
自分の新年を曲げる事が出来ない,あの行動が正しく、それが子供への教育と言う大きなお世話。
老いては,子に従え,親を乗り越える瞬間を受け入れられなかった結末ですね。
子供は,何時か親を乗り越えます,受け入れようと考えています。
子供に感謝、子供を誉める。一度もしたことの無い母親・・・・・ありえない。
あげくに他界した父親の悪口,言ったい何がそうさせているのだろうか。
仕事柄高齢者を送り出した方達の意見を聞く機会が多少あるので,聞いてみると皆さん本が書けると
壮絶な生活になるとの助言をいただいています。
これも,十人十色で 穏やかに進むご家族もいるかもしれない。
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