全国地蜂連合会

全国の地蜂愛好会やグループで組織する、全国地蜂連合会のホームページです

三宅尚巳元会長を紹介します。

2008年06月07日 | ヘボ偉人伝
 言わずと知れた“ヘボのカミサマ”です。岐阜県旧串原村の三宅尚巳元会長が考案した「三宅式飼育箱(ヘボハウス)」。この巣箱が、現在のヘボの飼育隆盛の端緒となりました。三宅元会長は1926年生まれ。最近まで「くしはらヘボ愛好会」会長と「全国地蜂連合会」会長を勤めておられました。聞けば小学生のときからヘボ捕りを始めたといいます。それから、山の仕事をする傍らヘボを追いつづけ「ヘボのカミサマ」と呼ばれるようになったのです。ヘボの越冬の先駆者、生捕り技術の開拓者でもあります。
 岐阜県串原村で、昆虫食文化が衰退するなか、地域文化の継承を目的に「くしはらヘボ愛好会」を発足(1993年)させ、初代会長に就かれました。そして年々減少しているヘボクの保護・育成に取り組んでこられました。近年では(社)国土緑化推進機構が2002年~2006年までの5年間、全国から500人を選出している事業「森の名手・名人100人」にも選ばれました。これは森にかかわる生業や地域生活に染み込んだ営為のうち、すぐれた技を持ってその業を究め、他の技術・技能者、生活者たちの模範となっている達人を選ぶものです。三宅元会長は「森の恵み部門」(ヘボの保護・増殖)で選出されました。2008年春、連合会の会長を退かれ、名誉会長に就任されました。重責を果たされこれからは、ゆっくりとヘボを楽しんでいかれることと思います。


西尾亮平先生を紹介します。

2008年06月07日 | ヘボ偉人伝
 ヘボの繁殖技術を語る上で西尾先生の事に触れないわけにはいけません。西尾先生は1939年生まれ。1963年に岐阜県公立高校の社会科の教員になりました。1967年に東濃の中津高校へ転勤したとき、ヘボの栄養学的研究で学位をとられた松原弘校長に出会います。この出会いをきっかけにヘボにすっかり魅せられてしまった西尾先生は、授業の合間にヘボ探しに熱中したり、校長室でヘボ談義に花を咲かせたりと、その研究に取り組みました。
 1980年にはついに人工交尾、冬眠に成功。いつしか「ヘボ先生」と呼ばれるようになっていました。西尾先生は、ヘボの民俗学的な側面にも注目し、東濃、奥三河、信州で古来から受け継がれてけてきた「郷土食としてのヘボ」が、家々の食卓から姿を消していきつつある現実に、深い悲しみを感じたと言います。その一方で、ふる里の山の環境破壊で、ヘボそのものも激減していきました。そこで西尾先生は、自らの研究で得た「ヘボの技術」を、ヘボの愛好家達へ惜し気も無く伝授しました。古来、この手の情報は、それぞれ個人の秘伝のノウハウいわば「企業秘密」で、西尾先生のようにオープンにするのは、極めて稀なことです。この貴重な情報を元に、ヘボの人工飼育の技術が確立され、あちこちにヘボ愛好家のグループができるようになったのです。
 西尾先生は2006年1月、鬼籍に入られました。西尾先生のヘボに対するその業績は比類なきものであり、西尾先生のご熱意とご努力がなければ現在のヘボブームの隆盛もなかったでしょう。