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-日本ファッション協会・情報センタースタッフブログ-

流行を思い起こす・・・・・①

2007-07-17 20:25:59 | Weblog
はじめまして!
今回から参加することになりました「さわだ・まさし」(ペンネーム)です。

いわゆるファッションという概念に捉われないで、流行(はやり)について自分なりに過去を振り返ってみたいと思います。

長野の田舎から東京に出てきたのは昭和33(1958)年の小学5年生のとき。実は、上京前から東京の情報はそれなりに知っており、日本でも人気抜群となりつつあったエルビス・プレスリーの曲をラジオで聞いていた記憶がある。

当時、東京では歌声喫茶派(健全)とロカビリー派(不健全?)というようなイメージがあり、小生は小学生から中学生のころであったが、もちろんロカビリー派。といっても、日劇ウェスタンカーニバルで平尾昌晃や山下敬二郎、ミッキー・カーチスらに舞台上で飛びつく、抱きつくわけではなく、彼らより少し後発の坂本九や森山加代子、弘田三枝子、田代みどり(当時彼女が一番のファンだった)らの歌が大好きで、座席でちゃんと聞いていた。しかし、みどりちゃんが歌っていたときは、舞台に上ってしっかり紙テープを渡したことが何度もある。

ところで、上京したときの記憶として残っていることがいくつかあるが、特に印象深かったのは、田舎ではほとんどの子供は丸坊主(なぜか小生は小さいときから髪を伸ばしていたが)、冬は全員が長ズボンだった(長野の冬は寒いためズボンの下は大人も子供も皆ももひきをはいていた)が、東京では逆に丸坊主の子はほとんどいず、ズボンも全員が半ズボンでロングソックスをはいていた子供もおり、それだけで東京の子供はなんてお洒落なんだろうと感じたことである。

大人の世界でも、夏には男はサングラスに大柄・原色のアロハシャツとスリムで少し短めなスラックス(マンボズボンと称していた?)、女性はノースリーブに短パンルックと肌の露出が進んできており、田舎育ちで、ましてやまだ子供の小生にとってはかなり刺激的なファッションであり、強烈な印象が残っている。
(つづく)