パウロはだめ押しとして、「だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです」(使徒28:28)と言い、これで聖書におけるパウロの言葉はすべて幕を閉じます。ここからパウロが語ったことは、具体的にはもう表現されません。パウロの気持ちは、この形でストップし、このことをさらに二年間伝え続けたのではないでしょうか。ルカはこのように、パウロが頑ななユダヤ人に背を向け、異邦人に向かうという図式を好み強調します。ほんとうにパウロがこう言ったのかどうか、それはなんとも言い難いものですが、少なくともルカはそう捉え、この使徒言行録の中でさかんに言い続けたことではありました。福音は、ユダヤ人だけのものではない。人類すべてに渡るはずだ、という確信がルカの中にあったはずです。しかしながら、このローマでの出来事についてはルカは口をつぐんでいます。知らなかったはずはないと思われます。だがルカは、ローマにおけるパウロのその後については、全く記しません。「彼らこそ」と訳されています。「そして」とも訳すことのある見慣れた語を「こそ」と訳しています。ユダヤ人と同様に彼らも、という受け取り方もあり得るかとは思いますが、塚本虎二訳では「彼らならば」となっています。これは味のある表現です。ユダヤ人は聞かないけれども、異邦人だったら聞くのだという気持ちがよく伝わります。ここにあるのは「聞く」という意味だけの動詞ですから、「聞き従う」とまで意味をこめてよいのかどうかは疑問です。「聞く」で十分ですし、「聞く」しかないと思います。