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Jazz&Magic Bar WBGO、Live Information、日々のこと

NEW YORK PHOTOs

2007-01-26 00:21:38 | 堤宏文TALK

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NEW YORK WORLD TRADE CENTER  1972年

フェリーから。 PHOTO by H・TSUTSUMI

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観光用ヘリから。 PHOTO by H・TSUTSUMI

NY ワールドトレードセンター

1972年(初めてのNY体験)は まだ建設中だった。'72に1WTC、'73に2WTCが完成。

最頂部は528m、110階建て。

※当時15分のフライトで60ドルくらいだった。(ちなみに1ドル=360円でした。)

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フェリーから見たマンハッタン。1998年 PHOTO by H・TSUTSUMI

1WTCから7WTCまでの7つのビルで構成されたWTCコンプレックス。

完成時世界一の高さを誇ったツインタワー(1,2)は、NYマンハッタンのシンボルだった。

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サウスタワー(2WTC)屋上のオープン展望デッキからミッドタウンを望む。

1998年。 PHOTO by H・TSUTSUMI

※展望デッキはお天気のいい日のみ利用できる。

正面にEmpire State Building(エンパイアステートビル)が見える。WTCが竣工するまで長い間世界一の高さを誇っていた。電波塔をあわせたら443.2m。“エンパイアステート”というのは、ニューヨーク州の愛称。

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サウスタワーの展望デッキで。1984年頃。

後方がミッドタウン方面。左がツインタワーのもう一棟のノースタワー(1WTC)。

※9.11(2001.9.11アメリカ同時多発テロ)では、1機目の飛行機(アメリカン航空11便)が8:46(日本時間21:46) 北棟1WTC 94-98階へ、2機目(ユナイテッド航空175便)が9:03 この南棟2WTC 78-84階へ激突した。その後、9:59に2WTC、10:28に1WTCが崩壊。このテロで、2,973名の命が奪われた。この他にも、WTCではこの事件の被害者と思われる24人の行方不明者がおり、ビルの残骸に含まれていたと考えられる約1100人の遺体は最後まで発見できなかったという。

WAR IS OVER. IF YOU WANT IT.

LOVE & PEACE ∞

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1/24(水)

2007-01-25 14:33:30 | 堤宏文TALK

とにかく、1月下旬なのに暖かいナァ・・・!と感じる毎日です。11~12℃、2Fのベランダは陽あたりも良いので太陽が出てるとまるで春の陽気です。ここでLPレコードやCDを、コーヒーを飲みながら楽しむのが最高なんですね。寒い日でもバッチリ防寒スタイルで、自作の大きなデスクの前に座る。ゴムの木、ポトス・・・沢山のプラントに「今日も元気かい?」って声をかけながら一緒にJAZZを聴く。ここんとこベランダに住みついていた野良ネコ(♂)の“チビ”君、ここ5日くらい姿を見ないのでちょっと心配。どこかへ恋人を探しに行ってるのだろうか。家のベランダ、ハーブはもとより観葉植物がいっぱい!も咲き始めたし、「あなたは未だ早いでしょう」と云いたくなる花もあり、とにかく暖かさに敏感ですね。

夜、WBGOに愛媛新聞報道局長の谷茂男さんが久しぶりに顔を見せて下さった。もう一人男性の方がご一緒で、堺市の小学校の教頭先生で御親戚の高原誠一さんという方です。谷さんとはもう随分長いお付き合いになります。12,3年前には一緒にNEW YORKへも行きました。6月のJVC JAZZ FES'を見聞のためです。つまり谷さんは長いJAZZ通ってことです。実はご一緒の高原さんもJAZZに造詣が深いんですよね。フォークギターを趣味でやってて、時々子供達にも聴かせてるそうなんですね。これはいい事です。

谷さんとのNY行きでは、毎晩Live House通い。は、まぁ当たり前と云えば当たり前だけど、ある日の夕方、「野球場観に行かない?」って誘われたんですね。この夜はコンサートのチケット買ってるし(たしかメル・トーメだったと思う)、どうしよう・・・って迷ったけど、一度くらいアメリカのベースボール観とくのもいいナァ!って行ったんですね。シェア・スタジアムです。初めての(日本でも行ったことない)野球観戦。あのエキサイティングな雰囲気はスゴイ!ですねェ。ラガーディア空港のすぐそばなので球場の真上を旅客機が飛ぶんですね。それもNYのことです試合中何十機もです。飛行機大好き人間の私としてはもう最高!!JAZZもいいけどこの体験は特筆に値します。行って良かった。今でも“谷さん誘ってくれてありがとう”って思っています。この素晴らしい体験を出来たのは谷さんのおかげです。

ミュージシャンの写真やNYの写真を見てもらいながら、NYでのお話も沢山しました。Vib.の赤松君の時も書いたけど、その時同時体験をした人と話してると、忘れかけていた事、いや、忘れていた事を思い出すんですね~。これは大切な事です。本を出版のため、少しずつ原稿書いてますが、今思い出しとかないと、そのままあの世まで・・・!なんて事柄も沢山ありますからねェ。もう66才ですから、何でもメモすることにしてます。しかし、このメモの紙切れがこれまたあちらこちらに散歩してまして、これらを娘が集めてきては「これ整理しておかないと」って、とにかく大変です。でも、整理しまとめたものを、“どこに置いたかなぁ?”って忘れてしまう 66才の“青年”です。

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久し振りのジャズ喫茶“マニアナ”編

2007-01-18 18:42:20 | 堤宏文TALK

1/17午後2時過ぎ。今治市常磐町、愛媛新聞社今治支社の斜め前に、ジャズ喫茶「マニアナ」がある。オーナーの河野さんは、私の40年以上の友人で、私より少し人生の先輩で、昭和38年にこのJAZZの店をOPENしているからJAZZ歴も私と同じくらいだと思う。

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DOORを開けると、元気そうな河野さんが。「ご無沙汰してます」と云ってカウンターに座る。とてもいい感じで年を重ねてるナァ・・・。というのが久し振りにお会いした時の印象でした。

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店内はOPEN当時のままで43年の歴史を感じる・・・「いいナァ」・・・心やすまる。一言で43年とは云うけれど、この歴史は重いし、尊敬に値する。全国探してもS38年頃にOPENしてそのまま現役でやってるJAZZ喫茶はそうないと思う。そう云った意味でもとにかく“スゴイ!”

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LPレコードがのったターンテーブルが廻っていた。アナログ独特のあったかい、やわらかい音。そして長年愛用してるであろう年季の入ったパイプを燻らせる河野さん・・・。何とも云えない良い雰囲気をかもし出している。空気がアナログなのだ。私もアナログ派を“自負”しているのでその歴史が胸に響いてくる。

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白木秀雄や浅川マキ、そしてTBM(スリーブラインドマウス)等のアナログ盤も、ジャケットを補修して大切に保存されている。それでも月に5、6枚はCDも入れているとのこと。私もCDは月にその位を厳選してコレクションに加えている。デジタルを否定している訳ではないので、良い作品はCDやDVDもほしいと思う。

マニアナがOPENしたS38年といえば、私は22才。松山で演奏を始めて2年目、二番町のクラブヤングのバンド「野間博とブルーノーツ」や「松本伊対夫とヒズ・メン」で演奏していた。リーダーの野間さん(ギタリスト)は今治出身、アルトの松本さんは宇和島出身。私は2人の素晴らしいリーダー、先輩の元でJAZZを演れた事を幸せに思い、とても感謝している。

この頃、三越デパートのエスカレーター下のコーヒーコーナーで、コーヒーとトーストで50円だった。これが私達バンドマン(今はミュージシャンと云うけれど)の昼食でした。昼頃この昼食をとった後、1時からのクラブヤング生バンドのステージで演奏することになります。夜は大人の社交場ナイトクラブになるのです。

当時一緒に演らせてもらってた先輩のミュージシャンの中で、今も現役で松山で演奏しているのがピアニストの岡田収さんです。他の当時のミュージシャンは、リタイアしたり、もう亡くなられた方がほとんど・・・さみしいですね。クラブヤングの時代は、オーナーの好意でビル屋上にあった部屋に住まわせてもらっていたんだけど、当時オーナーが飼っていた日本猿の“サンちゃん”が一緒で、よく遊んだものです。

当時LPレコードが1,500円だったんですから高かったですヨネ。毎月発売されるアルバムはせいぜい10タイトル~15タイトルくらい。選ぶのも楽でしたねェ。ロリンズのサキソフォン・コロサスなんかもこの頃だったかナ。プレーヤー(演奏装置)はスピーカー内蔵で針はサファイヤ針、LP聴きながら眠ってしまうことが多く、すぐダメになってしまうことも度々でした。この頃私はヘアスタイルをリーゼントにしていたことがあったんですヨ。

昭和39年(1964)には東海道新幹線が開通、東京オリンピックの年。少し遡って昭和36年(1961)のお正月、初来日のアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズを大阪フェスティヴァルホールで聴いたんです。tpリー・モーガン、tsウェイン・ショーター、pfボビー・ティモンズ、bジミー・メリット、御大ドラムスのアート・ブレイキー・・・。“モーニン”を生で・・・ 今思い出しても身震いします。

と云った訳で、こんなことかいてたら何ヶ月掛かるかわかりませんが、“マニアナ”でおいしいコーヒー飲んでると、昔の良き時代、思い出してしまいます。

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ありがとう、マニアナ・・・河野兄。また近いうち寄ります。

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2007年初MAGIC(ホテル編)

2007-01-18 17:20:07 | 堤宏文TALK

1/17(水)松山から今治へは奥道後→水ヶ峠→玉川を経由する317号線が早い。1時間かからない。夏は海岸沿いが気持ちいい。瀬戸の風を受けながらの1時間少々は時間を感じさせない。このルートは、毎年10月25日に行われる松山―西条メモリアルフライトで約1500feetの上空からよく見ている。昨年も米山工業の吉野さんから声を掛けてもらい、エアロスバルに乗っけてもらった。パイロットは上野さん。この時、3機でのフライトだったが、他機からフリーランスカメラマン高橋さんが私達の機を撮影してくれた写真(AIR to AIR)を年賀状に使わせてもらいました。丁度、大西町上空あたり、機の向こうに瀬戸の海や島々が美しい。こんな写真は中々撮ってはもらえないし、実に素晴らしい写真なのである。中には「あの写真CGですか?」なんて声もありましたけどね。90度バンクも経験しましたし、一生の思い出になりました。

まぁ話は長くなりましたが、松山空港を飛び立って今治上空まで約15分です。左下に今治の街、その向こうにしまなみ大橋。いつ見ても美しく素晴らしい眺めです。

今治国際ホテルが今日の会場。今治市商工会女性会の新春懇談会です。女性の会員の皆様と御来賓の方々、とっても和やかなあったかい雰囲気の中、40分程MAGICを楽しんでいただきました。

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私のすぐ前のテーブルには越智今治市長がいらっしゃったので、MAGICで使う一万円札やタバコを御借りしたりといろいろ御協力いただいてしまいました。突然すみません。ありがとうございました。見ていただいたり、(テーブルホッピング)皆様に参加していただいたりで、予定の40分はあっという間、私も楽しませていただきながら無事終了しました。そのあとの懇談会では、アシスタントで同行した娘共々皆さんと一緒のテーブルでお食事をごちそうになりました。プレゼント交換のコーナーでは又色々いただいたり、とっても楽しく幸せな、今年のホテルMAGICのスタートでした。お招き下さった吉武さん、白石会長、スタッフの皆さん、ありがとうございました。

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1/8 WBGO

2007-01-10 04:34:48 | 堤宏文TALK

京都から帰省中の西松弦也が久し振りに顔を出してくれた。今、京都の学校で音楽の勉強をしている。専攻はドラムス。ロックビートは得意だが、今、4ビートも勉強している。

彼が4ビートに興味を持ち始めたのは、5年くらい前だったかな。当時私は道後の伊佐爾波神社でJAZZ LIVEをやっていたが、その時お母さんと聴きに来てくれた。タップダンスの宇川彩子さんがゲストの時だった。それからの付き合いになるが、彼ももう成人して1年になる。早いもんです。ドラムの話、JAZZの話、京都の話と、久し振りにたくさんお話をした。練習用パッドで色々叩いてみせてくれたが、テクニック、すごく上達している。一緒にシンバツレガードをやってみたり、手首や腕の動きの確認、ハイハットワークの事など話しは尽きなかったが、そんな中で今特に勉強していることは?の質問に、「テクニックは確かに必要だけど、色々な音楽をどう表現するかがもっと大切で難しい事のような気がして、今はその事を重点的にやっている」との答えが返ってきた。音楽的にも人間的にも、一回りも二回りも大きくなったナァー!と強く感じ、又、安心もした次第です。

Genya

次は3月末頃に帰ってくるそうなので、また楽しみだ。その頃は松山、桜が見頃になっているな。

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