犬神スケキヨ~さざれ石

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何故伝わらない?

2015-08-06 09:10:42 | 草莽崛起
今般の安全保障の議論。

国会での審議を見るに「これじゃ…」と思う程に解りにくい。

野党の質疑は法理論や憲法論ばかりです。

国家国民の安全は守られているのか?

守られているなら拉致被害者は一体何なのか?

守られていないなら何故守られていないのかと言う質疑応答がありません。

その安保法制、集団的自衛権について少し考えようと思います。

解りにくいですよ

集団的自衛権について以前にこのブログ内でもアップしています。
例えばここです。

とにかく、一般的には解りにくいのは事実です。スッキリしません。

法案の中身を見れば「なんとか事態云々」とか、まぁ読めばなんとか解ります。

更にマスコミの反対有りきの報道は更に解りにくさを助長しています。

むしろ、国民に理解させない為に本質を全く伝えません。
これでは国民に浸透せず、理解は深まりません。

「戦争する法案だ!」などと報道していては全く意味は伝わりません。

だいたい世界に秩序も無く、自然な状態、無法状態にしておくほど紛争になります。
だからこそ法により秩序を求めるのが近代国家というものです。

しかし、その法が想定していない事態が起きる、それを超法規的事態と言います。
その超法規的事態を少し、僅かに少しだけ減らすのが今般の安全保障法案です。

「徴兵制への法案だ!」などはナンセンス過ぎて反論する気すら起こりません。

昔は「戦争が起こりそう」な事態になると、兵士を集めて戦争に駆けつける。
しかし、現在は抑止力の点からも、その様な方法では全く「戦争」する事は出来ません。

常態的に存在させて訓練をするという事で戦争を抑止するのが世界の先進国の常識です。
ハイテク化された兵器の扱い、練度から考えてもプロを育てる事を考えれば明らかに「志願制」の方が理に適っています。

全く前提知識を踏まえない国会審議など国民伝わりません。
反対有りきの野党などは、この「前提知識」を敢えて語らず国民を撹乱させています。

政府の説明も解りにくさを助長しています。

集団的自衛権についての説明ばかりしています、確かにそれは必要です。
しかし、今般の法案にはグレーゾーン事態集団的安全保障の問題であるはずの事柄も集団的自衛権の括りにしてしまっている。
これでは本質を外して、より理解が出来ません。

しかも「これさえあれば大丈夫!」みたいな空気感があります。
こんな法制では全く足りません。

むしろ法制の中身は自衛隊の縛りが厳しくなっています。
世界の軍隊は此れだけはやってはダメと言うネガティヴリストで動きます。
此れだけはやってはダメ!は例えば「捕虜を虐待してはダメ」とか「民間人を攻撃してはダメ」とかですね。

逆に言えば軍はそれ以外全てやりなさい!と言う事です。
24時間、365日軍隊は国家と国民を守る為には全てやりなさい!と義務化しています。

一方、日本はこれだけやっても良いよと言うポジティブリストで動きます。
書いてある事しかやってはダメ!と言うものです。
例えば勤務時間外に海岸で自国民がさらわれる現場に遭遇し、その犯人を殺してしまえば殺人に問われる恐れがあります。

ジェット戦闘機が正に領空を侵犯し、我が国を攻撃しようとしていても、閣議決定がなければ攻撃すら出来ません。
音速を超えて迫る敵機を攻撃するのに閣議決定を待っていては全く間に合いません。

今般の法案はむしろこの「やっても良いこと」の縛りが厳しくなっています。

むしろ対応の問題が

例えば、公海上で並行に航行する米国艦艇が攻撃されても集団的自衛権を行使して助けると考えます。

しかし、現状では無理です。

米国艦艇どころか、自衛隊艦艇すら助けられません。
防衛出動命令がなければ反撃出来ません。

個別の自衛権すら防衛出動命令がなければ行使出来ません。

防衛出動命令がなければ出来ない状態で集団的自衛権で解決しよう等は無理なんです。

例えば、世界情勢に変化があり総理による「防衛待機」が命令されたならすぐ対応出来るでしょうが、全てがそんな都合よくはありません。

前触れもなく突然の奇襲を受ける。
これはグレーゾーン事態です。

しかし、このグレーゾーン事態は集団的自衛権とは問題が別で、このグレーゾーン事態への対応こそ誤れば国家国民の安全は瓦解します。

集団的安全保障

集団的安全保障、或いは集団安全保障。

これは、ある一定の複数の国家が集団となって国際秩序を維持する事です。
グループを作り、秩序を乱す者があれば皆んなで制裁を加えます。

日本では集団的安全保障についての議論は殆どありません。
「集団的自衛権がダメなんだから集団的安全保障もダメ」と言う論理があるからです。

集団的安全保障とは国連です。

国連は国連憲章にある通り加盟国は加盟国に対し理不尽な攻撃があった場合、加盟国各国が皆んなで立ち上がり勧告をするそれでも従わなければ経済制裁などの制裁を行います。

それでもダメならば武力による制裁を行います。

これは集団的安全保障の考え方です。

本来は国連に認められた上で、代理権を与えられた国連軍などが制裁を加える。
これが理想です。

これが安保理の関係上、又は会議を待てない場合には「個別的、集団的自衛権」で対応する事が出来ます。
これが本来の形です。

これは、「集団的自衛権」より「集団的安全保障」が優先すると言う事です。

「この国に手出しすれば国連加盟国が皆んなで制裁するぞ!」と言う枠組みを平時から作っておく事が犯罪の抑止、戦争の抑止になるのです。

安保理において、常任理事国満場一致で国連軍が結成された事は一度もありません。
しかし、集団的安全保障に関しては国連憲章第2条第2項にこうあります。

「全ての加盟国は、加盟国の地位から生じる権利、利益を加盟国の全てに保障する為に、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない」

と、あります。

これは国連加盟国の義務です。

日本は「武力行使にかかわる国連の制裁行動には参加しない、自衛隊は軍隊ではないので軍隊としての行動は出来ない」としています。

自衛隊が軍隊でないなら国際法で守られません。

しかし、日本は「国連加盟するが義務は果たさない」とは一言も言ってません。
ならば一定の義務を果たさねばなりません。

いざと言うとき皆で立ち上がる。
これをしない国が自国の危機に助けて貰えない可能性があります。
「あなたの危機には私は何もしませんが、私の危機には助けて下さい」とムシの良い事を言う奴を誰が助けてくれようか?
其れこそ日本は孤立します。

これが一国平和主義の限界です。

皆んなで国際秩序の維持に積極的に尽力しようと言う積極的平和主義の在り方こそが
集団的安全保障であり、定義付けすべき事です。

集団的安全保障と集団的自衛権

集団的自衛権と集団的安全保障との違いは何でしょう?

例えば、あなたが友達と歩いていると友達が暴漢に殴られる。
その際、あなたが殴り返す。
これは集団的自衛権です。
日米同盟もこれにより成り立ちます。

集団的安全保障はグループを作り、その秩序や平穏を乱す者には制裁するぞ!と言うものです。
多国籍軍、有志連合はこれに当たります。

自衛隊はRIMPACと言う合同演習を行なっています。
この演習には日米と共に韓国、オーストラリア時にはフィリピン軍も参加します。

しかし、現在では集団的安全保障は集団的自衛権よりもダメ!とされています。
ですから、「日米の合同演習に韓国やオーストラリアは別途合わせて演習してる」と言う建て前を言い訳にしています。

日本にとって米国以外は同盟関係にはありません。
しかし米国にとっては韓国もオーストラリアも同盟関係です。

日米同盟は重要ですが、米国から見れば日本も同盟国の一つに過ぎません。
アメリカをハブとして他国を二国間条約で動かす体制です。

欧米では北大西洋条約機構(NATO)がありますが、東アジアにはありません。
アジア各国が参加する同盟機構はありません。
日韓間ですら関係悪化で実現しませんでした。
「反日」国家があるからです。

つまり当面は二国間条約で動かす体制を維持せねばなりません。

朝鮮半島有事の際は「韓国を助ける米国を援護する」と言う形でかかわるしかありません。
その様な状態で在韓邦人を救出せねばならないのです。

米国との二国間での集団的自衛権にばかり捕らわれていては議論は進みません。
更に、二国間条約で動かす体制ですから集団的自衛権での議論も中心は日米になります。
しかし、それでは日本はむしろ動き辛いのです。

だいたい、米国の軍事力は世界でも圧倒的強さです。単独で充分戦えます。
米国がやられて自衛隊が出なければならない事態は殆どありません。
果たして米国は日本に集団的自衛権を求めているのでしょうか?
疑問に思います。ですから、野党の言う米国追従の主張は誤りだと思います。
それにアメ公様から頂いた憲法を有り難がっている野党の主張には呆れてしまいます。

貢献

集団的自衛権と言う言葉は英語ならばcollective defence(集団防衛)
cooperative defence(共同防衛)
と、なります。
これは「皆んなで守る」と言う意味合いが強いのです。

日米だけでなく様々な国を巻き込み秩序を維持するグループです。
一国の突出した行動を抑止するのが最大の目的です。

そうした秩序の維持には多少のリスクが生じます。これは避けられません。
例えば警察の巡回警らでもリスクは生じます。
世界各国も国際秩序維持の為にリスクを負っています。

日本もこのリスクを負って行かねば世界の中で孤立します。

世界の平和の為にリスクを負っても尽力する。
これが世界貢献と言うものです。

だからこそ、海軍力の小さな韓国やフィリピンとも米国は同盟を結んでいるのです。

現在では防衛体制は各国とのネットワークで成り立ちます。

ミサイルディフェンスについても各国のイージスシステムで成り立ちます。

台湾、韓国にあるレーダーサイトがネットワークを構成しています。

レーダーがミサイル発射の情報を捉えたなら「どこの船で撃ち落とすのが適切か」を瞬時に判断し「其方の船で撃墜せよ」と命令します。

上記の事態などは集団的自衛権では説明出来ません。

現実問題、ミサイルが飛んで来る事態にグズグズ言ってる暇はありません。
更に「ミサイルを撃ってもこのシステムで撃ち落とすよ!」と言う事がミサイル攻撃を考える方に抑止となります。

事実を見れば日米間の集団的自衛権云々を話すよりも各国と協調した集団的安全保障体制と言う事を話す方がしっくりくるのです。

「米国と一体化」と言う集団的自衛権については立場の違いを超え自主防衛を阻害するのではないか?と言う懸念が生じます。

しかし、集団的安全保障の考えならば、米国を中心とするが日本も積極的に各国と国際秩序維持に貢献できると考えなければなりません。

シーレーン防衛も日本のエネルギールートを守るだけではありません。
ホルムズ海峡から延びるシーレーンは何も日本だけが使っている訳ではありません。
このシーレーン防衛を各国と取り組む事で平和維持、秩序維持が世界と出来るのです。

これは完全に集団的安全保障の範疇です。
これを集団的自衛権で説明しようとする為にややこしく解り難い話しになるのです。

「石油が途絶えても直ぐには日本は干からびない!」とか言うアホは私事にとらわれた無知で的はずれな主張です。

また人道支援にこそ武力を用いなければならないと考えなければなりません。

例えば紛争地などで難民が出ます。
しかし、この場合は難民とは紛争地があり出るのです。
紛争地に挟まれたり紛争地付近に難民が居る事が多々あり、更にその様な場所では治安が著しく悪くなります。

その難民に人道支援、つまり食料や医療を提供するにも治安が悪ければ支援出来ません。
支援しようにも安全な地域がなければ、例えば米軍が治安維持に当たったり、警護したりします。その様にする事で初めて安全を確保出来ます。

安全が確保された後に医療支援の為の医師や看護師の派遣が可能になり、食料や生活の支援が出来るのです。

現在の日本ならば、難民が居る地域が紛争地ならば人道支援の為でも自衛隊は派遣出来ません。
食料や医療が受けられず死んでいく人が多数いようと見殺しにせねばなりません。
すぐ近くで他国の軍隊の後方支援をしていても難民地区が紛争地ならば人道支援が出来ないのです。

これで一体何が平和主義でしょう?

平和維持の為には平和主義を取るならば、むしろ武力を用いねばなりません。
武力を用いると言っても「戦闘せよ」と言っている訳ではありません。
民間人に変わり訓練をしたプロの軍隊が治安維持、平和維持に貢献せよと言っているのです。

無法地帯となった紛争地で食料を難民に間違いなく行き渡らせるには治安維持が不可欠です。
それが出来なければ、支給した食料が力のある者が独り占めする恐れがあります。
相手が多少なりとも武装していたならば、プロでなければ対応出来ません。

自衛隊

自衛隊は軍隊ではない!
と言われます。
しかし、どっからどう見ても軍隊です。

最高のハイテク武器を持ち、世界も羨む潜水艦を持ち。
それでも軍隊ではないと思う人が居たら直ぐに然るべき医療を受けられた方がよろしい。

自衛隊が軍隊でなければ海外に派遣された時、単なる「武装集団」となりテロリストと同じ扱いをうけます。
それでは国際法では守られません。
捕まれば直ぐに殺されます。
つまり、捕虜として扱われず国際法による身分の保障もありません。

もちろん自衛隊にも「捕虜になる場合」に対する備えがありません。
自衛隊員にしっかりと「捕虜になった時の覚悟」を諭さねばなりませんし、隊員一人一人が覚悟しなければなりません。

アメ公様から頂いた憲法に「平和」は書いてあっても「日本の独立性」については書いてありません。

平和は大切です。しかし、それと同じだけ「独立」も重要です。
独立した主権国家ならば果たさねばならない義務があります。
義務を果たし独立した主権国家として国際社会で発言する権利を得るのです。
そして、この権利を行使し国際社会の安全と平和、秩序維持に貢献できるのです。

我々はアメリカの属国にも植民地にもなるつもりはありません。
また、支那如きに自国領土をくれてやるつもりもありません。

独立国として国際社会と連携し、平和の安定維持に積極的に参加する。
この姿勢を示しさねば、いずれ孤立する事になります。

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