犬神スケキヨ~さざれ石

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当事者となる覚悟

2016-10-17 23:00:33 | 草莽崛起
今般、国会では稲田防衛大臣への下らぬ質疑で紛糾しましたね。

まぁ、さすがに白紙領収書はダメですよ。

なによりも今回の質疑はPKOですよ。

南スーダンにPKOで派遣されている自衛隊に新任務を与えるのか?
駆け付け警護はどうするのか?

それを少し考えてみたいと思います。

新任務

今晩、政府は新任務に対し判断を来月に先送りしました。

この新任務とは駆け付け警護を含むものです。

この判断の先送りに関しては、国会審議の停滞を避ける為と見られ、重要な審議を避けた姑息な判断であると私は見ています。
安倍政権と言えど、これは批判されて然るべしと思います。

南スーダンではこの度、武力衝突がありました。
これはやはり、どう見ても武力衝突です。
現地の治安状況は実に不安定であります。

その上で、命をかけて任務にあたる自衛官の安全を考えるならば、やらなければならない議論を避けたのはより自衛官の身を危険に晒す恐れがあるからです。

現地の治安は確実に悪化しています。

質問する側は戦闘行為という。
政府側は違うと言う。

しかし、これは普通に見れば明らかな戦闘行為が行われているのです。
普通に日本語で言うならばやはり現地で戦闘行為、武力による衝突が起きているのです。

政府側は戦闘行為に対し『国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し物を破壊する行為』と定義付けているのです。
これはイラク派遣の時にも幾度と繰り返されて来た議論です。

これはイラクでも似たようなことが起こりました。
これに対し質疑において「これは戦闘行為だろう」と出ました。
しかし、政府側の答弁は「いやいや、国際的に…云々」と繰り返す。

つまり、これは国際的な紛争や戦闘行為ではなく、例えばイラク国内、或いは南スーダン国内での衝突であって本法の定める国際的な紛争ではないのですよ、と言う答弁です。

イラクも南スーダンも、自衛隊が派遣されている場所が他より比較的安定した地域であるという見方をしているのです。

しかし、南スーダンのジュバ辺りは確かに安定した地域ではあったものの今回の武力衝突は、そのジュバ近辺であったわけです。

その中で、この政府答弁は苦しい答弁と言えるでしょう。
先送りした判断は来月には決めなければなりません。
その際、もう少し実のある議論と判断をせねばなりません。

このPKOは国連安保理決議により派遣されており、我が国は主要国でもあります。
その日本がどう振る舞うかを世界が見ているわけです。
更に言うなら、主要国である日本がこのPKOから撤退すれば、他国も撤退を始める事になります。

その意味においても非常に重要な判断をしなければなりません。
憲法9条を持つ我が国が、この憲法と自衛隊法の縛りの中で自衛隊を都合よく使えば犠牲を払うのは自衛官です。
自衛官の志にだけ頼り、足して二で割る様な判断をすれば益々自衛官を危険に晒す恐れがあります。
危険な任務は付き物だ!という自衛官に対する国民の意識は、これは自国防衛を考えても危険極まりないでしょう。

しっかりと裏打ちしてやらねば、自衛隊は動けません。
自身の安全を確保するのも、現地では自衛官自身です。
その根拠をしっかりと与えなければ、座して死を受け入れる事態になります。

憲法前文に書かれた平和主義、平和への希求こそがPKO派遣の意義です。
そうやって平和を希求するならば、それなりのリスクを覚悟せねばならない。
その議論をしなければなりません。
しかし、その議論を妨げているのが憲法9条です。

PKOの変容

南スーダンでは危険な地域になってしまい、停戦合意は破られてしまっています。

PKOは『平和維持活動』という意味です。

本来は国連が紛争当事者間に立ち停戦や軍の撤退の監視を行うことで事態の沈静化や紛争の再発を防止し、当事者間の対話による紛争解決を支援する軍事的活動を指すのです。

その中身は停戦監視、パトロール、インフラ整備などがあります。

軍事的活動ですから、これにあたるのは我が国ならば当然自衛隊ということになります。

防衛大臣の答弁では自衛隊派遣先は戦闘地域ではない、比較的安定した地域での派遣活動だと言っています。

これは意外にも的はずれではありません。

自衛隊の任務はインフラ整備や施設整備に生活支援などで任務にあたっているのも施設部隊であり戦闘部隊ではないからです。
国連側も日本の事情は充分把握していますから戦闘部隊の派遣を要請していません。

しかし、元々は国対国を前提にしていたので『国同士の停戦なら破りませんよね』ということで戦闘行為は想定されていません。

紛争に疲れたとか、もう辞めたいとか言う紛争当事国の間に入って中立を保ち停戦監視するなどが任務であったわけです。
ですから戦闘行為を想定していません。

その上で自衛隊の駆けつけ警護が新たに任務として加えられました。
実際法律に『駆けつけ警護』なる文言はなく、武器使用の法律が変わった為に駆けつけ警護が出来るようになったのです。

駆けつけ警護はあくまでPKOの要員やNGOの要員を対象にしたものです。

国連平和維持活動等に対する協力に関する法律
第二十六条が次の通りです。
従事する自衛官は、その業務を行う際に、自己若しくは他人の生命、身体若しくは財産を防護し、又はその業務を妨害する行為を排除するため、やむお得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる

これが駆けつけ警護の根拠になります。

ところが、自衛隊は安定的に安全な場所とされる地域に派遣されます。
その意味において考えるならば安全な場所なら駆けつけ警護しますよとなり、安全でない場所には派遣されませんから本当に必要な危険な場所では駆けつけ警護しませんという事になります。

かなり矛盾してしまいます。

安全な場所なら警護はいらんでしょうよ!

PKOは主に4段階に分かれます。
これは段階というだけでなく、時代により分かれた世代とも言えます。

第一段階
停戦監視(中立的立場で停戦監視)
紛争終了後に当事者同士が休戦停戦合意を結び同意する場合。
第二段階
平和構築活動(複合型)
停戦監視に加え武装解除、難民、避難民帰還、地雷除去、選挙支援、人権保護。
第三段階
平和強制(戦闘行為を行う)
停戦合意が結ばれていない紛争に対しても国連が介入。
第四段階
一つの国連を目指した統合ミッション
人道支援や開発支援を専門とする他の国連機関と連携し、停戦監視〜平和構築〜人道支援を効果的に行われるようにする。

と、以上の4段階(4世代)に分かれます。

日本は第二段階(第二世代)を行なっているのですが、しかし世界は既に第三段階(第三世代)へと入っているのです。

つまり紛争地域に強制介入しても紛争を止めさせるという段階に踏み込んでいるのです。

これが世界と日本のPKOに対するギャップとなっているのです。

この第三段階に至ると、これはもう軍隊にしか出来ません。
その上で軍隊としての位置付けがない自衛隊のPKOは中途半端な状態にあるのです。

PKOは平和維持の為の軍事的行動であるからです。

そもそもPKOは国対国の紛争しか想定していません。現在、国対国などの紛争はほぼありません。
ほとんどが内戦です。

第一段階では、国対国の紛争です。
第二段階は内戦が考慮され、複雑な任務に対応する為に複合型になっているのです。

日本の五原則

1、紛争当事者間の停戦合意が成立していること

2、受け入れ国を含む紛争当事者の同意

3、中立的立場の厳守

4、1〜3の条件が満たされなくなった場合に撤収が可能

5、武器使用は要員防護の為の必要最小限に限る

これは世界のスタンダードと異なるものです。

1の紛争当事者間の停戦合意が成立について、世界は停戦合意が破られても撤退出来ません。

2の受け入れ国を含む紛争当事者の同意、これも世界は重大な人権侵害が行われていれば介入をします。

3の中立的立場の厳守についても、世界のスタンダードは目の前で人権侵害が行われた場合、その行為を行う相手を武力で止めます。

よって4にある撤収は出来ません。

5に関しては、武器使用権限の見直しにより、駆けつけ警護が実施可能となりました。

そこで南スーダンを見れば、今や大統領ですらPKOに懐疑的というか反感を持っています。
しかし、重大な人権侵害が行われる可能性がある為、撤退はあり得ません。
事実、稲田大臣訪問直後に民間人が乗ったバスが襲撃され22人の死者が出ています。

以前のPKOならば、そこで撤退していたのですが現在の国際社会は積極的に関わる方向に向かっているのです。

例えば、重大な人権侵害に対し対抗するとなれば、人権侵害を行なった側と戦闘になるわけで、そうなると規定の3にある断固たる中立的立場は意味を無くします。
しかし、例えそうなったとしても人権を徹底的に守るんだ!というのが今や国際的認識となっているのです。

そうなると、PKOそのものが紛争当事者となり得るのです。
それでも人権侵害は許さない!
これが世界のスタンダードです。

その為、4にある撤収は出来難くなってきます。
もし、重大な人権侵害があるにも関わらず撤収や撤退をすれば『人権侵害を放置した国』として国際社会から徹底的に叩かれる事になるでしょう。

実はこのPKOの変容に『これじゃたまらん』と主要国、つまりG7と呼ばれる先進国が派遣をしなくなっているのです。

しかし、これらの人権侵害を放置すれば、シリアのアサド政権が徹底的に反政府を叩き、そこに介入しなかった為に自称『イスラム国』の様な組織が跳梁跋扈する事態になっているのです。

それ以前にはルワンダ大虐殺ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際のPKOの失敗により大虐殺を招き重大な人権侵害を引き起こしたのです。
実は、これこそがPKOのトラウマとなり現在の積極的介入となっているのです。

1948年から現在までPKOで3420人の犠牲者が出ています。
つまりはPKOとはこういうものなのです。

PKOに日本が自衛隊を派遣するならば、これらの覚悟をせねばならないのです。

国内法に於いて警察のごっつい版という位置付けである自衛隊、軍隊ではない自衛隊に現憲法、現行法のまま任務だけ増やせば当然リスクはたかまります。

では、どうするのか?

PKO派遣を辞めるのか?

自衛隊の位置付けを変えるのか?

とにかく一番困るのは自衛隊員そのものです。

国際貢献に対し、我々主権者はもっと深く考え議論しなくてはなりません。

この中途半端な関わりこそがリスクだと知らねばなりません。