ボーダーコリーと茶トラ猫

微妙な関係のボーダーとニャンズ 犬猫観察・お散歩・お出かけなど思いつくまま 気の向くままを綴っています

ばたでんに乗る

2019-05-12 | 日常


母の日ということで 花より団子でたまさんのケーキを買ってきてくれた


イチゴのケーキもあったが食っちまった後

仕事が休みで 一畑電鉄感謝祭 乗り降り自由!無料の日!!というイベントがあったので

電車で娘らと出雲大社まで行ってみた(おやじも)

都会じゃ電車に乗るなんて日常的なことだろうけど

なんせ田舎なもんで移動はマイカー ひとりに1台車生活が当たり前なので

地元の人も電車で出雲大社行こうなんて正月三が日の初詣(車だと渋滞するので)くらいなもの

私自身も電車で出雲大社まで行ったのは初めてでした





みおりんなんて 田舎者なので電車乗るっていったら大喜びで(笑

たった2両の電車なんですけどね

終点出雲大社前についても 目的が出雲大社参拝ではなく電車に乗るってだけなので

神門通りぶらっとして パン屋ブーランジェリーミケ(天然酵母パン)でパン買って帰っただけですけど



みおりんはご満悦でした

電車では途中川跡駅で乗り換えるんですけど

川跡駅から見える土手を見て 散歩でよくあの道歩いて電車がくると立ち止まり見てたなぁ~と



反対側から見る土手に感傷的になるでもなく

ばたでん好きの可笑しな犬だったなぁ~と土手を眺めていました(一畑電鉄通称ばたでん)





☆ボーダー☆ 無題

2019-05-09 | ジャック
ジャックへのお悔やみのメールやコメント・お花などを頂きありがとうございます

ジャックが生きていた頃 私にとっては初めての犬だったので 愛犬が虹の橋を渡ったという話を見聞きする度
いつかくるジャックとの別れを想像し 悲しいとか寂しいとかいう感情ではなく
自分の細胞に喪失感がじんわりと浸透していって胸が締め付けられるような悲痛な思いや
朝、目覚めた時に襲ってくる現実という深い闇に私は耐えられるんだろうかと考えただけで怖かった



家族もジャックは私の「生き甲斐」で そのジャックを失ったら
憔悴しきって鬱になってしまうんじゃないかと心配していたようだ
ですが 私は不思議と寂しさは感じていますが 喪失感に苦しみ塞ぎこんでいるという感じではないんですね
それはジャックとの時間がとても濃厚なものであったから 共に楽しんでいたからだと思うんです
私がジャックにしてやれることはしてきたつもりだし 元気な頃にもっと・・・してやればよかったみたいな
我慢させてばっかりでみたいな そういうのが全くないんです





ひとつだけあるとしたら最期ひとりで逝かせてしまったこと
しかし連れて帰っていたとしても 病院にいたほうが何か処置してもらえたかもとか後悔は残ると思うんです
そのことに思いを巡らし悲痛な思いで沈んでいても ジャックも浮かばれないと思うんですね
ただ 最期に一緒にいてやれなかったですが
最後にジャックに声をかけた時 私は「死」という負の感情をこれっぽっちも抱いていなかったこと
これが私の救いになっいるのかもしれません



12歳と3ヶ月、あまりに突然でちょっと早く逝きすぎたとは思いますが
前々日までは大好きな引張りっこ遊びもできて 倒れた日の朝も土手散歩し自分の足で歩いて
人で言うならシニアのぴんぴんころりで 考えようによってはそれはそれでよかったのかもと 
私は常々 生きとし生けるものには天命(人の力ではどうすることもできない宿命)があると思っているので
その時がきたんだなと今はそう受け止めています



ジャックが繋いでくれた多くのご縁に心から感謝し
ジャックの最期が「明日がくるとは限らない」「今を生きる」と伝えているようで
今を生きていたジャックのように 笑って1日1日を楽しみたいと思っています
それがジャックに対しての供養になる気がします



7日におやじも退院 仕事復帰にむけてリハビリ療養中
ジャックを埋葬する猫の額ほどもない小さな庭の剪定したりしています
私はしっかり食べぐっすり眠れてます(笑
ご心配・お気遣い頂きありがとうございます




☆ボーダー☆ みおりんが「お空で走ってるの?」って

2019-05-05 | ジャック

今日は 久々の更新ですが悲しい報告をしなければなりません

5月3日 明け方 ジャック永眠 いたしました

何をどう書いたらいいのかわかりませんので 思ったままを綴ります



4月26日

朝起き上がりに 後ろ足がこわばる感じでふらついた状態になり
起き上がった後は普通に歩いていたが気になり朝クリニックへ
食欲もあり下痢・嘔吐もなしだが元気はいまひとつ
歩き出すと普通に歩けるが 車に乗るとか段差を上がるのに躊躇する最近の様子から
老年性の関節炎かとサプリメントを頂き様子見とのこと
トイレもガレージ(段差があるので)まで行けず?廊下でしていたこともあり
おやじと排泄の場所をどうするかなどいろいろと話をしたり
低反発マットレスのあるベットが好きで上がりたがるので
ベットに柵をしてマットレスをいつもいる部屋に置くようにしたりした

4月30日

痛みでなのかフードを残すようになりあまり食欲もなく
散歩の歩調もスローで元気もいまひとつ クリニックも連休で休みになるし気になりクリニックへ
鎮痛(オンシオール錠)を1日分処方され 投薬後の様子で連休分を処方するから
明日また様子を知らせに飼い主だけでいいからクリニックに来るよう言われる
ジャックいつものごとく 診察が終わるとリードを引っ張って車に向かう
その夜は1カップのふやかしフードを食べ薬を投薬
薬が良かったのか 夜、引っ張りっこ遊びとか
転がすとフードが出てくるボールのおもちゃで遊び固形のフードも食べていた 

5月1日

朝散歩はかなりのスローペースで 家では寝ていることが多く元気もいまひとつ
薬の効果は24時間とされるが実質12時間ぐらいと聞いていたので
夜に飲ませていたので 薬の効果が切れ朝は元気がいまひとつなのかなと思ってみたりした
鎮痛(オンシオール錠)の服用後は 副作用もなく調子がいい感じだったので連休分の薬を処方して頂く
夜、1カップのふやかしたフード食べ薬を投薬
やはり服用後は若干調子がよさそうで 昨夜と同じく引っ張りっこ遊びや
フードが出てくるボールのおもちゃで遊び固形のフードも食べていた


亡くなる2日前 令和元年5月1日 引っ張りっこ遊びで 

5月2日

朝、土手を軽く散歩 散歩の歩調はかなりスロー
散歩後1カップのふやかしたフードを食べる
その後 いつもいる部屋で台所にいる私の方に体を向けうつ伏せて寝たりしていた
午前11時頃 台所にいたら水のみの置いてある部屋からバタンという音がして行くと
倒れたジャックがいて水のみがひっくり返えっていた
その後すぐ 横たわったまま嘔吐 尿失禁

クリニックに状態を電話
ひとりでは担げないので娘にきてもらい敷きパッドを担架代わりにし車まで乗せてもらいクリニックへ

エコーで心臓など腹腔内を診てもらう
血液だろうと思われる液状のものが見られ脾臓近くに腫瘤が見られ 血液検査ではかなりの貧血状態
血液が何処から漏れてるのかさらに毛をそりエコーを当て
脾臓であれば緊急手術するということでジャックを病院に預ける

午後3時頃クリニックから電話 手術して脾臓を摘出
午後4時過ぎぐらいにクリニックに説明を聞きに来てくれと言われ娘とクリニックへ
麻酔から覚醒したジャックと面会 声をかけると体を半分起こし反応
先生から摘出した脾臓を見せられ 脾臓の背中側の入り込んだところにできていた腫瘤が裂けそこから出血していたと
摘出した脾臓を連休明けに病理検査に出しその結果で今後のことを考えましょうと言われる

3日はクリニックが休みなので
ジャックにいつでも面会できるよう裏口から出入りできるよう鍵を渡すので閉院時間に再度来るよう言われ
仕事が終わり松江から帰ってきた息子とクリニックへ
何かあった時の連絡先や交換したタオル等の処理などの説明を受け
頑張っているジャックのために 傍にいるよ 頑張れ!の気持ちで着ていた肌着を丸めたものを持ていき
ジャックの鼻頭の近くに置き鍵を預かり帰った

5月3日

明け方、午前5時半頃携帯に先生から「残念ながら、、、」と連絡が入る
電話後すぐ息子とふたりでジャックを迎えに行った
横になったそのままの状態でしたと 血圧が下がり眠るように息を引きとったんだろうと言われた
手術に頑張ってくれ覚醒してくれて状態がよくなれば退院できるものと信じていたので
昨晩連れて帰ったほうがよかったのかな ひとりで逝かせてしまってと、どうにもならないことを思ってみたりした
迎えに行った時のジャックはまだ温かかった、
道路にはまだ車も少なく 朝の冷んやりとした空気が肌に冷たかったが
五月晴れになりそうなそんな朝で 家に向かう車の中で晴れでよかったとそんなことを思った
家に帰ると低反発のマットレスに寝かせ 私の肌着をかけ引張りっこのおもちゃを側に置いてやった



パッドの毛を刈ったりブラッシングしたりジャックの長い被毛を何度も撫ぜ肌でジャックの匂いを感じた
何ヶ月もシャンプーしてなかったのにいい匂いがしてた
娘やみおりんらもジャックに触れていたが
みおりんは全く状況が理解できてない様子で「ジャックお空いくの~?」などと言っていた

5月4日

宍道湖が望める山の上にある火葬場でジャックを火葬
私のタントにジャックを乗せ息子の運転で
おやじが先々週から入院していて家におらずジャックに会ってなかったので
病院へ行きおやじに駐車場まで下りてきてもらい「今までありがとう」とジャックと最期の別れをしてもらい
お世話になったドッグランの前の道路を通って火葬場まで向かった
五月晴れ 青々とした若葉がまぶしい新緑の季節
今日が晴れててよかったと心からそう思った

私の肌着を掛け色とりどりの沢山の花とおやつ
ジーオンママさんから頂いた緑の引張りっこのおもちゃとオレンジのと
手作りの迷子札カラーとカラー 写真の横に飾ってあったたつ巻さんからのポストカードなどを持たせてやった
みおりんも折り紙を折ったらしいが
自分のかばんに入れるのを忘れたらしくみおりんだわ(笑 とにゃんにゃんばばは思った



骨になったジャックをみおりんが見て 「ジャックはどこ行った?」と言うので
娘が「お空へいったよ」と言ったら 「お空で走ってるの?」と
死を理解していない子供はある意味で幸せだなとそんなことを思ってみたりした

小さくなったジャックを家に連れて帰ると台所が見えるいつもいた場所に
キャバリアのチェリーパパさんが撮ってくれた若い頃の写真と一緒に置くことにした



ジャックを火葬し姿として存在しなくなってしまうと不思議と気持ちが少しずつ整理されていくというか
いろいろな負の感情が浄化されていく感じがした
あと2~3年は一緒にいられると信じていたので こんなにも早く別れが来るとは思いもしなかったが
12年と3ヶ月 ジャックのいる暮らしは楽しかったし
ジャックと共有できた時間は 土手散歩したり ランで走ったり・犬好きさんに可愛がってもらったり
どこかへ出かけたり 引っ張りっこで遊んだり 私自身も楽しんでいたが
そういった犬としての喜びを感じさせてやれてたと思うので
そういう意味では何も思い残すことはないと思っている

ジャックが倒れた日は 午後から仕事で倒れた時間が私が仕事へ行っている時間だったら
家には誰もいなかったので 私が帰った頃には何もしてやれず息をひきとっていたのかもしれない
そう思うと最後に私がジャックにしてやれることを させてもらえる時間をもらえたのかもと
そして頑張って手術を乗り越えてくれ覚醒し
ジャックに頑張って!と私を含め娘も息子も声をかけることが出来たこと
あれこれ思い巡らす(後悔する)ことよりもそのことをプラスに考えようと思うようになった

寂しさはあるが 今はジャックと出会えたことで多くのご縁を頂きありがとうの気持ちを心の中で伝えてる感じです

あれこれ思い巡らしふさぎこんでいてもジャックは喜ばないだろうしね

7日にはおやじも退院するので
ジャックの遺骨は台所が見える猫の額ほどもない小さな庭に埋葬しようとおやじと話しています

生前 ジャックを可愛がってくれた皆様方にこの場を借りて厚く御礼申し上げます


ピントが合っていないが 私の好きな写真

ありがとうね ジャック

今度生まれ変わる時は まみたんの子供として産まれておいで(今のとこそういう予定はございませんが)
猫でもない哺乳類のみおりんがお姉ちゃんになるけどね(笑