JabBee's note

キクチシゲルの日々の泡・・・

SLYandtheFamilySTONE / FRESH

2011-10-19 18:59:43 | 日々のこと
あれは、僕が上京して間もなくだったから22年くらい前の話だろうか?

当時僕は東京で音楽活動を始めた。バンドのメンバー全員で田舎(茨城)から上京し、ライヴ活動を始めた。当時は、福生や吉祥寺などの中央線のライヴハウスに出演していた。良くも悪くも世間知らずのバンドは、出るハコ出るハコ可愛がってもらった。
ラッキーだったと思う。
お店のブッキングスタッフや店長にその向こう見ずなパワーというか、若さを買ってもらって、いろいろと良くしてもらっていた。
それは、もちろん嬉しかったし、ちょっとだけ自信みたいなものにもなっていた。

そして、ひと月ごとにライヴのグレードを上げる事にその頃の生活を賭していた。まあ、他に出来る事と言えばバイトくらいだったから、ひと月に2~3本のライヴハウスでのライヴに全てをかけるしか無かった。
まあ、若かったし、練習もアホみたいにしていて、みるみる成長していたかもしれない。
まあ、ビギナーズラック的なものもあったとは思うが。
そして、調子に乗って突っ走るから勢いはあった。
ライヴの度にお客さんも増えた。
そうなってくると、ライヴハウス側も『じゃ、次はこんなバンドとやってみるか』みたいにいいバンドと組んでくれたりする。
こちらも俄然のってくる。
相乗効果だ。
週末のハコ一押しイベントに出してもらう。
そんな風に、順調に活動に明け暮れていた。

そして、ある土曜の夜、吉祥寺だったな。
曼荼羅っていう今もある老舗のライブハウス。
『風天』っていうはじめて対バンするバンドだった。
16:00頃、店に搬入。
搬入って言ったって、当時は車なんて無い。
みんな電車でそれぞれの楽器担いで、それだけだ。
アンプなんか店のやつを借りる。
のこのこ入っていくとその日のトリのバンドがサウンドチェックを始めている。
そのバンド『風天』を見てぶっ飛んだ。
曼荼羅の狭いステージにツインドラム!が組んであり、ギターが3人!パーカッションにベース、たしかサックス、トローンボーンの人もいたかな。
そして何しにきてるのかわかんない(パートがわかんない人や遊びにきてる怪しげな大人達)人たちでごった返していた。
そこで、起きていたのは今まで聴いた事無いようなグルーヴだった。
怒濤のファンクだった。
そのグルーヴに飲み込まれ僕は身動きできなかった。アタマに血が上った。

『ナンダコノバンド?』

今夜、この人達対バンなの?って。(笑)
怪物に見えたよ。風天の人たち。(笑)
その日の俺たちのライヴはサウンドチェックのときからあまり覚えてない。
サウンドチェックなんて完全にビビって萎縮していたような・・(笑)。
でも終わった後に、風天の人たちに『お前らのロックンロールはなかなか良かったぜ~。またいっしょにやろうぜ~。』みたいに声かけてもらって泣くかとおもった。(笑)
その日の自分たちのライヴは覚えてないが、風天をかぶりつきで見たのははっきり今でも覚えてる。
ギターの小川さんはベロンベロンに酔っぱらってメチャクチャなギターを鳴らしていた。
ヴォーカルの森均さんは、じゃがたらの江戸アケミさんがもうちょっとクールにギター弾きながら歌ってるみたいだったし、とにかくそのグルーヴは鬼気迫るものがあった。こんなバンド初めてみた。
なんと形容していいのかわからなかったが、明らかにリズムが違っていた。
今考えれば、けっこうオーソドックスなJB'S的ファンクだったんだなと思うが、当時のロックンロールしか知らない小僧達には得体の知れない闇鍋的グルーヴだったのだ。

次の日から、ファンクに目覚めた(笑)。
とにかく『黒いグルーヴ』と感じるものに取り憑かれた。
それくらいに風天は僕を飲み込んだのだ。

そして、初めて聴いたスライ&ザ・ファミリーストーン。
これも衝撃的だった。真っ黒なグルーヴってこの事だ!って直感的に感じたんだ。
最初は暴動から聴いたんだった。
なんともいえないベースとドラムの複雑なコンビネーション。意味が分かんなかった。(笑)けど、やっぱり電気は走った。(笑)ギターのワウとか『ナンダコレハ?』だった。
そして、急速に虜になった。

スライはよく聴いたなあ。
そのリズムやグルーヴ、半端ないと思ったけど、それに加えて曲の良さが凄いんだと言う事に気付いた。
JB'Sとかはもうひたすら1coolみたいな、曲なんてみんな同じ。(笑)
まあ、極端に言えばだけど。(そして、それが凄いところなんだけどね。JB'Sだいすきだ。)
けど、スライは印象的なメロディーが多かった。
そして、とてもポップだと思った。

そのスライのアルバムで一番好きなのがこれ。『FRESH』。
研ぎすまされたリズム、とそのメロディーメイカーぶり。
天才だ。

ケセラセラのアレンジとかスライにしか思いつかないんじゃないかと思ってしまう何かがあるのだ。

スライにはパワーを感じると同時に、なんというか悲哀も同時に感じてしまうのだ。
どんなアップなファンクな曲にもその裏に影が見えてしまうんだ。
そして、そこがたまらなく惹かれてしまうところでもあるのだが。

きっと、本気で人種の壁に挑んでいたのだろうし、冷めた目で、諦めや失望もしていたのだと思う。
その両極な感情がいつもスライの中には混在していたのでは無かろうかと想像してしまう。

最近、また新しい作品を作ったらしいスライ。

あの頃には夢の夢だった、アメリカに黒人の大統領という『今』をスライはどんな風に見ているのだろう。

スライの音楽も絶対に何かを変えたはずだよね。
って、俺は思ってる。

1973年。アメリカ。




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1 コメント

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風天のこと (宮川辰雄)
2020-04-26 13:25:59
昔の風天のライブ音源をCDからMP3に変換中、懐かしくて検索してみたところここに行き着きました
風天は何度か曼荼羅で観ました
カッコよかったですねー
音はもちろんですが
まだ23,24くらいだった私にはちょっと怖そうなおっさんくささがたまりませんでした
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