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大衆演劇《鹿島順一劇団》見聞録

全国に140以上ある劇団の中で、私が最も愛好している「鹿島順一劇団」の見聞録です。

芝居「新版・長ドス仁義」・《新人・幼紅葉の「成長」振り》(平成23年4月公演・座三和スタジオ)

2013-08-24 00:00:00 | 平成23年4月公演・尼崎

芝居の外題は「長ドス仁義」。赤穂の親分(三代目鹿島順一)が姐さん(春日舞子)、妹(幼紅葉)、三下(花道あきら)を連れだっての道中記である。親分より一足先に立ち寄った伊勢路の茶店で、三下が。吉良の親分(甲斐文太)に因縁をつけられ、一家の「守り刀」を取り上げられてしまう。「返してもらいたければ親分を連れてこい」と言われて、すごすごと(先行した)姐さんの宿にたどりつく。「腕づくでも取り換えそうとしたが、茶店の親爺(三代目鹿島順一・二役)に『ここは伊勢、神聖な土地を汚したら親分にもお咎めがくる』と諭され諦めた」とのこと、姐さん「いいよ、いいよ、親分がきっと取り返すから」と、その場は収まったのだが・・・。吉良の親分、なぜか気が変わって、一行の宿まで押しかけた。「気が変わった。あの三下の首を持ってこい。さすりゃあ、刀を返してやる」と言いながら姐さんの額を傷つける。次の間で、様子を窺っていた三下、激高して飛び出そうとしたが、姐さん、妹に止められて辛抱の極み、絶望の態で飲めない酒まであおる始末、挙げ句の果てに「姐さん、きょうこう限り、盃を水にしておくんなさい!」姐さん、あきれて「すきなようにおし!」と立ち去った。妹、必死にとりなして「何をバカなことを!お前自分で何をしているのかわかっているの!早く姉さんに謝りなさい」「ほっといてください!」と言いながら、逆上したか、脇差しを抜いて妹に斬りかかる。両者もみあううちに、三下、脇差しで自分の腹を突く。仰天する妹、そして姐さんも・・・。三下、苦しい息の中から「勘弁しておくんなさい。私が意気地がないばっかりに、あの刀を取られてしまいました。どうか私の首と引き替えに取り返して・・・」と言い残して息絶えた。母と恋人への旅土産(薬袋・かんざし)を託された妹と姐さんが泣き崩れているところに、赤穂の親分が駆けつける。「・・・一足遅かったか、必ず仇は討つ!」。大詰めは、三下の首を胸に抱いて、吉良の親分との立ち回り、奪い返した「守り刀」で仇討ち成就、吉良の親分が絶命して幕となった。私がこの演目を見聞するのは3回目、しかし、赤穂の親分、茶店の親爺、二役が甲斐文太から三代目鹿島順一へ、吉良の親分が蛇々丸から甲斐文太へ、三下の朋輩・春大吉が、赤穂親分の妹・幼紅葉へと、配役は大幅に様変わりし、別の芝居を見るようであった。主演三下役は今まで通り花道あきらであったが、これまで以上に「人の良さ」「やさしさ」「温かさ」の風情が増し、いっそうの「せつなさ」が浮き彫りされる結果となった。さすがは「鹿島順一劇団」、座員の減少をものともせずに、「全身全霊」(一同のチームワーク)で鮮やかな舞台を演出する。わずか十三歳の新人・紅葉が新設の登場人物(親分の妹役)に挑戦、春大吉の「穴」を埋めるどころか、それ以上の景色を「いとも自然に」描出していたことに私は驚嘆する。加えて、三代目鹿島順一、これまでの(蛇々丸の)子分役から一転して、茶店の親爺(老け役)赤穂親分の二役に挑戦、父・甲斐文太の背中(至芸)を追いかける。超えるまでには「相当」の時間がかかるとはいえ、その一歩が確実に踏み出されたことを寿ぎたい。
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芝居「紺屋と高雄」・《三代目鹿島順一の課題と赤胴誠の挑戦》(平成23年4月公演・座三和スタジオ)

2013-08-20 00:00:00 | 平成23年4月公演・尼崎

この演目を見聞するのは3回目である。1回目は、平成20年2月公演(川越三光ホテル)。その時の感想は以下の通りである。〈祝日とあって観客は「大入り」。芝居は「紺屋高尾」、配役は、座長・紺屋(久造)、虎順・高尾、二人とも発熱(感冒)を押しての熱演だったが、やはり16歳の若手に「遊女」役は荷が重い。「汚れ役」(鼻欠けおかつ)で登場した蛇々丸が舞台を盛り上げた。客から「蛇々丸の女形を観たい」という所望が多いので、今日はそのリクエストに応えたという。しかも、それが何と泥・垢にまみれた「夜鷹」役とあって、客は見事な肩すかしを食らった。そうした演出が実に「粋」である。この「汚れ役」は、通常、「鼻に抜けた」口跡で演じるが、「表情」(化粧)「所作」だけで「鼻欠け」役を演じた蛇々丸の「実力」は半端ではない〉。2回目は、平成20年3月公演(小岩湯宴ランド)。その時の感想は以下の通りである。〈「紺屋高尾」の夜鷹・鼻欠けおかつ(蛇々丸)は「絶品」で、三条すすむと「肩を並べている」。特に、セリフの出番がないときの、何気ない「所作」が魅力的で、客の視線を独占してしまう。この役は、「鼻欠け」という奇異感を超えた「あわれさ」「可愛らしさ」を漂わせることができるかどうか、が見所だが、十分にその魅力を堪能できる舞台であった〉。さて、今回は3回目、舞台の景色はどのように変貌したか、興味津々で来場した次第である。まず、紺屋の甲斐文太は申し分ない。特に、母親役の春日舞子、医者役の花道あきらと絡んで、「恋煩いを」演じる風情は天下一品、他の追随を許さない出来栄えであった。次に、高雄の三代目鹿島順一。三年前は〈やはり16歳の若手に「遊女役」は荷が重〉かったが、今回は見違えた。舞台に登場しただけで周囲を圧倒する、その「美しさ」「豪華絢爛さ」「上品さ」もまた天下一品、他の追随を許さない。まことに見事な出来栄えであった。課題は、「口跡」。やや声を落とすだけでよい。加えて、(浪曲師)初代篠田實の、あの「殺し文句」を思い浮かべるだけでよいのだ。「遊女は客に惚れたと言い、客は来もせでまた来ると言う、嘘と嘘との色里で、恥もかまわず身分まで、よう打ち明けてくんなました。金のある人わしゃ嫌い。あなたのような正直な方を捨て置いて、他に男を持ったなら女冥利に尽きまする。賤しい稼業はしていても、私もやっぱり人の子じゃ、ああ、情けにかわりはあるもんか・・・」三代目鹿島順一は弱冠十九歳、必ずや、将来、篠田實の風情を超えるだろうことを私は確信する。さて、その次は「鼻欠けおかつ」、これまでの蛇々丸に変わって、なんと新人の赤胴誠!なるほど、まだ〈「鼻欠け」という奇異感を超えた「あわれさ」「可愛らしさ」を漂わせる〉には及ばなかったが、口跡に「開鼻声」(フガフガ声)を用いることなく、「表情」(化粧)「所作」だけで演じようとする姿勢は立派。さらに、〈セリフの出番がないときの、何気ない「所作」〉「視線」を一工夫すれば、「絵になる風情」を描出することができるだろう。彼もまだ十八歳、今後の精進に期待したい。
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芝居「黒髪道中・縁結びの三五郎」(平成23年4月公演・座三和スタジオ)

2013-08-16 00:00:00 | 平成23年4月公演・尼崎

芝居の外題は「黒髪道中・縁結びの三五郎」。筋書きは単純、磯浪一家と三つ房一家の抗争にからんだ仇討ち物語である。磯浪一家の親分はすでに病死、今ではその姐さん(春日舞子)が堅気になって川魚料理屋を営んでいる。腕利きの壷振りだった子分の三五郎(座長・三代目鹿島順一)も、今では女房(春夏悠生)持ちの板前、堅気の仕事も板についてきた。そんなところへ、三つ房一家のの親分・留吉(甲斐文太)が 、用心棒(花道あきら)と子分(赤胴誠、滝裕二)を連れてやってきた。身内に料理を馳走させながら、留吉の魂胆はこの料理屋を乗っ取ることにある。姐さんと二人きりになったところで、お決まりの「金返せ」。亡くなった親分に五十両貸していたという。姐さん「今すぐには無理」と断るが「じゃあ、明日の一番鶏が鳴くまで」ということで話がついた。とはいえ、そんな大金がすぐさま調達できるはずもなく、姐さんは思案にくれたが・・・。やむなく三五郎を呼び、「壷を振って五十両稼いでくれないか」と頼み込む。今は堅気の三五郎、しばし逡巡したが、(他に良い手段があろうはずもなく)意を決して「ようし!やりましょう。でも1回限りにしておくんなさい」と言い残して博打場へ・・・。それを見咎めたのが恋女房、「お前さん、何処へ行く気?まさか、壷振りにいくんじゃないだろうね」。三五郎、隠し切れずに一部始終を打ち明ければ、恋女房、欣然として曰く「なんだ、そんな事情があったのかい。お前さん、これを持ってお行きなさい」。、懐の財布、肩身の櫛まで差し出した。「ありがてえ」、三五郎もまた欣然として博打場へ・・・。だがしかし、である。子分たちと飲んでいた留吉が再登場、「おい、誰かいねえか」と店の者を呼び出す。間も悪く顔を出したのは三五郎の女房、その色香に、むらむらとして「いい女じゃねえか、酌をしてくれ」「あたしは三五郎の女房、酌女ではありません」「なんだ、そうだったのか。ますます気に入った」などとほざきながら、酔いにまかせて襲いかかる、といった按配で、女房はあえなく斬殺されてしまった。酒の上とはいいながら、さすがに留吉、「やばい」と思ったか身内の一同を引き連れて闇の中に遁走、行方知れずと相成った。そんな経緯はつゆしらず、三五郎、思い通りに五十両を稼いで、欣然と帰還したが、待っていたのは恋女房の亡骸。その黒髪を胸に抱いて、復讐の旅に出る。それから何年経っただろうか。場所はある茶店の前、三五郎が立ち寄ると、あたりは賑やかな雰囲気、店子(幼紅葉)の話では、土地(新田)の親分が祝言をあげる由、ところが新婦(春夏悠生)には情夫(春日舞子・二役)が居る。その親分とは、あの留吉に他ならず、三五郎、めでたく恋女房の仇を討つことができたが、助けた新婦は亡妻に「瓜二つ」、やるせなささも、いや増して、泣く泣く情夫との「縁結び」を執り行って大団円となったが、ひとり三五郎の淋しげな風情が、何とも印象的な舞台であった。願わくば、恋女房役の春夏悠生、酷なようだがこれも役者の宿命、心底から三代目座長に「惚れぬく」風情が欲しかった。
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《芝居・「明治六年」・新座長、若手座員の「転形期」》(平成23年4月公演・座三和スタジオ)

2013-08-14 00:00:00 | 平成23年4月公演・尼崎

芝居の外題は「明治六年」。江戸から明治へと時代が移りゆく中で、その流れに翻弄される武家三人の物語である。一人目は、緒形新之丞(座長・三代目鹿島順一)、年は若いが、新しい波に乗りきれず、未だに髷を結い腰には刀を差している。二人目は、金貸しの嘉助(甲斐文太)。徳川方の武家に生まれたが、十五年前、官軍との戦いで父は討ち死に、母も二人の子ども(嘉助とその妹)を残して自害した。以後、嘉助は町人に転身、今では東京屈指の金持ちに成り上がっている。三人目は「ぽんた」という半玉芸者(春夏悠生)。苦界に身を沈めているが、どこか品のある風情が漂っている。酔客に絡まれていたところ助けられた縁で、新之丞を慕っている。この三人に遊郭(?)相模屋の亭主(梅乃枝健)とその女房(幼紅葉)、売れっ子の看板芸者・仇吉(春日舞子)、相模屋の板前(花道あきら)も加わって、「明治六年」の景色がいっそう鮮やかに浮き彫りされるという趣向であった。筋書は単純。相思相愛の新之丞とぽん太の間に、敵役の嘉助が割って入り、金の力で仲を裂こう(自分の女にしよう)としたが、「実は」、そのぽん太こそ、生別していた妹であったという因縁話である。嘉助は、我欲の塊で生きてきたことを反省、新之丞とぽん太を夫婦にさせようとするのだが・・・。事情を知らない新之丞、嘉助に一太刀浴びせ、止めに入ったぽん太まで手にかけてしまう。この芝居、相模屋夫婦は金に目がくらみ、新之丞を消そうとして返り討ち、生き残ったのは板前と看板芸者・仇吉だけ、という何とも凄惨な結末で閉幕となったが、その眼目は「悔恨」、悔やんでも悔やみきれない人間模様の描出にあることは間違いない。空気は「悲劇調」だが、最年長の梅之枝健と最年少の幼紅葉が「夫婦役」、しかもコミカルな悪役コンビといった演出(配役の妙)も添えられて、たいそう見応えのある仕上がりとなっていた。欲を言えば、新之丞とぽん太の「純愛」描出が「今一歩」というところか。時代の流れに乗りきれないニヒルな若者新之丞、その一途さと優しさに焦がれる武家出身のお嬢様・ぽん太といった風情(例えば市川雷蔵と藤村志保、例えば三河家桃太郎と三河家諒)が漂えば、申し分ないのだが・・・。とは言え、今、劇団は新座長、若手座員を中心に「舞台作りの転形期」、日々の精進によって、「必ずや名舞台を完成させてくれるだろう」ことを夢に見つつ帰路についた次第である。
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