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大衆演劇《鹿島順一劇団》見聞録

全国に140以上ある劇団の中で、私が最も愛好している「鹿島順一劇団」の見聞録です。

香川・城山温泉・《芝居「月とすっぽん」の名舞台》(平成22年4月公演)

2013-07-05 00:00:00 | 平成22年4月公演・香川

 座長の話によれば、この6月に息子の鹿島虎順が「三代目・鹿島順一」を襲名、自分は太夫元として「甲斐文太」を名乗るという。なぜ甲斐なのか、なぜ文太なのか。「甲斐は甲斐の国からとりました。文太は菅原文太からいただきました」ということだったが、その理由は不明、私の勝手な想像では、武田信玄が好きなのか、原田甲斐(「樅ノ木は残った」・山本周五郎)が好きなのか、でも、菅原文太と鹿島順一では比べものにならない、その「実力」「芸風」において鹿島順一のほうが数段も「格上」、「月とすっぽん」ほどの差があるではないか・・・」などと思ううちに、芝居の幕が開いた。なんと外題は「月とすっぽん」。月とすっぽんに相当する二組の男女の物語で、すっぽんの男は三枚目の兄(座長・鹿島順一)、月は二枚目の弟(鹿島虎順)、すっぽんの女は下女のおなべ(春日舞子)、月は親分の娘おみつ(春夏悠生)という設定である。病弱の親分(花道あきら)、娘を弟に嫁がせて二代目を継がせようという魂胆、「兄をさしおいてその話は受けられない」と辞退する弟を強引に説得、「兄さんはお前の後見として必要、嫁さんは責任を持って世話する、悪いようにはしないから・・・」という言葉に絆されて弟も承知、欣然と退場した。入れ違いでやって来た兄、ほろ酔い機嫌で親分への頼み事、何かと思えば「あっしもそろそろ身を固めたい。ついてはお嬢さんを嫁にください」だと。親分、びっくりして「そうだったのか、おまえはおみつに惚れていたのか・・・、でもヒト船乗り遅れたぞ」といった時、兄(座長)の台詞が止まった。「・・・・」(長い沈黙)親分(花道あきら)「どうした?」「・・・・」(兄、それでも絶句している)親分「(小さく微笑みながら)わかる、わかる。誰かの声がするんだろう。いいから、いいから、気にしないで話してみろ」兄(座長)「(苦渋に満ちた表情で)お話がしたいのはわかります。でも、静かにお芝居を観たいお客様もいらっしゃいますので、お話は他の場所でお願いいたします。どうか関係者の方、御配慮を・・・」座長は2階席団体客の私語が気なっていたのだ。すかさず1階客席からは大きな拍手。それに押されてか、2階の酔客連中(ほぼ5~6人)はやむなく退散する羽目となった。客席の秩序維持は劇団の責任ではない。本来なら、劇場支配人の務めであるはずだが、目の届かない場合もある。そんな時、「黙って」芝居を続けることがほとんどだが、文字通り(はじめは)「黙って」場内を整理してしまった劇団(責任者・座長)など、私はは見たことがない。しかも「舞台の上から」とは・・・。座長は「自分のために」酔客を整理したわけではない。「静かにお芝居を観たいお客様」のために酔客(この連中もお客様には違いないのだ)を排除したのである。そこらあたりが、二代目鹿島順一の真骨頂、「舞台を降りれば五分と五分、客に媚びへつらう必要なんてどこにある」といった筋金入りの役者魂が窺われて、私は深く感動した。芝居は中断、景色は毀れたが、兄「えーっと、どこからだっけ。芝居忘れてしまった・・・」親分、すかさず「だからよ、お前はヒト船乗り遅れたって言ってるんだよ」の一言で(何事もなかったように)舞台は再会、以後の展開はまさに「順風満帆」、非の打ち所無く進行した。(花道あきら、従来はアドリブが苦手、時々座長に突っ込まれて絶句したり、噴き出したりしていたが、今日の舞台では「余裕そのもの」、立派に座長の補佐役を果たしていた。彼もまた「大きく成長」していることの証だと、私は思う)親分との(不本意な)絶縁、純粋で兄思いな弟との「絡み」、おなべ(春日舞子)の剽軽な振る舞いと口跡・表情等々、随所に「見どころ」(名場面)が盛り込まれ、まるで一巻の絵巻物を見るような出来栄えであった。なかでも圧巻は、仇役一味(春大吉、蛇々丸、赤胴誠、滝裕二、梅乃枝健ら)との「大立ち回り」、ただ単に刀を合わせるだけでなく、舞台、花道、客席、幕内までも(縦横無尽に)「走り回って」敵と味方が「行き交う」様子が、なんともコミカルで楽しく、まさにドタバタの「お手本」、見事な「形式美」を存分に楽しむことができた。一同(敵も見方も)最後は息を弾ませながら小休止、一呼吸あって「殺陣」の大詰め、運悪く兄とおなべは深手を負っての愁嘆場へ。哀愁漂う「会津磐梯山」を踊りながら「すっぽんの男女」が絶命する、その両者を「月の男女が」合掌して見送る、という幕切れの光景は一幅の屏風絵のようで「お見事」、涙がとまらなかった。そして何故か心も洗われるのである。今日の舞台、私にとっては「生涯忘れ得ぬ」作品となった。どの劇団でも舞台を(DVDなどに)収録して商品化することが通例になっているが、鹿島劇団はそんなことには全く無頓着、大衆演劇の真髄は、生身の人間同士(役者と客)が「その時、その場」(一期一会)の「阿吽の呼吸」で創出する「夢の世界」を味わうところにある、そのことを劇団の誰もが知り尽くしている所以であろう。事実、私はこの劇団が演じる「外題」、舞踊の「演目」を見ただけで、聞いただけで、その舞台の光景を脳裏に、そして胸中に「再生」「鑑賞」することができるのである。
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《芝居「里恋峠」、新人・幼紅葉の初舞台》・(平成22年4月公演・香川城山温泉)

2013-07-03 00:00:00 | 平成22年4月公演・香川

芝居の外題は「里恋峠」。金看板・更科一家親分三衞門・座長・鹿島順一、その息子三之助・鹿島虎順、その妹お里・新人・幼紅葉、親分の後妻おたき・春日舞子、代貸松造・春大吉、敵役の川向こう一家親分万五郎・花道あきら、その子分たち・蛇々丸、梅乃枝健、赤銅誠、滝裕二という配役で、注目すべきは新人・幼紅葉の起用である。外題の「里恋峠」は地名だが、娘・お里を案じる父・三衛門の想いも重ねられていることは確かであろう。だとすれば、お里はいわば「準主役」的存在、極めて重要な役どころではないだろうか。はじめは勢いのよかった更科一家も親分が中風で倒れた後は、子分衆は一人減り、二人減り・・・という「落ち目」で、今では代貸一人だけとなってしまった。その松造も、今は一家に見切りをつける潮時と「盃を水にしてください」と申し出る有様、加えて後妻からも離縁を迫られる始末で、病臥の親分、まったく孤立無援となってしまった。最後のたのみは娘のお里だけ(息子の三之助は勘当、現在、旅修行中)という状況の中、闘病中の三衞門を「かいがいしく」「かわいらしく」「無邪気に」「明るく」介護する風情が不可欠、後妻に入った、おたきの「あばずれ」「放蕩」気分とのコントラストが「見せ所」であろう。さて、一日目の舞台、新人・幼紅葉にとっては、いかにも荷が重すぎた。まだ、登場して「台詞を間違いなく言うだけで」精一杯、その「つたなさ」が、座長はじめ一同の「足を引っ張る」結果にななったことは否めない。その結果、《厳しさ、それは親子の愛》という眼目の描出は「不発」のまま終わった感がある。だがしかし、である。「そうは問屋が卸さない」のがこの劇団の真骨頂、(この芝居は二日替わり)二日目の舞台は景色・風情が「一変」していたのである。昨日とは打って変わり、お里の所作・表情・口跡が「芝居になってきた」。とりわけ、「視線が決まり」、「喜怒哀楽の表情」を描出することができるようになってきた。例えば、旅に出ている兄・三之助を「恋しく思い出す」、後妻おたきの「心変わり」を感じて表情を曇らせる、おたきの「身勝手な振る舞いを睨みつける」等々・・・。「かわいらしさ」「けなげさ」「無邪気さ」といったお里の「人となり」が、わずかとは言え、感じられる。新人・幼紅葉の「一日の成長」は確実、そのことによって、愁嘆場を演じる座長の「技」がより鮮やかさを増したたのである。万五郎一家に連れ去られたお里を追いかけようとする三衛門の「あわれさ」に多く観客が涙し、拍手が鳴り止まなかったのだから。「一日にしてこれほど変わろうとは・・・」、私は驚嘆・落涙する他なかった。今日の舞台は昨日の舞台があったればこそ、文字通り「失敗は成功のもと」「日々精進」を地で行くような結果であった。(幼紅葉の努力、素直さ、彼女を「一日で成長させた」座長はじめ各座員の面々に心底から拍手を送りたい)三衛門臨終の場面、本来なら「一度事切れたように見せかけて」、息を吹き返し、「あっ、忘れていた。もう一つ言い残しておく頃がある」と笑わせる場面だが、座長、深い感動に包まれている観客の雰囲気を察してか(割れるような拍手を聞いて)「今日はこのまま死んじゃおう」と思ったに違いない。「喜劇的な死」の場面は割愛されて終わった。まさに「舞台は水物」、その日の客筋に合わせて芝居をする、その典型を観る思いであった。三日目の舞台、外題は「月とすっぽん」とのこと、可能な限り来場したいと思いつつ、帰路についた次第である。
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