今朝の日経新聞文化欄のコラム「日本語の散歩道」で外山滋比古さんが「パラグラフと段落」を話題にされていた。日本文の段落をトウフに、欧米文のパラグラフをレンガに例えられているのが面白かったのだが、段落とパラグラフ、わたしにはどちらもよくわかっていないことだけはわかった。たとえばこのブログのように身辺雑記を書き連ねているだけの文章に段落が必要であるとすればそれは読みやすさを考えるからだ。点や丸の打ち方と同様、改行にはけっこう気を使うのだが、これといったポリシーがないのでいつも迷う。
一般にブログ文というのは段落意識が希薄なところがその特徴ではなかろうか?原稿用紙のような桝目も枠もないので段落や文字数を意識する必要がない。そうしたしばりのゆるさがブログを書きやすくしているのは事実で同じ文章を原稿用紙に書けるかどうか私自身こころもとない。パソコンなら文章の順序を入れ替えたり切り貼りしたりするのも自由自在だから文章を書くハードルが大幅に下がったのは間違いない。
楽に文章が書けるツールを得たことで文章を書くことへの緊張感が薄れた感は否めない。「三匹のこぶた」の例にならって言えば、文をただ並べただけでは「わらの家」なのかもしれない。