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主婦の書斎から<izzuco dialogue>

2005年6月にはじめたブログです。その間エキサイトブログ(ブックマークに記載)に居を移していた期間が2年ほどあります。

グレーゾーン

2012-08-19 | さくさくコラム

昨日の「悩みのるつぼ」、相談者の悩みはセクハラを受けているのにそれを傍観者的に見ている自分をどう考えたらいいのかというものだった。上野千鶴子さんの回答はいつもながら切れ味鋭いものだったが相談者に寄り添う姿勢がみえて安堵した。(切れすぎる刀を振り回されて怖いというイメージがあったので)とりわけ「男というものが状況を自分に都合よく解釈する特技を持っていることは覚えておいてください」とのくだりには喝采した。


セクハラ、パワハラ、モラハラ等々、○○ハラスメントという言葉が一般化したのは比較的最近の気がする。そういう言葉がなかった時代、こうしたハラスメントはいわば公然と存在し、それに個人でたたかう非力さに泣き寝入りせざるをえないことも多かったのではないか。ある事象を指し示す言葉ができることでその問題が広く認知され被害者が声を上げやすくなるのはたしかだと思う。


いっぽうその名称が実態にそぐわないものがある。その代表格が「いじめ」だ。そのあたり田口ランディさんがブログで「言葉の呪術性」を鋭く看破していてまさに目からウロコだった。


セクハラやいじめには広大なグレーゾーンがありその曖昧さが隠れ蓑にもなっている。そのため声を上げるタイミングがつかみにくくなっている。相談者は上司のセクハラに立ち向かえるのか、上野さんの助言が力になってくれることを願うばかりだ。


 


 

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子育てのゴールは?

2012-07-22 | さくさくコラム

きのう話題にした「悩みのるつぼ」。わが子にどこまで勉強させたらいいのかがわからないという相談に対して岡田斗司夫さんが「勉強」というキーワードを使わずこたえているのがおもしろい。岡田氏が相談のキーワードととらえているのは「保険」。勉強=学歴、学歴は人生の保険と考える相談者に対して、よりオールマイティーな保険を提示してみせるところがこころにくい。


勉強が「なぜ必要か?」あるいは「どのくらい必要か?」という問いには答えようがない。学歴を得るための「勉強」が人生の保険になるかどうかあやしい時代、「どうして勉強しなくちゃいけないの?」と問われてうまく答えられないもどかしさ。そんなとき「オタキング」の異名をもつ岡田斗司夫氏に「人の役に立つように振る舞える子」にするのが子育てのゴールであると高らかに宣言していただいたのはなにより心強かった。

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今日の「悩みのるつぼ」

2012-07-21 | さくさくコラム

ひさびさに登場の岡田斗司夫さんの「悩みのるつぼ」(朝日新聞土曜版コラム)。子どもが幸せに生きていくのに勉強(学歴)はほんとうに必要なのか悩むお母さんからの相談だった。相談者は小学生と幼稚園児の男の子4人を育てている。まだまだ手のかかる年頃の男の子が4人となれば・・・いやはや。そうでなくとも子どもに勉強させるというのはほんとうに大変、お察ししますそのご苦労。


岡田氏の回答はいつもながら懐が深い。癒しの人生相談は名人芸の域に達している。読むたびに同じコラムで舌鋒鋭くときに上段から相談者の面を取りにいくU先生のスパルタぶりと比べてしまう。しかし岡田先生、口調はソフトだがそのご指南を実行するにはそれなりの覚悟がいりそうだ。


「自分の好きなこと、やりたいことを、職業として目指すこと」は一番やってはいけない。「好きな仕事をしなさい。お母さん、応援するから」と言ってはいけない。ではなにをすべきなのか?


子どもには「人の役に立つ」ことを教えるしかない。今の時代に親が子供に保険として与えるべきは、「他人の役に立てて、感謝されるのは楽しい」という成功体験なのです。


どんな環境でも、人の役に立つよう振る舞える。これが自然にできると、とりあえず自立して生きていけます。


いや、ぐっときましたね、このセリフ。


最後のほうでこんな言葉も。


「人生を楽しく、好きなことを見つけて自立して」生きるべきは、まずあなた。


大丈夫、子どもたちはあなたの背を見て学びますから。


ひゃ~どうしましょ!


 

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悩める母

2012-03-26 | さくさくコラム

いやもう「岡田斗司夫」の「悩みのるつぼ」に完全にはまった。


岡田氏のブログには「悩みのるつぼ」のアーカイブがあり(ものによってはさらに回答へのプロセスを明かしたメイキングまである)あまりの面白さに読み始めたらやめられない。悩める相談者の状況を第三者的視点からスパッと切り分けてみせる手際の見事さもさることながら愛ある助言を忘れないところに毎回ほろりとさせられる。


身につまされるのはやはり親子関係の悩みで、子どもの育て方を間違ったと悩む母親の気持ちは痛いほどわかる。「理想の母」を演じるには忍耐が足らず、さりとて「子どもを溺愛する愚かな母」にもなりきれない。成人したとはいえ一人前として扱うにはまだまだ課題があると感じられるわが子にどう接していけばいいのか迷っているわたしにとって、岡田氏の具体的なアドバイスはひとつの指標になりうるものだ。


子育ては、子供を幸せにすることではありません。一人前の社会人にすることです。現在の平和な日本社会では、一人の人間が一人前になるには30年~35年かかるという覚悟が必要です。


いつの世も親が願うのは子どもの幸せだが、親の思い描いたシナリオが実現するとは限らない。子どもがいつどんなふうに独り立ちするのか、はらはら見守る日々がまだしばらく続きそうだがそう言っているうちが華なのかもしれない。

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ものの道理

2012-03-25 | さくさくコラム

朝日新聞の土曜版に「悩みのるつぼ」という人生相談コーナーがある。昨日は「私の万引きをやめさせて下さい」という16歳の女子高生の相談に評論家の岡田斗司夫氏が「なぜ人は商品にお金を払うのか?」という文章でこたえている。


「どうしてもほしい!」という欲望と「その理由づけが甘い!」という理性が葛藤したあげく万引きにいたると相談者はいう。あるものがほしい。けれどもそれは自分にとって絶対に必要なものではない。だからお金を払いたくない。ずいぶんと自己チューな三段論法があったものだ。自分がなぜ万引きをするのか、どうしたらやめられるのか教えてほしいという相談者は、自己分析にはたけているが社会の成員である他者への想像力が欠けている。


そのあたり、岡田氏は頭ごなしに叱りつけるのではなく実にソフトなアプローチでものの道理をときほぐしてみせた。近所のたい焼き屋の閉店という身近な話題をきっかけに生計を立てることの厳しさ、商品に正当な対価を払うことでまわっていく経済の仕組みを小学生にもわかるやさしい言葉で説明してくれた。商品を買うことで好きという気持ちを目に見える形で伝えることができるというメッセージは彼女に伝わっただろうか?


この世界は、あなたが思っているほど強くもないし、安定もしていません。はかなくて、びっくりするぐらい不安定です。誰か一人の善意で美しい話も生まれるし、誰か一人の悪意でも残酷で醜くなってしまいます。


ひとりひとりのふるまいがもつ意味を考える、そういう想像力なのだろう、いま求められているのは。 

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