昨日の「悩みのるつぼ」、相談者の悩みはセクハラを受けているのにそれを傍観者的に見ている自分をどう考えたらいいのかというものだった。上野千鶴子さんの回答はいつもながら切れ味鋭いものだったが相談者に寄り添う姿勢がみえて安堵した。(切れすぎる刀を振り回されて怖いというイメージがあったので)とりわけ「男というものが状況を自分に都合よく解釈する特技を持っていることは覚えておいてください」とのくだりには喝采した。
セクハラ、パワハラ、モラハラ等々、○○ハラスメントという言葉が一般化したのは比較的最近の気がする。そういう言葉がなかった時代、こうしたハラスメントはいわば公然と存在し、それに個人でたたかう非力さに泣き寝入りせざるをえないことも多かったのではないか。ある事象を指し示す言葉ができることでその問題が広く認知され被害者が声を上げやすくなるのはたしかだと思う。
いっぽうその名称が実態にそぐわないものがある。その代表格が「いじめ」だ。そのあたり田口ランディさんがブログで「言葉の呪術性」を鋭く看破していてまさに目からウロコだった。
セクハラやいじめには広大なグレーゾーンがありその曖昧さが隠れ蓑にもなっている。そのため声を上げるタイミングがつかみにくくなっている。相談者は上司のセクハラに立ち向かえるのか、上野さんの助言が力になってくれることを願うばかりだ。