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主婦の書斎から<izzuco dialogue>

2005年6月にはじめたブログです。その間エキサイトブログ(ブックマークに記載)に居を移していた期間が2年ほどあります。

墓参り

2006-03-26 | 今週のひとこと

お彼岸を少し過ぎてしまったが今日お墓参りをした。自分の家庭を持ってからは昨年父が亡くなるまでながらくご無沙汰していたが、子どもの頃からの馴染み深い場所、この墓の前にこれまで何度立ったことだろう。

墓に入っている「ご先祖」のうち私が直接知っている人は半数に満たない。この墓に入る予定の親族はあと何人だろうなどとちょっと不謹慎だが現実問題として考えてしまった。私は入れない。べつに入りたいというわけでもないのだが、比較的新しい夫の実家の墓はもとより、ほかのどの墓より馴れ親しんだ墓ではある。

同じ墓に入るご縁というのもあるのだなぁとここに来る度思う。親子で入れるとはかぎらないし、嫁姑の骨壷が並んでいることもある。夫婦なら死後も一緒か。誰と入りたいなどと考えてもどうにもならない、まさにご縁のあるものどうしの終の棲家。

墓参りするとき、誰がメインの墓参りかなんとなくイメージしている。以前は祖父母だったが今は父だ。墓というのは、不在あるいは欠如といったこころの空虚を地下の空洞というかたちでなぞらえ、封じ込めたものかもしれない。

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『アンフェアなのは誰か?』

2006-03-19 | 今週のひとこと

探偵小説、推理小説の類はアンフェアだと私は思っている。だっていくらでも「情報操作」できるもの。そんなことは百も承知で、うまく騙されることに愉悦を感じるのがおとなの読者なのだろうが、そんなアンフェアを真っ向から仕掛けてくるのがドラマ『アンフェア』。毎回エスカレートする挑発的アンフェアにまんまとのせらた。最終回はどう決着つけるのか、中途半端は許せない。

番組ホームページを見ると、俳優自身いつ犯人に指名されるかわからないスリルがあるという。どの程度アヤシク演じればいいのか、役作りも難しいらしい。ひとを信じられない怖さをリアルに感じさせるこのドラマの成功の鍵はドラマのキーワード「アンフェアなのは誰か?」。投げ込まれた直球がアンフェアのストライクゾーンをひろげている。

アンフェアなのは誰か?

それは「あなた」でしょ?

 

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『スロー・エデュケーション』

2006-03-12 | 今週のひとこと

「今週のひとこと」は『スロー・エデュケーション』

「スロー・エデュケーション」とは『食品の裏側』に出てきた言葉。「手作り=愛情」の図式には反発を感じてしまう私でも、「食は毎日の積み重ね」「親が料理を作る姿を見せ、こつこつと時間をかけて教えていく」という安部氏の言葉には頷けた。だが原理主義では乗り切れない日々の暮らし、まして子どものいる家庭なら添加物との終わりなき闘いに精根尽き果てかねない。

スローな生き方とは効率重視の成長拡大路線のアンチテーゼ。放っておいても成長拡大するのが子どもというものだが、子育てに効率を持ち込もうたってそうはいかない。その昔、ベビー服のスナップボタンをパッチンするたび、ああ、あと何万回このスナップボタンをパッチンするのかと徒労感に苛まれたものだ。「いつになったら」は封印して「いつのまにやら」を待つしかないのが子育てと観念した。

おとなが子どもの歩調に合わせる「スロー・エデュケーション」。でも「スロー・エデュケーション」が必要なのはほんとはおとなのほうなんじゃないかな。

 

 

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『生きがいを変えろ』

2006-03-04 | 今週のひとこと

山田ズーニーさんの「ほぼ日」コラム『おとなの小論文教室。』 Lesson276「生きがいを変えろ」が頭から去らない。いま自分に起こりつつあることはまさにこれだと思うからだ。

「会社に大切なものは、アイデンティティとモチベーション」というカルロス・ゴーン氏の言葉を

 アイデンティティ=「生きがい」「やりたいこと」

 モチベーション=「情熱」「やる気」

と置きかえたズーニーさん、「アイデンティティの組み替え」問題に直面した時こそ「生きがいを変えろ」のサインだと言う。それにはまず自分がアイデンティティの危機にあることを認めることから始めなくてはならない。それを直視するのはつらい。いや順番はおそらく逆で、なぜかつらい、だがなにがつらいのかよくわからないまま、時が過ぎていく。自分が揺らいでいる、と素直に認めることがなかなかできない。

これまでの自分はなにをエンジンにして生きてきたのが自分でもわからなくなる。とくだんアクセルを意識しなくても走っていた自分というクルマが、アクセルを踏み込んでも思うように走れない、いや、そもそもアクセルなんてあったんだろうか?これまではハンドルさばきだけに集中していればよかった。クルマの流れにのっていさえすればよかった。

Lesson289の「アイデンティティを組み替える」はズーニーさんのお母さんの「生きがい組み換え問題」が綴られていて、他人事とは思えなかった。私の場合、子どもを巣立たせる大仕事は道半ばだが、「生きがいを変えろ」の声は確実に聴こえてくる。私の「連続線」はどこにつながって行くのだろう。

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『もったいないお化け』

2006-02-26 | 今週のひとこと

これから毎週日曜日は「今週のひとこと」とし、一週間で印象に残った言葉をとりあげていきたいと思います。


ではさっそく。


「今週のひとこと」は『もったいないお化け』に決定!


昨夜の『喰いタン』で東山紀之演じる私立探偵高野聖也(通称喰いタン)は、給食時間に好き嫌いを言いたてる子どもたちに「食べないともったいないお化けがでるよ」とたしなめる。喰いタン、食い意地ははっているがその言動はいたって端正。喰いタンの穏やかな口調に子どもたちは「もったいないお化けってなに?」と身を乗り出す。


ふむふむ。「もったいないお化け」か、やるねぇ、喰いタン。


てっきり喰いタンの発明かと思ったら、以前公共広告機構のテレビコマーシャルに登場した「野菜顔したお化け」のリバイバルらしい。「もったいね、もったいねぇ~」と言って野菜嫌いの子どもたちを追っかけてくるから「もったいないお化け」。


「そんなことしたらお化けが出るよ~」という言い回しがなつかしい。お化けは子どもの夢を育む。お化けも出ない世の中になっちゃおしまいだ。


ところで、『喰いタン』の舞台は横浜。ロケ場所を想像するのも楽しい。京野ことみ演じる緒方警部が年上の部下、佐野史郎演じる五十嵐刑事を呼び捨てる「いがらしっ!」にはまる。『アンフェアー』の雪平刑事といい、男言葉を操るキャリアウーマンに女の子はあこがれるな、きっと。


 

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