今回は北国街道・長浜編に続いて滋賀県米原市宇賀野周辺の散策です。
宇賀野は、山内一豊と千代のゆかりの地です。
北陸本線・坂田駅で下車、駅前には山内一豊と千代の像が迎えてくれ
ました。
北陸本線・坂田駅
JR北陸本線・阪田駅前に立つ「山内一豊と千代」の像
宇賀野の長野家
山内一豊の父・盛豊は、黒田城の家老であった。父亡き後、一豊と母や弟妹は
知人の紹介で永禄3年、宇賀野の長野家に落ち着いた。
今は廃家と成り、住む人もない庭先にひっそりとバラが咲いていた。
母・法秀院没後200年、法秀院の墓の改修工事に着手、長野家は土佐藩より
永代五人扶持が給される事に成った。
一方、千代は近江浅井家家臣、若宮喜助友興(米原市飯)の娘として弘冶3年
に生まれた。幼くして両親を失い、宇賀野で一豊の母に縫製を習った事が一豊との縁の
始まりと言われている。
宇賀野辺りの田園風景
宇賀野は、山内一豊と千代のゆかりの地です。
北陸本線・坂田駅で下車、駅前には山内一豊と千代の像が迎えてくれ
ました。
北陸本線・坂田駅
JR北陸本線・阪田駅前に立つ「山内一豊と千代」の像
宇賀野の長野家
山内一豊の父・盛豊は、黒田城の家老であった。父亡き後、一豊と母や弟妹は
知人の紹介で永禄3年、宇賀野の長野家に落ち着いた。
今は廃家と成り、住む人もない庭先にひっそりとバラが咲いていた。
母・法秀院没後200年、法秀院の墓の改修工事に着手、長野家は土佐藩より
永代五人扶持が給される事に成った。
一方、千代は近江浅井家家臣、若宮喜助友興(米原市飯)の娘として弘冶3年
に生まれた。幼くして両親を失い、宇賀野で一豊の母に縫製を習った事が一豊との縁の
始まりと言われている。
宇賀野辺りの田園風景