先週の木曜日、2月22日。兎のムースが永遠の眠りに付きました。
妻が朝ベランダにでて気づいたそうです。
早すぎる死。
ムースの死を子供達はどう捉えたのでしょう。
そしてまた、ムースの死は子供達の心にどう映ったのでしょう?
ブツブツと姉弟喧嘩をしながらムースの面倒をみてきた子供達の心に映った急なムースの死。
子供達からみれば小動物の死とはまた少し違う・・小さい犬のサイズくらもある身近な動物の死。
僕は親として人として、ムースの死を機に、子供達に教えることがたくさんありました。
今までムース意外にも色々な生き物を飼ってきました。小鳥だったり魚だったりハムスターや犬だったり。
そして小さな生き物達が、我が家で生を終えた時、今までは実家の庭に穴を掘り、そこになきがらを納め、小さなお墓を建て葬送してきました。
犬は大きいので火葬して骨壷へそのあとに土葬というかたち
そして今回、兎のムースの場合・・
はっきりかくと僕はずっと今まで飼っていた生き物を川に流すなんて「むごくて」「可哀そう」な事とおもっていました。
気分が悪くなりそうな人は↓↓は飛び越えて読んでくださいね。
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なぜ抵抗があったかと言うと多分幼い頃に川で腐敗した動物の死体を何度か見かけたせいでしょう。
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だから生き物は土の中に埋めてきました。
可愛がっていたものが川に流して自分のそばから無くなるのがただ嫌だっただけだったのかもしれません。
川で腐敗して行くことを想像するのが嫌だっただけなのかもしれません。
だから土の中に埋めてただ汚いものに蓋をしてきてたのかなって・・
けど、この年になって冷静に考えてみると、火葬も埋葬も流葬も腐敗の速度が違うだけだと言うことを素直に飲み込めるようになってきたのかな?
だから自然葬なら灰になる火葬を除いては、埋葬も流葬は同じこと。
流した川を見るたびに、ムースを思い出して心で拝めるならとムースなきがらは川に流すことをきめたのです。
子供達にもちゃんとそれを言い聞かせました。
そして人の決して人間の命だけが特別なわけではない事
「こうやって自然に帰れば人も動物も植物もみんないっしょなんだよ」
って、わってほしいとおもったから。
先週の週の土曜日、箱につめたムースの棺を抱え近くの『緑川』と言う川へ。
そこは僕が小さい頃、遊んでいた静かな知る人ぞ知る場所。
川岸で、棺の蓋をあけみんなで最後のお別れを言ったあと。
棺ををそって川面に浮かべそして流しました。
雲の隙間から春の木漏れ日がムースを包んいるようにもみえ・・
その日は、川下からの北風が吹いていました。棺はその川下からの風にあおられ、ゆっくりと川上に上って行きました。その後、川の流れにそって流れ出し・・
その間およそ10分位だったかな。
それはまるで僕らに別れを惜しむように手を振るように、ゆっくりとゆっくりと風と川の流れにより僕らの前を一周ぐるりと回っ流れてゆきました。
そして遠く点になったところでで棺のふただけを残して、沈んで行ったこと・・
2月の3時前。川のせせらぎに反射する光彩の中、僕らの目の前を「ゆらゆら」とゆれながら流れる、ムースの棺が今も目に焼きついています。
凄く、綺麗な流れ方でした・・
この川を見るたびにムースは僕らの、いや子供達の心の中でいつまでも生き続け、いつか魂の欠片(かけら)となることでしょう。
そして、灰になるより土になる選択を、僕が生まれて初めて選んだ家族。
君がまたすべての生き物の生まれ変わることを信じて・・
神様、ムースがまた兎として生まれ変わる様なことがあるならば、今度はちゃんと野山の普通の兎として生かさせてあげてくださいませ。
決して、人の欲の対象にされませんように・・
妻が朝ベランダにでて気づいたそうです。
早すぎる死。
ムースの死を子供達はどう捉えたのでしょう。
そしてまた、ムースの死は子供達の心にどう映ったのでしょう?
ブツブツと姉弟喧嘩をしながらムースの面倒をみてきた子供達の心に映った急なムースの死。
子供達からみれば小動物の死とはまた少し違う・・小さい犬のサイズくらもある身近な動物の死。
僕は親として人として、ムースの死を機に、子供達に教えることがたくさんありました。
今までムース意外にも色々な生き物を飼ってきました。小鳥だったり魚だったりハムスターや犬だったり。
そして小さな生き物達が、我が家で生を終えた時、今までは実家の庭に穴を掘り、そこになきがらを納め、小さなお墓を建て葬送してきました。
犬は大きいので火葬して骨壷へそのあとに土葬というかたち
そして今回、兎のムースの場合・・
はっきりかくと僕はずっと今まで飼っていた生き物を川に流すなんて「むごくて」「可哀そう」な事とおもっていました。
気分が悪くなりそうな人は↓↓は飛び越えて読んでくださいね。
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なぜ抵抗があったかと言うと多分幼い頃に川で腐敗した動物の死体を何度か見かけたせいでしょう。
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だから生き物は土の中に埋めてきました。
可愛がっていたものが川に流して自分のそばから無くなるのがただ嫌だっただけだったのかもしれません。
川で腐敗して行くことを想像するのが嫌だっただけなのかもしれません。
だから土の中に埋めてただ汚いものに蓋をしてきてたのかなって・・
けど、この年になって冷静に考えてみると、火葬も埋葬も流葬も腐敗の速度が違うだけだと言うことを素直に飲み込めるようになってきたのかな?
だから自然葬なら灰になる火葬を除いては、埋葬も流葬は同じこと。
流した川を見るたびに、ムースを思い出して心で拝めるならとムースなきがらは川に流すことをきめたのです。
子供達にもちゃんとそれを言い聞かせました。
そして人の決して人間の命だけが特別なわけではない事
「こうやって自然に帰れば人も動物も植物もみんないっしょなんだよ」
って、わってほしいとおもったから。
先週の週の土曜日、箱につめたムースの棺を抱え近くの『緑川』と言う川へ。
そこは僕が小さい頃、遊んでいた静かな知る人ぞ知る場所。
川岸で、棺の蓋をあけみんなで最後のお別れを言ったあと。
棺ををそって川面に浮かべそして流しました。
雲の隙間から春の木漏れ日がムースを包んいるようにもみえ・・
その日は、川下からの北風が吹いていました。棺はその川下からの風にあおられ、ゆっくりと川上に上って行きました。その後、川の流れにそって流れ出し・・
その間およそ10分位だったかな。
それはまるで僕らに別れを惜しむように手を振るように、ゆっくりとゆっくりと風と川の流れにより僕らの前を一周ぐるりと回っ流れてゆきました。
そして遠く点になったところでで棺のふただけを残して、沈んで行ったこと・・
2月の3時前。川のせせらぎに反射する光彩の中、僕らの目の前を「ゆらゆら」とゆれながら流れる、ムースの棺が今も目に焼きついています。
凄く、綺麗な流れ方でした・・
この川を見るたびにムースは僕らの、いや子供達の心の中でいつまでも生き続け、いつか魂の欠片(かけら)となることでしょう。
そして、灰になるより土になる選択を、僕が生まれて初めて選んだ家族。
君がまたすべての生き物の生まれ変わることを信じて・・
神様、ムースがまた兎として生まれ変わる様なことがあるならば、今度はちゃんと野山の普通の兎として生かさせてあげてくださいませ。
決して、人の欲の対象にされませんように・・